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#新約聖書
初期キリスト教信仰について(おわり)
パウロの受難物語
福音書においては、イエスが逮捕されるところから内容的には「イエスの受難」を主に取り扱うようになります。使徒言行録では、あたかも「イエスの受難」を扱うように、21章においてパウロが逮捕されてから、最後28章にかけては、「パウロの受難物語」のような印象を受けます。ただし、ローマについてからのパウロがどうなったかについては、紀元150~200年頃に書かれた新約聖書外典の「パウロ行伝」
初期キリスト教信仰について②
さて、早速、初期キリスト教信仰についてみていきます。
まず、以下のパウロの年表と新約文書の年表をご覧ください。わたしたちは、「新約聖書」について、キリスト教の始まりから既にそうであったかのように感じると思いますが、たとえば「新約聖書」の最初の文書は「マタイによる福音書」です。これは、「マタイによる福音書」が「新約聖書」の中で最も古い文書であり、次いで「マルコによる福音書」がその次に古いという
初期キリスト教信仰について⑨
「ヘブライ語を話すユダヤ人」の教会と「ギリシャ語を話すユダヤ人」の教会 使徒言行録6章から8章にかけての復習ですが、「初代エルサレム教会」がエルサレムにおいて「初期ユダヤ教」の人たちから迫害を受けるようになりました。そして、「ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニストと言う)」は、エルサレム以外の町に存在したユダヤ人による会堂へと、自分たちの信仰生活を維持するために広がっていきます。その意味では、これは
もっとみる初期キリスト教信仰について⑧
初代エルサレム教会が抱えた問題・そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。(使徒言行録6:1)
使徒言行録には記載がありませんが、およそ「初代エルサレム教会」における一つの権威として「生前のイエス」に従っていた人たちの存在がありました。パウロの直筆の手紙
初期キリスト教信仰について⑦
さて、キリスト教の初期の歴史を知る上で、「使徒言行録」は唯一の資料ということがあります。しかし、「使徒言行録」は、初期のキリスト教の歴史について断片的にしか情報を留めておらず、しかも、「理想化された歴史」として、「ルカによる福音書」がそうであるように、「救済史」的なかたちで物事がつづられています。
そのため、「使徒言行録」から「歴史的情報」を取り出すときには注意が必要です。書かれている事
初期キリスト教信仰について⑥
福音書に見る信仰のかたち 既に、見てきたように、新約聖書にふくまれる4つの福音書から、その特徴的な人物を挙げると「洗礼者ヨハネ」と「歴史的イエス」とが主なもので、歴史的イエスの十字架の死後、復活の第一証人として「マグダラのマリア」がいます。また、福音書ではほとんど見向き去れませんが「主の兄弟ヤコブ」という、「ガラテヤの信徒への手紙」に登場する「歴史的イエスの兄弟」にして、初代エルサレム教会の重
初期キリスト教信仰について⑤
まず、わたしがまとめた洗礼者ヨハネからパウロに至る、信仰の変化についての図を以下にしめします。
この図は、右上を起点として、左に行くほど、今日のキリスト教信仰に近くなり、下に向かって歴史的に新しくなるよう、大雑把に配置してあります(厳密ではありません)。
4つの福音書の大まかな流れ では、まずキリスト教信仰の起点は何かと言えば、4つの福音書に共通して記述される「洗礼者ヨハネ」です。「キリス
初期キリスト教信仰について④
先に見た、パウロの年表と新約文書との時間関係を以下の図のように示しました。
研究者によれば、イエスの誕生はおよそ紀元前4世紀ごろだと言われ、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、その後、神の国運動を展開し、およそ紀元30年ごろにローマ帝国の処刑法(十字架刑/国家反逆罪等)によってエルサレムの郊外で処刑されたという話になっています。
福音書の記述によれば、イエスは十字架での死後3日目に復活し、復活の
初期キリスト教信仰について①
聖書には、おおきく「新約聖書」と「旧約聖書」という二つの部分に分けられますが、この「新約聖書・旧約聖書」という呼び方はキリスト教における呼び方であって、キリスト教が生まれ出る母体となったユダヤ教においては、こうした呼び方はしません。ところが日本語の「新約聖書」を読むとわかりますが、本文に「聖書」という言葉が用いられており(イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違い
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