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初期キリスト教信仰について⑧

キリスト教信仰の成立

初代エルサレム教会が抱えた問題

・そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。(使徒言行録6:1)

 使徒言行録には記載がありませんが、およそ「初代エルサレム教会」における一つの権威として「生前のイエス」に従っていた人たちの存在がありました。パウロの直筆の手紙である「ガラテヤの信徒への手紙」で、パウロは「初代エルサレム教会」について、主要な人物として最初に「ケファ」の名前を出しており、次に「主の兄弟ヤコブ」を挙げています。そして、他にも複数の「使徒」が存在したことを残しています。

・それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わずただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。(ガラテヤの信徒への手紙1:18~19)

 すなわち、タルソス出身のパウロにとって「ケファ」(『ペトロ』でない点に注意)は、「初代エルサレム教会」における代表的な人物として知られていたようであり、「主の兄弟ヤコブ」に面会したとしています。もちろん、その他にも「使徒たち」が居たことは確かですが、パウロが「他の使徒たち」の名前を記さず、「ケファ(岩という意味のアラム語)」と「主の兄弟ヤコブ」だけ、名前を挙げていることから、この二人の人物が、初代エルサレム教会の実質的な指導者であったことが考えられます。

 そして、「初代エルサレム教会」は、使徒言行録6章1節の記述によれば、かなり早い段階で①「ヘブライ語を話すユダヤ人」グループと、②「ギリシャ語を話すユダヤ人」グループの二つが存在していたことがわかります。当然「ケファ」や「主の兄弟ヤコブ」は①「ヘブライ語を話すユダヤ人」に属しており、それゆえに「初代エルサレム教会」は、「初期ユダヤ教」による慣習的な性格を持っていたことが考えられるのです。

 たとえば「ヨハネによる福音書」には以下のような記述があります。

・――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――(ヨハネによる福音書4:2)

 4つの福音書を読むと分かりますが、「イエスが~に洗礼を授けた」という記述はありません。それにも関わらず、「洗礼」がキリスト教の儀式として、聖礼典と定められたとは、「洗礼は、教会の信仰」であり、「洗礼は、弟子たちの信仰」であるという事です。マタイ・マルコ・ルカ福音書では、ペトロやアンデレをはじめとする使徒たちは、「イエスの弟子」として紹介されますが、「ヨハネによる福音書」では、ペトロとアンデレは「元々洗礼者ヨハネの弟子であった」とされています。すなわち、初代エルサレム教会は、イエスの弟子たちによる活動によりますが、「初期ユダヤ教」に端を発する要素を多く含んでいたのです。そうした「初期ユダヤ教」の慣習的な価値観に因るものが「女性に対する感覚」です。初代エルサレム教会はそうした「初期ユダヤ教」の慣習に従って生活しており、エルサレム以外の地域に生活していたユダヤ人と異なり、「女性に対する配慮」を異にしていたのです。当然「ヘブライ語を話すユダヤ人」の人たちは、「やもめが軽んじられている」ということの問題意識を持っておらず自分たちは全く「やもめを軽んじている」とは考えませんでした(だから、ギリシャ語を話すユダヤ人から苦情が出た)。そのため「初代エルサレム教会」の価値観は「初期ユダヤ教」の価値観とは、差異が大きくなってきたのです。そこに新たに「離散のユダヤ人」たちによる、新しい価値観が「初代エルサレム教会」にもたらされることになったのです。

「初代エルサレム教会」の二種類の人たち

 初代エルサレム教会には、上記のことから「2種類のユダヤ人」の存在が分かります。それは①「ヘブライ語を話すユダヤ人」と②「ギリシャ語を話すユダヤ人」であり、この両者は「母国語の違い」という以上に、①はおよそエルサレムに生まれ育ったユダヤ人であり、②は、エルサレム以外で生まれ育ったユダヤ人であり、当時の初期ユダヤ教においては、おそよ年3回程度、エルサレム神殿を詣でる必要性があり、そのため②の「エルサレム以外で生まれ育ったユダヤ人」、言い方を変えれば「ディアスポラ(離散)のユダヤ人」で、「キリスト主義のユダヤ教」になった人が多かったことを意味するのです。そして、およそ初代エルサレム教会は組織的な改変が行われることになるのです。

ギリシャ語を話すユダヤ人グループの躍進

・そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せようわたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。(使徒言行録6:2~7)

 「初代エルサレム教会」は、上述の「やもめ」に対する「信仰上の問題」によって、大きく組織改編へと進みます。この組織改編によって、「使徒」と呼ばれた人たちは、教会運営から退き(事実上の引退)、新たに7人の指導者によって「初代エルサレム教会」の運営は執り行われるようになるのです。ここで特筆すべきは「ヘブライ語を話すユダヤ人」は、「初代エルサレム教会」の運営から事実上、手を引いて、その名前から「ギリシャ語を話すユダヤ人(離散のユダヤ人)」へと実質的指導者が切り替わったのです。

 そして、「初代エルサレム教会」は、ある種、「新生の初代エルサレム教会」となり、この「信仰の刷新(おそらく男女平等)」によって、エルサレム神殿に使える祭司たちまでこの信仰へと入ったのでした。ところが、そのように「初代エルサレム教会」の「信仰の変化」は、少なからず本体の「初期ユダヤ教」のあり方と異なるものであり、それが次第に問題となっていくのでした。

・ところが、キレネアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州アジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。(使徒言行録6:9)

 その結果、ローマ帝国治世下におけるキレネアレキサンドリアキリキア州アジア州「離散のユダヤ人/ギリシャ語を話すユダヤ人」によって、「初代エルサレム教会」の信仰に対する告発が行われ、この時、初代エルサレム教会で指導的立場にあった「ステファノ」が捕らえられ、殉教するという出来事が起こったのです。

・人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。(使徒言行録7:57~58)

 そして、「使徒言行録」はステファノの殉教の時に、サウロ(後のパウロ)が居たことを報告していますが、「使徒言行録」はパウロが「同じ場所に居ただけで、ステファノの殺害には加担していない」ことを証ししています。もちろん、これは「使徒言行録」によるもので、「パウロがステファノの殺害と無関係であることのアピール」にあると思います。

・サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。(使徒言行録8:1)

・一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。(使徒言行録8:3)

キリスト教会の拡散とパウロ(サウロ)の登場

・わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いていますわたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。(ガラテヤの信徒への手紙1:12~17)

 「使徒言行録」はパウロ(サウロ)の回心体験を、極めて詳細に語っていますが、その詳細さは、パウロの直筆の手紙である「ガラテヤの信徒への手紙」を超えます。パウロが自身の回心体験について語っている言葉は、正典の中ではこれだけで、多くの場合「使徒言行録におけるサウロの回心体験」を先に読むことが多いため、その後、ガラテヤの信徒への手紙にあるパウロの記述を読んでも、印象が薄く、そのため、記述されていることが多いわりには、何となく納得してしまうことが多々あります。

 「ガラテヤの信徒への手紙」にあるパウロの記述をもとにすれば、およそ使徒言行録において「解放された奴隷の会堂」(使徒6:9)のように、エルサレムよりも、それ以外の地域における「離散のユダヤ人」の方が律法において精通しており、それゆえにパウロがガラテヤの信徒への手紙で書いているように、「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心であった」ということを語っています。これは紀元前1世紀ごろにいわゆる『七十人訳聖書』として知られるギリシャ語で書かれた最古の聖書で、「聖書」とは言いますが、今日の『聖書』とは部分的に同じですが、かなりの部分において異なります。パウロの手紙に出てくる「旧約聖書の引用」は『七十人訳聖書』からの引用であることが分かっており、この『七十人訳聖書』が「初期ユダヤ教」におけるひとつの権威であり、今日における新約聖書の本文において「聖書」とある場合、この『七十人訳聖書』を指すことが多い、というところです。

 ただし、「使徒言行録」のパウロの回心の記述はかなり違いがあります。しかし、およそ「ダマスコ」においてパウロが信仰を持ったことは、「ガラテヤの信徒への手紙」と共通しており、その点においては確かであると言えると思います。

初代エルサレム教会の使徒たちによる、エルサレム以外の土地への宣教活動

・さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。(使徒言行録8:4~5)
・エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロヨハネをそこへ行かせた。・・・(中略)・・・人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。(使徒言行録8:14~17より)
フィリポアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。(使徒言行録8:40)

 「使徒言行録」では、「パウロの宣教旅行」が有名ですが、エルサレムの「初期ユダヤ教」の人たちからの迫害によって、初代エルサレム教会の使徒たちはエルサレム以外へと宣教を行います。使徒言行録8章では「使徒フィリポ」がサマリア地域、パレスチナの地中海沿岸の都市、またエチオピアの高官に対する宣教を行った報告がされており、パウロの宣教活動以前において、そうした地域への宣教が行われたことが示されています。

 また、同様に「使徒ペトロ」「使徒ヨハネ」もまた、エルサレムの「初代エルサレム教会」からそうした地域に派遣され、そうした使徒たちが「聖霊を授ける権能を持っていた」ということを記述しています。つまり、「ギリシャ語を話すユダヤ人」による宣教活動がエルサレム以外の地域に展開すると同時に、また「使徒たち」も宣教活動を行うと同時に、「聖霊を授ける役割」をになっていたことが伺えます。

パウロの回心とエルサレムで、使徒たちに会見する

・サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。また、ギリシア語を話すユダヤ人語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。(使徒言行録9:26~31)

 パウロの回心からエルサレムで使徒たちに会見する記事は、使徒言行録15章にも同様の記述があり、色々と複雑です。そのため、パウロが回心後、何回エルサレムに上ったのかということと含めて15章のところで取り上げたいと思います。

 使徒言行録9章においては、ただパウロが回心後、エルサレムに行き使徒たちに会見したこと、そして、「ギリシャ語を話すユダヤ人」たちとパウロとの関係性が、極めて険悪であることを踏まえておくと良いです。なぜなら、「ギリシャ語を話すユダヤ人/離散のユダヤ人」とは、もともとパウロが所属していたグループであり、エルサレムのユダヤ人以上に「ユダヤ人であること」を重要視していた人たちであったからです。しかし、それはパウロに始まったことではなく「初代エルサレム教会」の人々は、そうした人たちと信仰において確執があった、ということです。

 その為、「初期キリスト教の宣教活動」とは、「積極的なエルサレム以外への宣教」ではなく、「迫害を逃れるかたちで、エルサレム以外の離散のユダヤ人の集団/ギリシャ語を話すユダヤ人に対して宣教していった」という事である、ということです。

 次回は使徒言行録10章からを見ていきます。

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