永野 健一

1999年3月に日本ナザレン神学校を卒業し、その後、同日本ナザレン教団の藤沢教会、出雲教会で牧会し、現在、日本ナザレン教団 五井教会(2018~)の牧師をしています。

永野 健一

1999年3月に日本ナザレン神学校を卒業し、その後、同日本ナザレン教団の藤沢教会、出雲教会で牧会し、現在、日本ナザレン教団 五井教会(2018~)の牧師をしています。

マガジン

  • A New New Testament の私訳

    Hal Taussig博士監修の『A New New Testament』の日本語への私訳です。

  • 『聖書』に見る初期キリスト教の信仰

最近の記事

3.2つの驚くべき物語:伝統的な新約聖書はいかにして生まれたか、新・新約聖書はいかにして生まれたか。

 『新・新約聖書』に初めて出会ったとき、人々はいくつかの基本的な疑問を抱くでしょう。 誰が伝統的な新約聖書に新しい書物を加えることを選んだのか? 誰の考えでこのプロジェクトを始めたのか? なぜ、従来の新約聖書に新しく文書を追加するのか? 新しい文書を選ぶ経緯と根拠は何だったのか? どれくらいの時間がかかったのか? どのような文書が選ばれなかったのか、またその理由は?  あまり目立たないかもしれませんが、それに劣らず衝撃的で、本書の使命に織り込まれているのが、この問いかけと答え

    • ・2.『新・新約聖書』について: 概要

      『新・新約聖書』について:概要 伝統的な新約聖書にはどのような書物があるのかと尋ねると、一般の人は笑ってしまうでしょう。伝統的な新約聖書の4つの福音書を知っている人は、全体の50パーセントくらいでしょう: マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。  マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書を知っている人は全体の5割程度で、大半の書物の名前すら知らない人は1割にも満たないのではないでしょうか。新約聖書を真面目に読んでいる一般の教会に通う人々でさえ、書物の名前も覚えないし、ましてや、

      • 1.旧世界からの新文献の発見

        旧世界からの新文献の発見 『新・新約聖書』に含まれる新しい文献はどこから来たのでしょうか?  その答えの一つは、最近相次いで発見された魅力的な古文書と関係があります。これらの新しい書物の写本はどこで発見されたのでしょうか? それらは何なのか? また、そうでないものは何なのか?  発見された状況を知ることで、そのすべてが説明できるわけではありませんが、その文献が私たちの生活にどのように入り込んできたかを位置づけることができます。実際の写本として見ることで、古代世界特有の習慣や技

        • 序文(A New New Testamentの始まり)

          始まりは一本の壺から:  『新・新約聖書』に含まれる強力で挑発的な文書は、多くの人にとって疑問、インスピレーション、感動といった様々なものを必然的に起こすでしょう。  たとえば、これらの新しい文書はいったいどこから来たのか? なぜ、これらの文書は従来の正典である『新約聖書』に含まれなかったのか? また、この『新・新約聖書』と従来の『新約聖書』とは一体何がちがうのか? これを一緒に読むと一体わたしたちに何が起こるのか? また、紀元1世紀のイエスが生きていた時代から後で、一体何が

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        • A New New Testament の私訳
          23本
        • 『聖書』に見る初期キリスト教の信仰
          17本

        記事

          「使徒パウロの祈り」について

          「使徒パウロの祈り」について この祈りは、ナグ・ハマディ文書の最初の写本の最初のページに書かれています。この祈りは、他の51の文書の読者にとって、明らかに精神的な訓練となるものでした。癒しを求め、深い賛美を捧げ、神とイエスとの一致を願うこの祈りは、ナグ・ハマディが4世紀に編纂される以前から、多くの場面で使われていた祈りである可能性が高いです。しかし、この祈りの写本は、ハマディで発見された文書が唯一のものです。  この祈りがパウロ自身から出たものである可能性は低いです。パウロの

          「使徒パウロの祈り」について

          「真理の福音書」

          「真理の福音書」1:1)真理の父から恵みを受けた者にとって、真理の良い知らせは喜びであり、それは、満ち足りるところから生まれ、父の思いと心にある御言葉の力によって、彼を知ることができるようになるためです。 1:2)彼らはこの方について、「救い主」と語っているが、これは、父を知らなかった人々を贖うために行うべき業に与えられた名前である。 1:3)また、「良い知らせ」という名は、希望の啓示であり、これこそ、彼を求める者の発見だからである。 罪(Transgression)と忘却

          「真理の福音書」

          「真理の福音書」について

          「真理の福音書」について "真理の福音は喜びである "はこの文書の最初の言葉であり、生き生きとした感覚、関与、熟考、内面の豊かさに溢れる文書全体の力を伝えています。マタイ、マリア、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書とは異なり、「真理の福音書」には中心的なストーリーはありません。その代わりに、この福音書は、予測不可能にほとばしる、蛇行する小川のようなものです。喜び、充足感、官能に溢れるこの福音書は、時折、詩や手紙、恍惚とした説教のように聞こえます。例えば、19章では、恍惚と詩的な表現

          「真理の福音書」について

          「マリアの福音書」について

          「マリアの福音書」について 「マリアの福音」は、一般にはあまり知られていませんが、この25年間で、多くの人に新しい可能性をもたらしました。この福音書は、女性を主人公とする最初の、そして唯一の福音書です。このマリア(マグダラの可能性が高い)は、イエスの腹心であり、ギリシャ哲学に精通し、イエスが去った後は弟子たちのリーダーとして(やや物議をかもす)描かれています。  この福音書が書かれたのは、マタイによる福音書やエフェソの信徒への手紙よりも早く、異端の闘士エイレナイオスよりも遅く

          「マリアの福音書」について

          トマスの福音書

          これらは、生けるイエスが語られ、双子のユダ、トマスが書き留めたベールに包まれた言葉である。 1:1)そして彼は言った: "これらの言葉の意味を見いだす者は、死を経験することはない"。 2:1)イエスは言われた: "求める者は、見つけるまで求め続けなさい。 2:2)そして、その者が見つけると、心を乱され、いったん心を乱されると、畏れ多くなり、万物の上に王として支配されるであろう。" 3:1)イエスは言われた: "もし、あなたがたを導く者が、あなたがたに宣べ伝えるなら 本

          トマスの福音書

          使徒パウロの祈り

          1)大いなる慈しみをもってわたしを憐れんでください、わたしの贖い主よ、わたしを贖ってください、わたしがあなたのものであるように。 わたしの全てはあなたのものだからです。 2)あなたこそ、わたしの魂、どうかわたしの内に宿り給え。 3)あなたこそ、わたしの宝、わたしの内に満ち溢れてください。 4)あなたこそ、わたしの豊かさ、わたしに受けさせてください。 5)あなたこそ、わたしの憩い、どうか永久の平安を得さてください。 6)わたしはあなたに祈ります。古より居まし、今居まし

          使徒パウロの祈り

          マリアの福音書

          救い主は物質と罪、そして善について教えられた1:1)救い主は物質と罪、そして善について教えられた。 2:1)(注26)物質は破壊されても破壊されなくてもよいのですか? 2:2)救い主は答えた。「すべての自然界にあるもの、すべての形態、その中に存在し、他のものと共にお存在するすべての被造物について、 2:3)そうした万物は、各々がどこから発生してきたのか、その過程を解決するであろう。 2:4)物質の内にある自然は、その状態から解放されてそのもともとの自然である根源に返る

          マリアの福音書

          「トマスの福音書」について

          「トマスの福音書」について 「トマスの福音書」は、イエスが語ったとされる114の言葉から構成されているため、教師としてのイエスの姿を新たに見ることができます。これらの言葉は、マタイ、マルコ、ルカの約50の言葉と同じか類似しており、21世紀の読者の耳には、50以上の言葉が新しく映ることになります。トマス福音書は、ナグ・ハマディにある52の文書の中で最も多くの学術的、社会的関心を集めているものでもあります。  ニューオリンズ協議会は、トマス福音書を『新・新約聖書』の最初の福音書と

          「トマスの福音書」について

          「雷:完全な心」について

          「雷:完全な心」について  「トマス福音書」を除いて、ナグ・ハマディ文書の中で「雷・完全な心」ほど20世紀から21世紀にかけて興奮をもって迎えられたものはありません。この「雷」を最も積極的に受け止めてきたのは、芸術界でした。ノーベル賞を受賞した小説家トニ・モリスンは、「雷」の引用を小説『ジャズ』と『パレード』のエピグラフとして使っています。ウンベルト・エコは小説『フーコーの振り子』の中で「雷」を取り上げました。ジュリー・ダッシュ監督の受賞作『Daughters of the

          「雷:完全な心」について

          雷:完全な心

          1:1)わたしは力から送り出された わたしは、わたしを熟慮してくれる人たちに来ました そして、わたしは、わたしを探し求める人たちによって発見された 1:2)わたしを見て、わたしを見つめる全ての人よ 観客よ、わたしに聞け わたしに期待する者は、わたしを得る 1:3) だから、あなたの視界からわたしを追い出さないで あなたの声や耳でわたしを憎まないで 1:4) 何時でも、どこであっても、わたしを無視しないように 注意して。わたしを無視しないで 1:5) わたしは始まりであ

          雷:完全な心

          『新・新約聖書』の誕生とグノーシス主義における内省

          ~Giving Birth to A New New Testament and Retiring(注80) the Idea of Gnosticism~ ~~~(注80) このグノーシス主義における「内省(retiring)」の概念はカレン・キング(Karen King)氏の働きによるもので、特に、彼女の『What Is Gnosticism?』、pp.218-36からの引用に基づくものです。~~~ 『新・新約聖書』の誕生とグノーシス主義における内省 21世紀における

          『新・新約聖書』の誕生とグノーシス主義における内省

          『新・新約聖書』の手引き

          始まりは一本の壺から:  『新・新約聖書』に含まれる強力で挑発的な文書は、多くの人にとって疑問、インスピレーション、感動といった様々なものを必然的に起こすでしょう。  たとえば、これらの新しい文書はいったいどこから来たのか? なぜ、これらの文書は従来の正典である『新約聖書』に含まれなかったのか? また、この『新・新約聖書』と従来の『新約聖書』とは一体何がちがうのか? これを一緒に読むと一体わたしたちに何が起こるのか? また、紀元1世紀のイエスが生きていた時代から後で、一体何が

          『新・新約聖書』の手引き