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自筆短編 「テラス3番席の彼」

テラス3番席の彼

ここは石畳の道にレンガの建物が並ぶ、そんな通りにあるひとつの店。
店内には小さな赤い絨毯の敷かれたステージがありそこにはグランドピアノが置かれている。
珈琲の香りと煙草の煙。
そして奏者の弾くカーペンターズのclose to youがゆったりとした時の中で流れている。
ここはヨーロッパ最古のカフェと謂われているヴェネチアのサン・マルコ広場にあるカフェ「フローリアン」をイメージして作られたそうで、この界隈では人気のあるお店だ。

ウエイトレスの咲希はテラス席の客をみている。
同僚が声をかける。
「テラス3番さんまた来てるわね。あなたのお気に入りの」
咲希は作り笑いだけを返して、また仕事に戻った。
その客はベージュのコートに紺色のマフラーをして、長い髪を後ろに纏めている男性で、ここ半年毎日の様に来店してはきっちり1時間、15時から16時、テラス3番席で珈琲を飲んで、帰っていく。
初めて来店した日の事も咲希はよく憶えている。
その日も彼は15時きっかりにその席に座って珈琲の注文を私が受けた。
ただ、その最初に来た日は16時に帰る時のお会計で、私はなんだか恥ずかしくて顔を上げられなかったのだけど、お釣りを渡す時に勇気を出してチラッと顔をみた。
端正な鼻筋の通った綺麗な顔であったが、なんでだろう、私には彼が泣いている様にみえた。

それからは週に4日くらい彼はこのお店に来る様になって、同じ席、同じ時間を過ごすのだ。
私の同僚はここのお客さんと結婚した人もいて、みんなに「声をかけてみれば?デートに誘ってみれば?」そんな風に言われたりしている。
私もまだ20代とはいえもう立派な大人だ。
この半年間何もしなかった訳じゃない。
みんなも気を使ってテラス3番の彼の接客は私に譲ってくれるので、
「今日は暑いですね」
「今日は少し冷えますね」
そんな程度の会話だけれど、ちょっとだけ話せる様になってきた。
彼はそんな時、とても優しく返事をしてくれた。
見た目は立派な男性なのに、なんだか少年の様な笑顔をする。
でもなんだろう。
悲しそうな感じがするのはなんでだろう。
せっかくやめられた煙草をまた吸い始めたのも、
私の吸っていた銘柄と同じ、
彼のマルボロを吸う姿に憧れたからだ。

また少し時が経ちそれはクリスマスイブの日だった。
この2日間はみんな休みたがるのだが、もちろん私は一緒に過ごす様な人は誰もいないので仕事に入る事にした。
いや、実は期待していた。
彼はクリスマスにも来るのだろうか?
朝家を出る前に鏡のまえでお化粧を整えた自分の顔をまじまじと見ながら、
彼は今日も来てくれるかな。
そればかりを考えていた。

何も確証なんてないけれど、
この日にもここに1人で来るのなら、
恋人はいないのかな。
そんな期待を持って私は働いていた。
今日の店内はカップルだらけだ、着ている洋服や髪型もなんだかいつもより華やかで、あちこちの席でプレゼントを渡し合って驚いたり、喜んだり、みんな幸せそうに笑っている。
私は時計をちらちらと見ながら働いていたせいか、今日はなんだか時間が経つのが遅い気がする。
そしてやっと15時になった。
彼は来た。
私は覚悟を決めた。
今日こそ、彼を誘おう。
帰る時間の16時に、お会計の時に声を掛けよう。

今日も店内ではピアノ演奏がされていて、
カーペンターズのclose to youが流れていた。

彼が来てから30分くらい経った頃だったろうか。
当番のテラス席の水やりをするのに彼の席の隣を通った時、テーブルの下の膝の上がちらりと見えた。
小さなブーケを彼は膝の上で握っていた。
私はそれを見て目線を上げた。
彼は泣いていた。
表情を変えずに、涙だけが頬を伝っていた。
その時私は気づいてしまった。
もちろん事情までは分からないけど、
彼はずっと待っている人がいたんだと。
悲しい気持ちになった。
私が彼の待っている人になりたいと思った。
彼は今日も一人で16時までテラス3番席で愛した人を待っていた。

私は帰り際何も言わなかった。
彼はいつもの様に少し微笑んで店を出て行った。
私もいつもの様にそんな彼を見送った。

Merry Christmas
May your wish come true
貴方の願いが届きます様に

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