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人間考察 「言葉と肉体」

言葉と肉体

ある作家が度々この言葉を口にしていた。
それは「言葉と肉体」
その作家は、私は言葉が先に来て、後から肉体が来た。そう言っていた。
私の場合は肉体が先に来た。
少年時代から運動をして過ごしてきて、後から言葉が入ってきたのだと思う。
最近事情があり毎日いわゆる肉体労働をして日々を過ごしていると、言葉が置き去りになっている様に感じる。
以前ほど言葉がすらすら出てこなくなるのを実感する。
この、ある作家は、言葉の後に肉体を手に入れた後はすぐに世を去った。
私が問いたい事はここにあって、言葉と肉体の共存は果たして可能な事なのか?
その疑問が今は頭の中を占めていて、その答えが出ないでいる。
例えるなら農耕民族と狩猟民族の様に、その両方を持ち合わせる事は難しい事なのだろうか?という疑問。
この作家はもうひとつ似たような問題提起をしている。
それは「行動が先か認識が先か」という事である。
これにこの作家はこう付け加えている。
戦争中、行動した者達は死んでいったにも関わらず、認識が先で行動をしなかった者達は生き残ったじゃないか。
つまりこれは、認識を豊かにした人達は戦争に行かせた側、行動あるのみであった人達は行かされた側として死んでいったという事だ。
その作家はそれを「美しくない」と表現している。

この話しは先述した通り答えはないのだけれど、
考える必要はこの令和の時代にも、私はあると思うのです。

まっ、今出来る事を精一杯やる。
結局現実にはそれしかないんですけどね。

いつの日か、素敵な答えに辿り着けます様に。

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