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くって

くっている。食べ物を普通に食べている。普通にエンジョイしている。食べ物がおいしい。

不食の人たち、老化しない食べ物、本を読んできた。ネットでも栄養について調べて、食べ物を軽く制限して生きた。

最近、急に吹っ切れた。前までは、これを食べるとAGE多いんだよなとかいろいろ考えていた。おそらく、それに対する意識が消えてきた。

意識が消えるというのにも二つ分岐点があるだろう。一つは、関心がなくなった。もう一つは、無意識に意識している。おそらく、後者ではあるが、負担が中和されていることだろう。

食べ物にはこだわるタイプだ。こだわるタイプだからこそ、幸せを失うといわれるが、食べ物はこだわってなんぼな気がする。中に入っている物質もそうだし、食べ物の品質もそうだ。昔から、賞味期限が切れたものも食べたことがない。

文字に表していると、ずいぶん贅沢なやつだと思うが、意外とそうでもない。

新しいことに触れると時間の経過を遅らせることができる。これは、食べ物にも応用されているのではないか。食べ物も、いつも同じものを食べているのではなく、いつも違うものを食べたら記憶に残りやすいと考える。だが、食事に時間をかけることを促しているわけではない。

お昼は、手っ取り早く済ませて昼寝をしたほうがいい。そのほうが効率が上がる。最近は、昼寝を確保する時間がないので、自分としてはもやもやしている。

食事は、簡略化されている。簡略化といっても、料理の話だ。炊飯器があれば、決まった時間にご飯が炊きあがる。だが、土鍋とかで米を炊く場合は、人の手が加わらないと炊きあがらない。いいころ合いまで、付き添って、ふたを開ける。

お茶は、お茶パックを揺らせばお茶ができる。現代人は特に時間がない。だが、今に焦点をしっかりとむけ、ニヒリズムを否定する。

それが、朝、お茶を入れるところだ。火にかけて、入れるところまでをじっくりと待つ。自分でその瞬間を見ながら、ぼんやりする。ぼんやりと工程を進めていく。

料理を一から作ると、頭も働くし論理的になる。食べるときの理解も膨らんでいく。やりようによって、限界は見つからないであろう。

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