心を揺さぶられたい?
感動とは、なんでしょうか?
自分でするもの?
それとも、させられるもの?
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「感動させられた」と受身で使うことは問題ないけど、
「誰か私を感動させて」といった「白馬の王子様症候群」の人が増えているのでは、という話。
以下、内容要約&感想です。
れっつ、揺さぶり!?(なんだそれ)
✅「心を揺さぶられる」とは?
「感動する」と同じ意味で使われるが、最初から他動詞の受身。
でも、実際に心を揺さぶっているのは自分。
自分の頭脳が、自分で考えて、自分で感動している。
「心」は実在しないが、それがあると見せているのも頭脳。
✅「感動させてやろう」という姿勢が見えるものが増えている?
多くの人はそれに身を任せるようになり、鈍感になっている。
わかりやすいもの、お決まりの記号的な刺激でしか感動できない。
ピストルの音と同時にスタートできるような反射神経で感動しているようなもの。
✅「感動」とは?
気づく人もいるし、見逃してしまう人もいる。
でも、種を蒔いておく。
仕掛けはするけれど、人の心を揺さぶろうなんて考えたら、それは見当違い。
だって相手はロボットではなく、人間なのだから…という話でした。
感想
「優しく湧き上がるような発見」が感動ではないか?
この言葉に、ハッとしました。
わかりやすいもの…
お決まりの記号的な刺激…
みなさんは、どんなものを思い浮かべますか?
…
私が思い浮かんだものは、テーマパーク。
当然プロが世界観を作り込んでいるから、「楽しませてもらえる」ことが確定している。
お金と引き換えに「揺さぶられたい」「感動させてもらいたい」欲を満たしているのかも?と思いました。
もちろん、テーマパークの良し悪しの話ではありません。
ただ、分かりきっている感動体験よりも、思いもよらないところで新芽を発見するような、じわじわと湧き上がる感動…。
そんな小さなことに気がつけるような、敏感さを持ち合わせていたいなあ…と、思ったのでした。
ではまた!
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チップとデールは、ディズニーのキャラクターであるシマリスの仲良しコンビです。私はチップ推しです。