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「健全な負債感」ってなんだろう?

なんでしょうか?

西国分寺で「クルミドコーヒー」というカフェを経営している影山知明さんの本に、載っていた言葉。

人はいい贈り物を受け取った時、
「いいものを受け取ったな。もらったもの以上のもので、なんとかお返ししたい」と考える人格がある、という話。
(※以下本の要約です。)

✅「いいものを受け取る」とは?

カフェで、くるみ餅という商品を販売する。
価格は1000円。
「いいものを受け取っちゃったな」と感じた場合→「1000円以上支払ってもいいのにな」と感じる。
すると、リピーターになるかもしれない。
まわりの人に紹介してくれるかもしれない。
直接お店に返ってこなかったとしても、「受け取った」ことによる健全な負債感が、電車でおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。

「いいものを受け取る」ことは、その人を次の「贈り主」にすることではないか?

✅健全な負債感とは?

ここでいう「負債感」とは

「受け取っているものの方が多いな」
「返さなきゃな」

という気持ちを背負うこと。

必ずしも義務感ということでもなく、本当にいいものを受け取ったとき、感謝の気持ちとともに人の中に自然と芽生える、前向きな返礼の感情のこと。

そして、クルミドコーヒーがポスティングをやっていない理由は…

どんなお客さんとも「初めて出会う」チャンスは一回しかない。10%オフのクーポンを握ってお店に来てもらうよりは、せめてフラットに出会いたい。

書籍より引用

そして、お店から「贈り物」を受け取ってもらいたい、という話でした。

感想

「健全な負債感」、面白い表現だなーと思う同時に、この負債感を負ったことがあるな、と気が付きました。

私は、勝間和代さんの本やブログ、YouTubeなどの発信により、日々の料理や思考にかなりの変化がありました。

調理家電が使いこなせるようになったのも、勝間さんのおかげ、と言っても過言ではありません。

「え、この情報無料でいいの…?」
「この感謝の気持ちを伝えたい…」

なのでYouTubeにコメントしたり、書籍はだいたい購入してます。

そういえばnoteを始めたのも、「調理家電の良さを他の人にも伝えたい」というところからでした。

先輩に親切にしてもらったら、先輩にお礼を言うのもいいけど、「後輩に同じことをしてあげよう(してあげたい)」というのも、「健全な負債感」から発生するものなのかな?と。

そして、noteも同じかもしれません。

「この記事、無料でいいの?」
「すごく面白い…!!」

みなさんも、このように思ったことがあるのではないでしょうか?

良いなと思った記事は、コメントしたり自分の記事で紹介したりしています。

「記事」という贈り物を受け取って、次は自分が贈り主になる。
特に意識はしていませんでしたが、この受贈関係?はnoteにも存在するなあ…と思ったのでした。

と同時に、世界がこんな関係だけで成り立っていたら素晴らしいけど、そんな訳もないよな…と。

ギバーもいれば、テイカーもいる。
その中間のマッチャー(合ってる?)もいる。

これについては書き出したら難しそうなので、また別の機会に。(あるのか?)

******

みなさんは、「健全な負債感」を負ったことはありますか?
それはどんな時でしょうか?

よかったら教えてくださーい!

ではまた。

〈あとがき〉
「いい贈り物」にも色々ありそうだなと思います。そもそも、いいか悪いかは、受け手が決めることであって、贈り主が決めることではないですよね。
余談ですが、「有益な情報をお届け」って書いてある記事を見ると「決めるのは受け手ですから!残念!」と思う私は、ギター侍なのかもしれません。何言ってるんだろう、私。今日もありがとうございました。


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ようこ
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