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「ちゃんと」から考えるユーモアの重要性。

「ちゃんとしてください。」

仕事で受け取ったメールの文末に書いてあった一言。

一般のお客様からのメールで、たまに見かける表現である。

要するに

・自分は○○してほしかった
・でも、それがなされていなかった
・だから「ちゃんと」してほしい

こういった内容。

実際には、会社としては「ちゃんと」対応していたが、先方の確認ミスで、このようなご意見を頂戴した。

まあ、仕方ない。

仕方ないのだが
「ちゃんと」という文言に、軽く憤りを感じたのもまた事実。

なぜ憤りを感じたのか?

おそらく、「ちゃんと」という曖昧な言葉を投げかけてくることを、少し乱暴に感じたから?だと思う。

「ちゃんと」の基準は人それぞれ。
自分の「ちゃんと」を、人にも強要するのは違うのではないか?

…と書いている自分、客観的に見て面倒くさいなと思う。

でも書きはじめてしまったので、最後まで完走することにする。

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「ちゃんと」してくださいという、少し乱暴とも思える言葉。

不快に思ったとしても、基本的に他人を変えることはできない。

そういう場合、対象人物と距離を置くのが一番。
だが、そうもいかない時もある。
今回のケースも、それである。

そんな時、どうするか?
「ちゃんと」にどう向き合うか?

私は真面目に考えた。
すごく真面目に考えた。
すると…頭の中に、ある1人の子どもが浮かんできた。

それは、イクラちゃんである。

「ちゃーん」と言って笑顔を振りまく、サザエさんに登場する、あの男の子である。

そう…
「ちゃーん」と である。

お分かりだろうか?

つまり、理不尽な「ちゃんと」の強要に遭遇したら、脳内でイクラちゃんのそれに変換するのである。

「ちゃーん」

withイクラちゃんの笑顔。

イクラちゃんが、「ちゃーん」と自分の家を訪問してきたシーンを想像してほしい。

おそらく、多くの人は目を細めて
いらっしゃい
とあたたかく受け入れるのではないだろうか?

少なくとも、「帰れよ」と突き放すことはしないはずである。

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一体、この人は何を言っているのだろう?

そんなことを思っている人も、何人かいらっしゃるだろうと想像する。

要するに、「ユーモアは大事」ということである。

以前読んだ本にも、ユーモアの重要性について書かれていた。

ちなみにこの本には、「ちゃんと」をイクラちゃんに変換しろ、とは一切書かれていない。

書かれていないが、ニュアンスとしては同じよううなことが書いてあったと思う。

冗談を言い合えるような関係・空間って仕事にも良い影響を与えるよね、みたいな内容だったかと。

なんて曖昧な説明なのだろう。
自分でもいい加減だな、とは思う。



「ちゃんと」してくださいと言われても、仕方がないのかもしれない。

<あとがき>
「ちゃんと」「きちんと」「しっかりと」あたりは、曖昧な表現だなあと思います。とはいえ、自分を振り返ってみると…「ちゃんと食べてよ」などど、子どもに「ちゃんと」を強要していたかもしれません。偉そうなこと書いておいて、自分も出来てないじゃん。今この瞬間から気をつけます(何の宣言)
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