知った気になっているだけ、という話。
どんな話?
毎週日曜日は、「ひろがるスカイプリキュア」を見ている。
放送後、娘が「プリキュアの絵、描こう!」と言うので、一緒にお絵描き。
誰得ですが、私が描いたイラスト公開。
エルちゃん、結構かわいく描けたと思う(自画自賛)
テレビで見ているキャラクター。
頭の中にイメージしていても、実際見て描いてみると、色々知らなかったことに気がつく。
ちょっと分かりにくいが、エルちゃんの髪型は、羽が生えたようなシルエットになっている。
羽の髪飾りもつけている。
これ、テレビで見ていただけでは気が付かなかった。
そして、アニメ冊子を見ただけでも気が付かなかった。
「描く」という目的があって、目的のために細部を見て、手を動かす過程で、初めて気がついたこと。
知っているようなつもりだったけど、やってみると知らないことがある。
何を当たり前のことを…と思ったかもしれないが、これはお絵描きに限ったことではない。
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今読んでいる、ウーマンラッシュアワー村本の本にこんなことが書いてあった。
そしてそれはもったいないことだ、と。
村本の本を読んだとしても、それは村本にはそう見えた、ただそれだけのこと。
人の目線や、心の動くものは様々。
だから本を読むことは、きっかけでしかない。
ネットで調べて情報を知ることはできるけど、心は動いたふりしかしない、と。
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見たことがある、本で読んだことある、noteの記事で読んだ…
でも、それは「知った気になっている」だけなんですよね。
料理なんてまさにそれで、レシピを読んでできるような気になるけど、実際やってみると…だいたい上手くいかない笑
調味料入れ忘れたとか、入れるタイミング間違えたとか。
実際に自分でやってみて、失敗を繰り返す。
それで初めて「知っている」「分かっている」ことになるのかなと。
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noteを読んでいるだけの人に、
「noteの毎日投稿なんて簡単でしょ?ただ書くだけなんだから」
と言われたら、どうでしょうか?
「知ったような口聞いてんじゃねえよ」
って思いますよね?笑
(口が悪いのはスルー)
それと同じなんだろうなって。
「知る」っていうのは、そんな簡単なことではないんだなって。
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すべてを知ることは、できない。
本で読んだ情報その他は、所詮知るきっかけでしかない。
そんなことを考えた日曜日でした。
真面目か。
ではまた。