「あたし」という一人称について考える。
藤井風の「grace」
サビに、「あたしに会えてよかった」という歌詞がある。
この「あたし」を聴いた時、
「あたし」という言葉を心地よく感じた。
浄化される感覚?
え、こんな軽やかなワードだったの?
「あたし」が、違和感なくスッと入ってきたのは、初めてかもしれない。
なんでだろう?
✅「あたし」のイメージ
おそらく私は、「あたし」という一人称にほんのり苦手意識があった。
思い浮かんだのは
「あーたし さくらんぼ」
そう、大塚愛である。
この曲は割と好きで、昔カラオケでもよく歌っていた。
だから、決して嫌いなわけではない。
でもどこかで、ほんのり苦手意識があったのは
大塚愛のことを「あざとい」女性の象徴のように感じていたからなのかもしれない。
あざとい?
なんだろ、微妙な妖艶さ?
妖艶…ではないか?
たとえば、この曲とか。
Oh…あたし。
とにかく、あたし。
網の上で焼かれる、あたし。
あたしの圧が強い。
書いていて気がついた。
私の思う「あたし」=大塚愛、だったのかもしれない。
繰り返しになるが、大塚愛が嫌いなわけではない。
今どんな活動をしているのか知らないけど、
大学時代はアルバムは一通り聞いていて、カラオケでもよく歌っていた。
嫌いだったら、そんなことはしないはず。
✅「あたし」への憧れ?
「あたし」という一人称が苦手と言っておきながら、「あたし」と歌う大塚愛に興味をもっていた私。
これって、
「おまえなんか好きじゃねえよ」と言っておきながら、実は好き…?
もしかしたら私は、
青春病にかかっていたのかもしれない。(?)
✅藤井風の「あたし」
で、はじめの話に戻ろう。
藤井風の「あたし」は、なぜ心地良いのか。
私の中での「あたし」のイメージを、刷新してくれたから?
単純に、藤井風という人間に好意をもっているから?
どちらもあると思う。
あと、「grace」の歌詞には
「私」「わたし」「あたし」が出てくる。
きっとそれぞれ、意味があるのだろう。
詳しいことは調べない。
調べれば出てきそうだけど。
私の感覚でしかないのだけど、
藤井風が歌う「あたし」は、なんだか神の領域にいる人のように感じる。
「grace」のイントロを聴くと、心が浄化される気がするのも、そのせいなのかもしれない。
以前、藤井風の「帰ろう」についての記事を書いた。
「grace」もまた、芯からあたたまるような感覚があった。
例えるなら
サウナ→水風呂からの外気浴で「じわーーー」となる、あの感じ。
(実は割とサウナが好き)
えっと…
つまり…
あたし(藤井風)に会えてよかった。