好き嫌い全開上等。
信用を得るためには、イヤなものはイヤだと明言することが大事、って話。
これ、正しいんだろうなあ。
でも、迷いなくこれができる人って、どのくらいいるんだろう?
たとえば電話。
私、急がない用事の電話に極力出たくない。
人の時間を無駄に奪ってくる人が嫌い。
けど、出てしまう。
なんでだろう?
仕事だから?
仕事の都合上、嫌われると面倒だから…かな?
本によると、昭和初期の貧しい時代には、周りに合わせて生きる謙虚さも必要だった。
でも、そんな時代はとっくに終わっている。
今の日本は、歩調を合わせないと飢餓で苦しむような状況ではないと。
嫌われないように考えて行動するなんて、バカらしくないか?という話でした。
感想
「周りに合わせて生きる謙虚さ」って、昔から当然のように引き継がれてきた、ナゾの思想?のような気がしてきました。
たとえば
・つまらなくても、親戚の集まりに参加しなければならない(そういうものだから)
・炎天下で暑くても、校庭で校長先生の話を立って聞かなければならない(みんな我慢してるから)
思い返すと、こんなニュアンスのことを親からよく言われていた気がします。
私みたいなクソ真面目だった人間(今でも真面目ですが)は
「そうなのか、そういうものなのか」と思ってしまうのです。
「周りに合わせて生きる謙虚さ」って、今でも根強く残ってると思います。
いにしえの言い伝えを、伝言ゲームみたいにしている気がします。
私は親から伝言ゲームで受け取ったけど、子どもには引き継ぎたくないかなぁ。
私、クソ真面目だったので、中学〜高校まですべて皆勤賞です。(←引くところ笑)
「学校は休まず行くもの」だと思ってたから。
多少具合悪くても、パブロン飲んで乗り切る。
皆勤賞なら、内申にも響かないし、指定校推薦のポイントにもなるから。
今考えると、本当にどうでもいいです。
休んだらいいです。
サボってもいいです。
だから、明らかに体調不良ではなさそうな娘が「学校休みたい」と言った時、休ませました。
別に休んだからって、何も起こらないです。
これ読んで、本当そうよなと思って。
だから、会いたくない人がいた集まり、欠席しました。
親戚関係は参加せねばと思ってたけど、イヤなものはイヤだなと。
子どもには許可するのに、自分には許可しないのって変じゃないか?
自分に許可を出さないって、自分に失礼なんじゃないかなーと。
******
ということで、仕事だろうとイヤなものはイヤ。
ムダに電話かかってきたら
「テキストで返信ください」と言おうと思います。
ラララ言えるかな?
ポケモン言えるかな?