青い欠片(かけら)
「十番館パフェやっぱり美味しい」
私がそう云うと、向かいに座っている香奈は、ある物をヒラヒラさせながら、
「これが無ければもっと美味しいのにね」
ため息混じりで、そう云った。
「そんなの早く閉まってよもう!」
ハイハイと香奈は鞄に入れた。
「どうしてクリスマス・イヴが終業式なんだろう、毎年思うよ。愛しのケーキを食べるには難関をクリアしなければならないのは変だわ」
「成績表という難関があるのよね」
アイスを食べながは香奈は云う。
「でも梢はいいじゃない。成績いいんだから」
「家の親は変人だから、成績が良くない時にだけ、会話をしたがる。いい時はチラッっと見るだけ」
そうぼやくと私は一度好きなプリンを口に入れる。
あゝ絶品!
「しかし人が多いね。観光地だね〜」
香奈が窓の外を見て感心している。
横浜の山手は一年中、人が多い。
平日だろうがなんだろうが常に混んでいる。
「さて行きますか」
コートを着ると、私と香奈は精算を済ませ、山手十番館の外に出た。
とたんに香奈がクシャミをした。
「マフラーをしなきゃ風邪引いちゃう」
私は寒いのは好きだから全然平気だ。
高台にあるから、外人墓地からの眺めはとてもいい。
写真を撮る人も少なくない。
私たちはゆっくりと歩きながら、港の見える丘公園へ向かっている。
何となく毎回、同じコースを歩いてる。
(そう、誰と歩く時も)
公園に着くとすっかり夕暮れになっていた。
ベイブリッジがよく見える。
人生初の遠足もここに来たっけ。
「あんまりゆっくりはしてられないよ。クリスマスのミサが始まるから」
香奈のその言葉で教会に向かうことにした。
帰り際、バラ園をチラッと見てから、来た道を戻り、山手教会を目指す。
もうミサが始まる時間だ。
教会に到着し、扉を開けると人でビッシリだ。
2階に行ったがやはり満員で皆さん立つスペースをやっと維持している、そんな感じだ。
私と香奈は隅っこに何とか場所を確保できた。
皆さん、敬虔なクリスチャンで熱心に賛美歌を歌っている。
私たちの全く知らない賛美歌だった。
「申し訳ないね、なんだか」
香奈の言葉に異論はなかった。
教会でクリスマスのミサを体験したい。
そんな理由で神聖な場所に居るのが恥ずかしくなってきた。
横にはメガネをかけた若いパパさんが赤ちゃんを抱っこしていた。
そしてその赤ちゃんは私をジッと見ているのだ。
ただただジッと私は見詰められていた。
何という澄んだ瞳。
私は思わず視線を逸らした。
その後も赤ちゃんの視線をずっと感じていた。
(そんな純粋な瞳で私を見ないで)
私と香奈は、途中でミサを抜けることにしていた。
帰宅時間も気になるし、やはり本当に信仰心の深い方々の、それもクリスマスの大切な時間なのだから。
私は香奈を見た。
彼女は頷き、2人で静かにその場を離れた。
教会の外に出て、開口一番、香奈は
「梢の隣にいた赤ちゃんが、ずっと梢のことを見ていたよ」
「そう?」
「気がつかなかったの?最初から最後までずっと梢だけを見てたのに。すごく綺麗な赤ちゃんだったなぁ」
私は香奈に
「裏庭の……」
「マリア様でしょう?行こう」
山手教会の庭の隅にマリア様の像がある。
私はこの像のお顔がとても好きで、ここへ来た時は必ず会ってから帰ることにしている。
「本当に優しい慈愛の表情よね、梢が好きになるのが判るよ」
香奈がそう云ってくれたのが私は嬉しかった。
本当に素晴らしい像なのに、余り知られていないのが勿体ないという思いと、人がワイワイ集まらなくて良かったという思いが私にはあった。
「では参りましょうか、石川町の駅に」
「そうしましょう」
辺りはかなり暗くなった。
幾つかある中、香奈はこの坂道を下ることにしたようだ。
比較的、静かな坂道……。
(あの建物がある坂道に来てしまった)
(見ないようにしよう)
少し行くと、だいぶ道が平らになって来た。
「あれ?ここにアジアン雑貨のお店があったよね、香奈」
「そうだっけ。覚えてないなぁ」
「あったよ絶対。私、お店に入ったもの」
「梢は最近、来たんだ。誰と?」
「一人、一人でフラッとね。それに最近でも無いよ、梅雨時だから」
石川町駅に着いた。
方角の違う香奈とは改札でバイバイ。
ホームには、ちょうど電車が滑り込んで来た。
混んでいる。
「これからクリスマスディナーにでも行くのかなぁ」
家族連れやカップルを見てそう思った。
イルミネーションが輝くこの時期が私は大好きだ。
テレビや雑誌では、恋人同士で見るもののように書いてあるが、一人で見ても綺麗なものは綺麗だ。
惨めた気持ちになんてならない。
(今年は……少しだけ……ツライ)
「ただいま」
家には母が居た。父はまだ仕事らしい。
「はい、成績表」
そう云って母に渡す。
母はざっと見ただけで何も云わなかった。
いつものことだ。
「早く社会人になりたい。そしたら一人暮らしをするんだ」
私は着替えながらそう呟いた。
まだ高二だから大学に行ったら、社会人になるまでに、まだ何年もある。
いっそ遠くの大学に行くのは?
親が許すわけがないよね。
今夜は眠気が来ない。
「結構、歩いたのに」
公園にあるバラ園には寄りたかった。
薔薇ってクリスマスの頃は咲いてるのかな。
もっとゆっくりベイブリッジを見ていたかった。
もっと……。
🎁 ❄️ 🎄 🎁 ❄️ 🎄 🎁
「やっぱり横浜は流石だな」
「流石ですか?」
「うん。どこも洗練されてて。デートで行きたい街のNO.1だな」
「でしょう」
「あ、梢ちゃん本当は自慢なんだろ、横浜生まれで今も住んでることが」
三神さんと私は笑った。
「自慢したくもなるよな、うん」
「でも、出身は?と訊かれて『神奈川です』ではなく『横浜です』って答える市民にはムカつくでしょう?」
「あ〜横浜市民には多いらしいね。うん、
ムカつく。ははは」
「あはは、そうですよね。私もテレビで観てて嫌な感じって思いましたから」
そして再び三神さんと私は柵に手を乗せて、ベイブリッジと海を眺めた。
(あ、いま、肘と肘が触ったよね)
私はバレないように三神さんを見た。
彼は景色に夢中になっていた。
「へえ、薔薇園があるんだね」
「たくさん咲いてますね。ちょうど時期なのかな」
「梢ちゃん、中のベンチに座って一休みしよう」
「はい」
三神さんと私はバラ園に入ってベンチに座った。
たくさんのバラの香りが体中に天然の香水をまとうように感じた。
「はい、これどうぞ」
観ると三神さんが持って歩いてる水筒からコーヒーを入れて、カップを差し出してくれている。
「ありがとうございます、いただきます」
「コーヒーはブラックだからミルクが欲しければ云ってね、持ってるから」
三神さんはシャツの胸ポケットから、コーヒー用のミルクを取り出して見せた。
「用意がいいですね。私はブラックで平気です」
「大人だね〜」
冷めかけたコーヒーが、この時期には丁度良かった。
6月の梅雨時には。
「その水筒、おしゃれですね。ネイビーって、あまり見かけません」
「ありがとう。僕も気に入ってるんだ、この水筒」
そう云って三神さんは、もう一つのカップでミルクを入れたコーヒーを飲んだ。
しばらく黙ってバラを眺めていた。
「さてと、そろそろ帰ろうか。脚とか大丈夫?疲れてない?」
「子どもの頃から遠足や、両親と来てますから大丈夫です」
「そっか。それなら良かった」
私はお礼を云って三神さんにカップを返した。
「下り坂は結構、脚に来ますよ。三神さんこそ大丈夫ですか?」
「オッ、云ってくれるね。これでもずっと陸上部だったんだよ。脚には自信があるさ」
「陸上部ですか。でも英語の教師を目指しているんですね」
「陸上部と云っても色々ある。補欠とか補欠とか補欠とか」
私は歩きながら笑ってしまった。
その時、三神さんがスニーカーの紐がほどけているのを見つけた。
「紐を結び直すから、悪いけどコレを持っててくれる?」
そう云ってネイビー色の水筒を、私に投げた。
私はキャッチした、つもりだった。
けれど水筒は手から滑り落ちたのだ。
それはアスファルトに落ちて、割れてしまった。
一瞬、体が動かなくなって声も出なかった。
慌てて地面の割れた水筒を、拾い集めた。
「すみません!本当に、どうしよう、わたしが」
三神さんが隣に座って、少しの間、水筒の欠片を見つめていた。
私はポロポロ泣きながら拾い続けた。
「梢ちゃん、もういいよ。手でも傷つけたら危ない。いきなり投げた僕がいけなかったんだ、梢ちゃんのせいじゃないよ。だから泣かなくていいんだからね」
私は両手で顔を覆うと、ますます涙が止まらなくなった。
「もう結構古いんだ。この水筒。たくさん使ったから満足だ。よし!元気出して行こう!ね、梢ちゃん」
私はふらふらと立ち上がった。
「本当にごめんなさい、三神さん」
そう云って頭を下げた。
「はい、了解です。だから水筒のことは、もう、お終いだよ」
私は力無く頷いた。
「ここを降りたら駅には着くの?」
「はい、着きます」
「では行きましょう」
三神さんは楽しげに、坂を降りて行く。
坂道の中では、細い道で周りには樹々が繁っている。
私も一度くらいしか通ったことが無い。
三神さんは、鼻歌を歌いながら降りて行く。
私に気を配ってくれているのが判る。
そうだね。いつまでもクヨクヨしてたら逆に迷惑をかける。
元気を出そう。
そう思いながら右手を見たら、建物があった。
個人の自宅にしては大きい気がした。
!!
あの建物、ホテルだ!
その時、私の中にある言葉が浮かんできた。
三神さんに……抱いて欲しい
三神さんは教育実習を終えて、明日から学校には来ない。
最初に会った時から私は三神さんが好きになっていた。
遥か先から三神さんが私を見ていた。
「お〜い。どうかしたの?」
返事をしないでいたら、三神さんが戻りかけた。
私は慌てて坂を下りた。
「すみません、心配かけて。大丈夫です」
「本当に?無理してない?」
「本当に大丈夫です。ほらもう表通りに出ますよ」
指を差した方を三神さんが見て
「ホントだ、案外近かったね」
「はい、あっ」
「あって、なに?」
「いえ、以前に来た時には無かったお店があるから」
その店には象の大きな置物が入り口に置いてある。
「アジアン雑貨の店、か。入ってみようか」
お店の中は、よくある雑貨屋さんだ。
アジアの品物が狭い店内の、そこここに置いてあるし、天井からも商品が下がっている。
「すごいな、この匂い」
三神さんは、お香が苦手なようだ。
「三神さん、出ましょう。帰るのが遅くなりますから」
「そうだった。梢ちゃんのご両親に心配をかけてしまう。行こうか」
私たちは、お店から出ると数メートルで、
石川町駅に着いた。
「梢ちゃんは、どっち方面?」
「横浜方面です。三神さんも同じです。横浜で降りて、京浜急行に乗り換えです。私はそのまま乗って行きますが」
「ありがとう、助かるよ。横浜には全く詳しくなくて、心細かったんだ」
「千葉でしたよね?」
「実家も大学もね。実習の間は横浜の親戚の家にお邪魔してるんだ。それも明日までだけど」
電車が着いて、中から人が溢れた。
乗車する人も多いけど。
「都会は違うな。僕の実家は千葉でも、かなり不便なところなんだ。ラッシュなんて縁のない田舎町だから」
そんな話しをしていたら、あっという間に横浜駅に到着した。
「ありがとう梢ちゃん。横浜を案内してくれて。楽しかったよ、いい思い出になる」
「私も楽しかったです。それと水筒……」
「その話しはお終いって云っただろう、じゃ、じゃあな、気を付けて帰るんだよ」
下車する人達に押し流されて、三神さんはホームの人混みに消えて行った。
私も小さく手を振るのが精一杯だった。
電車が発車した。
見る見る横浜駅が遠ざかる。
私は、自分は泣くだろうなと思っていた。
けれど何故か笑いが込み上げて来た。
(抱いて欲しい……ぎゃー!恥ずかしい!
やめてちょうだい、お願いだから!)
アナタはまだ16なんでしょうが。
三神さんを犯罪者にするつもりなの?
(いえ、無いから。三神さんに限って、そんなこと、絶対に有り得ないから)
視線を感じ、ゆっくり隣に立ってる人を見た。
おじさんが気味悪そうな顔で私を見ていた。
すみません……。
不気味だよね、一人でぶつぶつ云っては照れてるわたし。
スカートのポケットから取り出した物。
それは、あの時、一つだけ拾っておいた物。
青い欠片……今から私だけの御守り。
三神さんが英語の先生になれますように。
また必ず会えますように。
出来たら今度は三神さんに、千葉を案内してもらえますように。
その頃、山手教会のクリスマスミサを終えた人たちが建物から出て来たところだった。
梢のことをジッと見つめていたあの、赤ちゃんもパパと一緒に教会から外に出て来た。
「お外は寒いね梢。風邪を引かないように早く帰ろうね」
そう、パパに話しかけられながら赤ちゃんは瞳を煌かせていた。
🎁 🎄 ❄️ 🎁 🎄 ❄️ 🎁
いつの間にか眠りについていた私の枕元にある、青い御守りが、キラリと光った。
(完)