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人に優しくなる瞑想を試したら、まず自分を呪いそうになった話
イントロダクション:慈悲とかいう難しいやつ
「コンパッション瞑想をすると、ストレスが減って幸福度が上がる!」
そう聞いて、「おお、いいじゃん」と思った私は、さっそく試してみることにした。が、開始3分で気づいた。
無理では?
何しろ、この瞑想、要するに「自分や他人に優しくなりましょう」というものらしいのだが、世の中そんなに甘くない。
たとえば、スーパーで割り込みをかましたおじさんや、スマホを見ながら横断歩道をノロノロ渡る高校生に、私は果たして「あなたが幸せでありますように」と願えるのか?
答えは NO だ。
しかし、脳科学的に見ても「コンパッション瞑想はメンタルによい」らしいので、やれるだけやってみようと思う。今回は、そんな私の体験記だ。
第一関門:自分を慈しめと言われても
コンパッション瞑想の第一歩は「まずは自分を慈しむ」らしい。
「私が幸せでありますように」
「私が苦しみから解放されますように」
と、自分に向かって唱えるわけだが、問題がある。
私は日頃から自分に対してめちゃくちゃ厳しい。たとえば、朝起きたときに「え、また二度寝したの?バカなの?」と思うし、コンビニで余計なスイーツを買ったときも「デブまっしぐらじゃん」と自分を呪う。そんな私が突然「私が幸せでありますように」などと願ったところで、脳が「は?」となるのは当然の話だ。
結果、「私が…(え、本気?)…幸せで…(いや、ちょっと気持ち悪いな)…ありますように(白々しい)」という、ものすごくぎこちない瞑想が完成した。
第二関門:苦手な人に優しくなれるのか問題
次のステップは、「他人に思いやりを向ける」フェーズである。
家族や友人には、まあまあ自然に「あなたが幸せでありますように」と思える。だが、瞑想のガイドは続ける。
「次は、苦手な人に慈しみの心を向けましょう」
いや、ちょっと待って。
たとえば、昨日SNSで無駄にマウント取ってきた同級生とか、信号待ちの列に割り込んできたおばさんとかにも、慈悲を向けろと?
そんなん、心の広いお釈迦様でも難しいのでは?
案の定、私は「あなたが幸せでありますように」と言った瞬間、脳内で「いや無理、今は無理、せめて3年後なら」と自動的に保留ボタンが押された。
しかし、ここで諦めるのも癪なので、とりあえず「この人がもう少しだけマシな人間になりますように」という妥協案で乗り切ることにした。
コンパッション瞑想の「1分バージョン」に挑戦
さて、先ほどの苦行のような体験を踏まえ、「もっと簡単な方法はないのか?」と思い調べたところ、
どうやら 1分コンパッション瞑想 というものがあるらしい。
要するに、
深呼吸(10秒)
自分に優しい言葉をかける(20秒)
誰かに思いやりを向ける(20秒)
最後に微笑んで終える(10秒)
これだけでいいらしい。
「たった1分で脳が変わる!」などという触れ込みを見て、「本当か?」と疑いつつやってみた。
…すると、たしかに気持ちがちょっとだけ落ち着く。
脳科学的にも良い理由
研究によると、コンパッション瞑想をすると、脳の「幸せホルモン」とも呼ばれる オキシトシン や ドーパミン の分泌が増えることが確認されている。これにより、ストレスの軽減や共感力の向上、ポジティブな思考の促進が期待できるらしい。
さらに、脳の前頭前野(感情をコントロールする部分)が活性化し、怒りやストレスを感じにくくなる効果もある。つまり、コンパッション瞑想を続けることで、少しずつ「落ち着いた、余裕のある自分」に近づけるのだ。
まとめ:コンパッション瞑想、やる価値はある!
最初は「何それ、宗教?」と思っていたコンパッション瞑想だが、
実際にやってみると、思ったよりも 現実的に使えるテクニック だった。
「イライラする」「人間関係で疲れる」「なんかストレスたまる」
そんなときに1分だけでもやってみると、案外気分が変わる。
だから、完璧を求めず、ゆる〜く試してみるのがちょうどいいのかもしれない。
「あなたが幸せでありますように」と心の中でつぶやく。
…とりあえず、今日もスーパーのレジで割り込んできたおじさんには、もう少し時間をかけて慈悲の心を持つことにする。