「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:要約
本論では、藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスとの構造的な連関を、宮古島狩俣の村落の構造と祭祀と神歌との関わりを手掛かりに検証する。
まず第1章では、系統発生的=進化論的な自己の発達モデル(トリーおよびミズン)、および個体発生的=発達論的な自己の発達のモデル(やまだ)と<二分心>モデルの比較検討を通じ、それを「言語以降、意識以前の心の様態」として捉えることにより、「幻聴」の過度の重視等に見られるジェインズ自身の幾つかの遠近法的錯誤を指摘し、修正を加えながら<二分心>の適切な位置づけを試みた。
第2章では、三分観の背後にある双分的な認識の複合の間に見られる不整合に注目し、そこに村落の形成・変容の過程の反映を読み取る。村落内部に埋め込まれた部分集団、村落を要素とする村落群の両方の水準を検討し、統一的な構造把握を試みた。
第3章から第5章では、社会集団の構造(社会システム)と成員の心の構造(心のシステム)の関係を、3つの異なる視点から検討した。
まず第3章では、祭祀制度や墓制を手掛かりに、祖神祭祀が単なる祖先崇拝とは区別されること、更には<二分心>から意識への変容プロセスの中での狩俣の祭祀の位置づけを行うにあたって、個人の神や占いはより新しい層であることを示した。
次に第4章では、狩俣の祭祀が停止・断絶している現在の時点を起点にとって、狩俣の祭祀が古代性を今に伝えることが可能となった構造的な根拠を明らかにすることを試みた。狩俣の村落の変容プロセスは、絶えず外部との関わりにおいて自己を維持してきたことを告げており、村落の構造や神話と儀礼と神歌の内容に刻印された双分観から三分観への移行もまた、狩俣が、自らの構造変容に対する「柔軟性」、即ち動的に変容を重ねることで、重層し複合する構造の内部に、いわば「自覚的に」古代性を保持することを可能にする特性によって、「亡滅」を逃れてきたことの証と見るべきことを示した。またそれは二分心の崩壊と意識への移行のヒュポスタシスの痕跡でもあるが、それを見出すことができること自体が、狩俣が「亡滅」を逃れて古代性を保持し得たことに通じていることを示す。
そして第5章では、狩俣の祭祀の構造における重層性に関し、狩俣の祭祀における神歌の継承における口承性を巡る様々な側面を検討し、神歌における言語の行為遂行的機能の優位と意味内容の副次性の具体的な様相を確認した。その中で特に、傍観者であり、神歌の唄う役でもある男役の存在とその意味合いに注目することで、歴史的には狩俣の神歌が編纂されるプロセスにおける外部の侵入、そして共時的には神歌が記録され保存されるプロセスにおける(神歌の採集という研究そのものを含めた)外部からの侵入の何れについても、媒介として傍観者の層が本質的に係っていることを示した。更に狩俣の祭祀と神歌を媒介にして、ジェインズの<二分心>の一般的パラダイムと三輪眞弘の「逆シミュレーション」音楽との対応を示し、「古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣から「極東の架空の島」としての「狩俣島」への通路を確認することで、本論が現在および未来へのアクチュアリティを持ちうることを示すよう試みた。
(2020.12.20, 2024.6.27 noteにて公開)
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