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「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ

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『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識…
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「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:まとめと結論

まとめと結論A.<二分心>の位置づけ <二分心>における神の声は社会統制の機能を果たすものと想定される。だが、<二分心>抜きの説が多く存在する(というより多数派である)ことからも想像されるように、<二分心>概念は、構造的なギャップを埋める必然的なものとして位置づけられるというより、今日、多くは病理的な状態で現れるとされる幻聴が古代においてはごく普通の出来事であったということが文献から読み取れるという事実を出発点にして、逆にそこから、言葉を持ちながら意識を持たなかった段階

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性

1.狩俣の神歌の体系内に層を見出すことができるか? 既述のように、狩俣の神歌の中で最初に注目されたのは、男役の唄う「狩俣祖神のニーリ」であった。そしてこれの成立年代は、その内容の最も歴史的に新しい部分(与那覇原戦ないし平良の目黒盛の軍勢の狩俣襲撃とそれと戦った真屋のマブコイの武勇伝)から、仲宗根豊見親による宮古島の統一期を遡ることはないと考えられる。狩俣の神歌の採集を試みる研究者がまずアクセスするのは、その当時の部落会の会長を初めとする村落の指導者達であり、彼らはしばしば

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第1章 <二分心>の位置づけ

第1章 <二分心>の位置づけ 1.心のシステムと社会のシステムの関わりを問うことの妥当性 まず心のシステムと社会のシステムの関係はおよそ自明ではなく、単純な同一視は許されないことに留意する必要がある。藤井貞和『古日本文学発生論』における古橋批判「国家成立以前的段階から以後へという展開が、意識の次元でとらえられているという決定的な弱点(…)」(同書, p.20)を常に念頭におく必要があるということだ。確かに古橋の議論には直ちには首肯し難いものが感じられるが、それがどうしてなの

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:要約

本論では、藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスとの構造的な連関を、宮古島狩俣の村落の構造と祭祀と神歌との関わりを手掛かりに検証する。 まず第1章では、系統発生的=進化論的な自己の発達モデル(トリーおよびミズン)、および個体発生的=発達論的な自己の発達のモデル(やまだ)と<二分心>モデルの比較検討を通じ、それを「言語以降、意識以前の心の様態」として捉えることによ