マガジンのカバー画像

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ

7
『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識…
運営しているクリエイター

#宮古島

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:まとめと結論

まとめと結論A.<二分心>の位置づけ <二分心>における神の声は社会統制の機能を果たすものと想定される。だが、<二分心>抜きの説が多く存在する(というより多数派である)ことからも想像されるように、<二分心>概念は、構造的なギャップを埋める必然的なものとして位置づけられるというより、今日、多くは病理的な状態で現れるとされる幻聴が古代においてはごく普通の出来事であったということが文献から読み取れるという事実を出発点にして、逆にそこから、言葉を持ちながら意識を持たなかった段階

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性

1.狩俣の神歌の体系内に層を見出すことができるか? 既述のように、狩俣の神歌の中で最初に注目されたのは、男役の唄う「狩俣祖神のニーリ」であった。そしてこれの成立年代は、その内容の最も歴史的に新しい部分(与那覇原戦ないし平良の目黒盛の軍勢の狩俣襲撃とそれと戦った真屋のマブコイの武勇伝)から、仲宗根豊見親による宮古島の統一期を遡ることはないと考えられる。狩俣の神歌の採集を試みる研究者がまずアクセスするのは、その当時の部落会の会長を初めとする村落の指導者達であり、彼らはしばしば

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第4章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(2):祭祀の「亡滅」の後で

1.20世紀末の祭祀の中断・終焉を劃期としてみるべきか? 狩俣の事例における<二分心>の崩壊についてここまで検討してきたが、<二分心>の崩壊は、「亡滅」そのものではないことに注意が必要である。そもそも狩俣が藤井によって、 と位置づけられ、「亡滅」の手前―本論では、それを<二分心>の崩壊の過程、ジェインズのいうヒュポスタシスの相に位置づけようと試みているわけだが―を垣間見ることを可能にするものという位置づけを得たのは、まさに藤井が述べる通り、「創生神話をいまに語り、英雄叙

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第3章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(1):狩俣における<二分心>の崩壊

1.追悼の対象である死者と祖神との関係:三分観を踏まえて ジェインズの埋葬に関するコメント「同じ死体を二度埋葬した(二度目は、「声」が聴こえなくなってから、共同の墓に埋葬し直した)証拠がしばしば見られたりする」(『神々の沈黙』, p.174)を、狩俣を含む南西諸島における風葬と洗骨の習俗と突き合わせてみよう。上記箇所の表面的な類似を除けば、一般論としては、ジェインズの参照する文化における埋葬の習慣、死後についての考え方は東アジアのそれと異なり、従って狩俣のものとも異なるよ

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:要約

本論では、藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスとの構造的な連関を、宮古島狩俣の村落の構造と祭祀と神歌との関わりを手掛かりに検証する。 まず第1章では、系統発生的=進化論的な自己の発達モデル(トリーおよびミズン)、および個体発生的=発達論的な自己の発達のモデル(やまだ)と<二分心>モデルの比較検討を通じ、それを「言語以降、意識以前の心の様態」として捉えることによ