ジャイアンツファンはタイガースファンになれませんが理解することはできます。逆も然り。これ、心が柔らかいということかな?
◆清濁合わせ飲む。
清らかなものだけでなく濁ったものも同じように飲み込める、つまり反対意見も理解する力(empathy)があるということ。頭が硬くなく心が柔らかい柔軟な状態なのでしょうね。
最近、TVの情報番組など批判目線なコメントで私の頭は清濁合わせ飲むような理解ができなくなりそうです。
どうやったら、偏らずに酸いも甘いも噛み分けることができるものなのでしょうか。情報は山ほどある時代なのに…。
◆理解
そのヒントになりそうなこと。
まずは短絡的に「判断」せず「理解」する努力だと聞いたことを思い出しました。
他者理解(「プロカウンセラーのコミュニケーション術」より)。
例えば、ジャイアンツファンはタイガースファンにはなれませんが、タイガースファンの存在は理解できます。逆も然り。
相手を理解し受け入れることは社会人のたしなみなのでしょう。相手を理解もせず勝手に判断して起きている世の中の悲劇を目の当たりにするとそう感じます。
情報が溢れる今の社会でも、他者理解できていない実態が散見しますよね。ヘイト然り、自粛警察然り。何かと我慢ができなくなって短絡的に行動している。
◆年齢とともに…
こうした行動にでる当事者は往々にして若者世代ではなく高齢世代だったりするとも聞いたことあります。
本当なんでしょうか。本来、経験重ね清濁合わせ飲める世代が情報化社会ではなぜ正しく機能しないのでしょうか。
察するに若者世代は情報溢れる時代に生まれ育ち、日々飛び込んでくる数多の情報を鵜呑みにはしていませんよね。
一方、高齢世代は、自分が若かりし頃、情報そのものが少なくとにかく情報をたくさん集めるしかなかった時代。分析できるほど情報はなく想像することでカバーしていたか。
その違いかな?若者世代は飛び込んでくる情報に意味付けができ「?」と思えばSNS上で「それなんかおかしくねぇ?」としっかり自分表現できているのに対し、高齢世代はそんな分析力(免疫)ありませんから、キャッチや詐欺にいとも簡単に引っかかりますよね。
日々溢れる情報に流されず自分なりに噛み砕き意味付けするには、他者の考えや情報を理解する力が大切。
◆コミュニケーションでしょうか。
高齢世代はモノづくり社会に育ち型にはまっている(他人と同じ)ことが大半の人にとって優先され、自分の意見を言わなくてもうまくいっていた時代を生きてきました。
一方、情報溢れる社会は多様な意見が飛び交う社会。様々な意見もしっかり受け止めていかないとなりません。
それが多様性時代のたしなみ。様々な意見を認める力、清濁合わせ飲む力が本当に大切だと感じます。
ゆえにまずは理解。
GファンとTファンの関係のように違うことを理解し認めていくことね。
多様な情報に対してしなやかに対応できる世代が台頭するよう、社会全体が本格的な世代交代できるとよいね。
昭和世代のジジィな私も、そろそろ現職の第一線を離脱せねば…かな。
yoitenki4110