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インデアンカレー 2018/07/14

お昼は予定していたようにインデアンカレーであった。 

カウンターの聖地とでもいうような趣は大阪のソウルフードとしての威厳を示すには荘厳で人工大理石だとしてもオフホワイトのカラーは見目麗しいし大阪人でなくとも一目すれば惚れ惚れとすることであろう。冷んやりとしたこの人工大理石のカウンターに着席する際に片手をついて一人用固定式回転丸椅子に尻を滑らせて着席するのが常なのでこの手が冷んやりとした感触を私に伝えるところから食事は始まろうとしている。
メニュは壁に掛かっているのが昔からの仕来りである。
最近ではインバウンド効果で海外からの旅行客もこの店を訪れる機会が多いことからか手元で拝見できる英語訳付きのメニュも丁寧に用意されてらっしゃるので必要の際には所望するといいだろう。
着席するとまず注文を訊かれながら透明のグラスにキリリと冷やされた氷入り冷水が右手斜め前に用意されると同時にインデアンカレーのイラスト標榜入りの紙ナプキンの上に銀色のスプーンが用意される。遅れて左斜め前にキャベツの特製ピクルスもオーバル型の小皿にミニフォークと共に供される。メニュは以下のようになる。

・インデアンカレー
・インデアンスパゲティー
・ミートソーススパゲティー
・ピラフ
・ハヤシライス

・大盛り +¥50
・ピクルス大盛り +¥50
・卵入り +¥50
・ルー大盛り +¥200
・ルーダブル +¥500
・ビール

店舗は大阪に阪急三番街店、堂島店、長堀店、アバンザ店、南店、中之島フェスティバルプラザ店、淀屋橋店となり兵庫・芦屋店と東京に丸の内店を展開されている。

・三番街店はスパゲティー類、ピラフの提供なし
・堂島店、淀屋橋店、丸の内店はピラフの提供なし
・南店はインデアンカレーのみの提供

好みのオーダーは「大玉肉抜き」である。
店員さんに倣って最近ではこの呼称でオーダーしている。丁寧に言ってもいいのだけれども何から先に言えばうまく伝わるのか逡巡してしまうことが毎度のことなのでいっそ同じ符号を用いればすんなり伝わるではないか、と思い当たった次第である。ちなみに丁寧に言うと「インデアンカレー(並盛り)の肉抜き、ごはん大盛り、卵入り」ということである。肉抜きと伝えると丁寧に大きな部位の肉は避けてくださるが少しは端肉の繊維が紛れ込むことは触れ込み済みである。別に牛肉が嫌いな訳ではないのだけれどもカレーは具材のゴロゴロしたものがあまり好みではなくてルーの醍醐味を味わいたいということもあり肉抜きとお願いしてるという一点の他に肉抜きにすれば体容積的に肉が除かれた分の体容積分のルーが増えることに必然的に相成るから自分にとってはまさしく最近の流行り言葉であるウィンウィン関係を獲得できる次第なのである。出がらしのように味が希薄になったゴムのような食感の肉塊をわざわざ食べたくないというのも理由の一つにあげられよう。
手元に捧げられた皿の中央には皿の外形に合わせられたオーバル型のドーム状にライスは盛り付けられている。ライス中央に卵黄一個分の窪みをスプーンで形成してそこに卵黄一個をソッとスプーンでスライドさせて滑り込ませライスの小山に満遍なくルーを広げ掛ける店長もしくは副店長のルーティンの技。ライスを大盛りに指定してルーが並盛りの場合にライスに比してルーが少なめに設定される為にルーを掛ける際にライスがルーで覆われない箇所がでてくるのではないか?と猜疑心の目で盛付けを凝視するもいつも感心させられるのだがルーの量はピタリとライスのドーム状の小山にモンブランの雪化粧のようにふーわりと全面を覆う職人技を垣間見ることになる。色が白ではなくて茶色だけれども。こういう場面に遭遇すると袱紗とか思い出すのですが全然関係はない。

食べ方は各人の好みと自由が保障されています。
僕の場合は右利きなので右手でスプーンをやおら持つと右端から食べ始めることになる。食べ始める前にピクルスのミニフォークに持ち手で持ち替えるのが非常に面倒臭いのでピクルスはカレーの皿のカレーが盛られた外の余白部分の左斜め上に自分で盛り付ける儀式を執り行います。右側でもなく、左下でもなく、必ず左斜め上の余白の部分に、です。ピクルスの提供された位置に比較的近いということと、食べ進めるにあたって最も邪魔にならないであろうベストポジションだからだと本能的に解釈している。ピクルスを食べるときはカレーに使用しているスプーンを用いる。ということでピクルス提供に使用された小皿とミニフォークは用済みですが食事が終わるまで店員は決して先に下げるというような無粋な真似は致しませんので安心して下さい。途中で「やっぱりミニフォークでピクルス食べたいや」ってなった時の担保であると想像できますが言質は取っておりませんので想像の域を出ることはありません。洗い物と下げは一気に!が根本理念なのかもしれませんがそれも言質は取ってませんのであくまでも想像の域であります。
食べる用意がここで整いました。
まず用意された氷水を一杯全て飲み干して息を整える。
本当は昔の映画みたいにコップの水の中でスプーンを洗って水をかき回してから食べてみたいのですがここインデアンカレーでは基本は氷水での提供になりますので氷が邪魔になりますから敢えてスプーンでの水洗いは致しません。お願いすれば氷なしの水も用意してくださいますがカレーの食前食後には氷の入ったキンキンに冷やされた水を飲みたいというのが本音です。どちらかの取捨選択の結果なのです。香港飲茶の礼儀作法である洗杯に似ている行為だな、と常々気になっているのですがシルクロード的な起源などを調べたことはありません。
サァ、食べ始めましょう。
中央に配置された卵には手をつけず、まずはオリジナルのカレーの味から堪能する。米の炊き方はやや硬めなのがインデアンカレー流です。一口目は底辺を支える濃厚なダシの旨味と甘み、野菜のミルポワ感が全面に押し出されて思わず破顔してしまいます。毎回食べていて不思議なのはこの感覚、味わいというのが必ず一口目だけであって二口目から味わいがガラリと変わることです。必ずです。体調や味付けによって日々の誤差が生じてたまには二口目も同じように旨味と甘みをほんわかと滲み出すようなイレギュラーがあっても良さそうなものに思えるのですが皆無なほどに一定した構成を成してるのがソウルフードのソウルフードたる所以でしょうか。二口目は辛い、しかし辛味の底辺に一口目で全面に表出していた旨味や甘みが通奏低音のように下支えして辛味さえも旨味として表現しているのがインデアンカレーの極味といえる特徴でしょう。皿右側の1/3をそのまま食べ進むとここで卵の窪地に差し掛かる。卵は全体には混ぜずになるべく卵だけで、少しの卵横のカレーが混入してくるくらいで卵掛けごはんのように少しのカレー風味を利かせながら甘く切ない味を堪能するという感じで先程までの辛味の頂点の味わいを一旦クールダウンして舌の味蕾の感覚を取り戻すように心掛ける。ピクルスは食べ始めからスプーン2口に1回の割合のストロークで合いの手をいれる要領で堪能するのだが、たまに合いの手を入れるのを忘れるというイレギュラーもある。卵の甘みと蛋白質でコーティングされた舌表面は先に食べたカレーよりも次のカレーをマイルドに感じさせて残りのカレーの哀愁感を味わうことになる。前はもっと辛かっただろ?何故そんなにも力がなくなったんだい?後に食べ進み終焉に近づくにつれてこみ上げる感情を抑えつつカレーに語りかける。そう、変わったのは僕じゃない、君だよ!と、力強く最後に語り返す君が僕にエネルギーを漲らせてくれる。エントロピーの法則。ピクルスは最後の一口を残そうか、それとも最後の一口はカレーにしようか、いつも僕を悩ませる。食べ終わった後には嘆息しかない僥倖感が訪れる。身近な幸せである。単純な構成でありながらも 複雑な存在である。次回の訪問も同じくしてたかいクオリティがおほらくは保証されているソウルフードである。

肉抜きオーダーは比較的一般化されているが特別なオーダーとして目玉=卵黄2個で、卵を全卵で、たまご別添えで、ルー横掛けでという好みにも対応して下さり、スパゲティの際にはピース抜き=天盛りにするグリンピース抜きという対応も快く受けて下さり対応して下さるので自分の好みがあれば強かにお願いするべきであろう。


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