亀の上で踊る諸々と、死に体の亀 ~日本における約束された経済的虐待について
中世における地動説をテーマにしたアニメが始まった。
「チ。-地球の運動について-」というタイトルだが、残念ながら日本放送協会との契約を解除した我が家では観覧できず。ロゴデザイン、秀逸です。
なお原作まんがはいろいろと凄かった。知的好奇心が指し示す真実を公に述べるだけで、生爪を四十幾枚も剥がされたり(生えてからまた剥がされる)、火炙りになるような、現代日本がそんな世の中でなくて本当に良かった。
でも、地動説以前の天動説モデルというのも自分は結構好きで、その中でもインドの宇宙観のひとつだと言われる、これなどはとても楽しい気持ちになる。
諸々が乗っている地球はちゃんと球(の一部)、それを象の群れが支え、その下に大亀。さらに巨大蛇。あくまで我々が認知できるのは半球の上だけである。その下の基礎が、何層にもなっているという概念。蛇亀象地上モデル。
でもこの図、実は我々の生きている世界の概念図としては、実は利用価値がある。そんな思いつきを書いてみようと思う。
選挙公約にはレイヤー(階層)がある
選挙が近くなると、どこの野党もいろいろと与党の政策を批判したり、与党ですら給付金などと言い出して、票を得ようとなりふり構わない空手形を切る。
自分だって、増税するよ VS 減税するよ の両者の対決なら、後者に喜んで軍配を上げる。それはそうだろう。自らの首を絞める趣味はない。
だがそれらの諸々の政策は、すべて財政的な裏付けが必要になる。全ての選挙の時の約束は、その上に乗っている。いわば、それらと財政の話は層が別なのだ。
いやいや埋蔵金があるぜ、という皆様もかつては居たが、蓋を開けてみればその想定より使える部分は少なかったし、見つかったそれらも、残念ながらこの15年でほぼすべて使い切っている。
ここで、財政的な裏付けを、上の図の亀に例えてみる。そして、選挙のときに述べられる、様々な経済対策や、我が国の安全に関する勇ましい話などは全てが亀の上の象である。亀が象を支えていることがすべての前提、それらの絵に描いた餅が実現するための前提なのだ。
それを思いついたのは、先日こちらがフォローしているおおさわさんのところにコメントを残したあとで、しばらくそのことについて考えていたときであった。
トキシック(有毒)政府は誰が生み出したものか
そこに自分が残したコメントはこれ。
よく、日本政府は国債をいくら発行しても、国内で消化している限り問題はない、という言説を述べている皆さまをネット上で見かける。
そもそも現在でも国債の外国保有分は総額の14%もあるそうなので、その前提自体が間違っているのだが。まあよい。
ここで自分が問題としているのは、国債を発行してその利益を受取る世代と、そのつけを払う世代が違うということを、この言説は無視している点にある。
日本は国債は発行してから、60年掛けて総額を返すように予算を組むことにしている。10年債なら、起債10年後に支払う償還費の5/6はまた起債して調達していい。それを繰り返して、60年後に全額を戻せばいいというルールである。これは、インフラのために使われた国債の、その利益を享受するものは60年後までいるであろう、という理由による。なので、毎年の予算では、国債発行総額の1/60に相当する額を、返済資金として計上すればいいだけという仕組みである。
親が、子どものために、と言って何かを与える、これはよくある話だ。
だが、子供が定年退職するまでのローンを組んでそれを買っているとなると、ちょっと待て、と言いたくはならないだろうか。
これを子供に対してやっている人を知ったら、自分はそれを毒親認定せざるを得ない。子どもの経済的自由を親が奪う権利はないのだ。お年玉貯金を奪うだけならまだしも、赤子の就職先を勝手に定めて、その給料を定年まで前借りするとか狂気である。
だが、この状況を生み出したのは、昭和40年に財政法に抜け道を作り、60年償還ルールを定めた政治を肯定してきた、我々の祖父母と親世代、そして我々である。そういう意味で、18歳以上で一度でも選挙権を行使した、もしくはスルーしたものは全て毒親と同じ、先のコメントではそう述べたのだ。
政府が悪いのは、国民が悪い。そのとおりである。
象のレイヤーの話には正当性はある、が
もちろん、ケインズ経済学のように、不況時には呼び水が必要という理論の正当性もわかる。止まった車を動かすには、動いている車の何倍もの力が必要になるのは体感的にも腑に落ちる話である。
先に述べたように、地上の世界は象を隔てて亀と断絶しているので、実感がない。象をどうにかしてくれ、と言わざるを得なくなるのも、理解できなくはない。
だが、その下の、我々の乗っている亀は、瀕死である。
グラフはいわゆるG7の国々の、国家債務残高の対GDP比。それ以外の国を見ても、オーストラリアは50%前後だし、ヤバい国の代表として扱われがちなアルゼンチンですら現在は100%程度まで抑え込んでいる。ちなみにブラジルも90%程度。近場で見ると表にあるように、韓国が53%、中国はまだ77%である。そして我が国は・・・お答えを差し控えるしかないなこれ。
国内で、一年間で生み出せる価値の総額と言える金額(GDP比100%)くらいには債務総額を抑え込みましょう、というのが世界の基準ということが、これを見るとわかる。
諸外国の亀の健康状態と、我が国の亀を見比べたうえで、例えばいま、給付金や、ケインズ的経済対策をやりましょうということは、どういう状況か。
死にかけの大亀から、生き血を抜き取り、それを象に輸血し、それで世界を支え、その支えた結果の果実で大亀を治療すればいいのでは?と言っているに過ぎない。
大きな亀は果たして救えるのか?
先の首相による、財政規律云々の話は、要は亀が死にかけである、また我々は毒親になるべきではない、と言っているということである。
いちいち正論なのだ。
だが、ここでもう一つ考えなくてはならないのは、この亀を助ける方法は存在するのか?ということである。
いわゆるアベノミクスは、一言で言えば、限界だと思われていた大亀からの血抜きを、底抜けに可能にした。
国債を発行し、それを民間のプライマリーディーラーをトンネルにしたうえで、無制限に日銀が引き受けるのだから。なのでいくらでも借りられる。利払いが安いデフレの時期であればなんの問題も起こらない。
何故か外資系企業ばかりのディーラーさんも、手数料だけ抜いて国債を引き受け、適宜日銀にパスするだけのとても美味しい商売である。金利が上がらなければ。
だが、金利が上がると日銀が大量に引き受けていたそれらの国債の、債券としての価額は下がる。言い換えると、通貨発行の裏付けとなる日銀の資産が目減りする。それが自明だったから、これまでの皆様はこんな悪手には手を付けなかった。アベノミクス、実はその程度の話なのだ。昨年来の円安、当たり前にいつか来るものだったということである。
最終的には、国債を返さないという選択肢を取らないのであれば、インフレで薄めるしか方法がない。でももう先に使っちゃったんですよ、その資産。我々が浮かれて。
毒親対策を参考にしよう
だが、我々には今や武器がある。我々は毒親であり、また毒親の子でもあるという認識である。クローズアップされている、宗教二世問題みたいだ。
となると、解決法もそれを参考にすればいい、そう思う。
というより、それしか逃げ道はなさそうに見える。
親としては、自分が毒であることを認識して、子供に対して行っている行動の選択肢を見直すくらいしか出来ないが、子としては、親から物理的距離を置くか、それが無理なら経済的に切り離すか、その程度の対策は工夫次第で取れる。
もっと突き詰めると、この宇宙観であらわした世界は、貨幣経済という世界観でもある。だが、世界は実はその世界観のみで成り立っているわけではない。
貨幣は信用の一形態に過ぎない。なのでその代わりがあれば生きていくことは可能に思える。なにも貨幣を捨てようと言っているわけではなく、亀に乗るモデル以外も併用しよう、ということである。
そのうち、この蛇亀象モデル以外の世界をかいま見ることがあるかも知れないぞ、という時代に生きているのは、それはそれで好奇心が刺激される部分もありつつ。
ならばこれは一気にその状況を進めたほうがいいのでは、という考え方(加速主義)という概念もある。これの良いところは、我々や更に上の逃げ切り世代が、否応なく責任を果たす、につながることかな。
そんな事を考えながら、自分は投票することにするのであった。我が国が未だ、何を書き記しても火炙りにならない国で、本当に良かった。
画像は、kakeru_hinataさんからお借りした、江島神社奥津宮の格天井の中心におわす亀様。どこから見ても睨まれているように見えるため、八方睨みの亀、と呼ばれております。
亀はいつでも我々を見ているぞ、ということで。
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