待ちわびた夕焼け、日曜日のセンチメンタル
久しぶりに夕焼けを見た。
夕焼けを見る暇もないくらい目まぐるしい日々を送っている、なんてカッコつけたいところだけれど、あいにく程々の余裕がある。
空を見上げる気持ちになれないのは、自分の将来とか明日とか、未来に対して前向きな気持ちになれないからだろうか。
上だけを見ていた1年前、まっすぐ先だけを見つめていた1年前。
1年後、目の前すらぼやけて見えるのはどうしてだろうか。
そんな悶々とした思いに蓋をしようと、深呼吸してみる。
少し顔を上げて息を吸い込もうとすると、視界いっぱいに夕焼けが広がっていた。
車窓から景色を眺めていたさっきまでは、まだ明るかったのに。そうしてやっと冬の訪れを感じるほどに、四季の移り変わりに無頓着になっていた。
春から夏へ移り変わる時の高揚感、夏から秋へ、そして冬へ移り変わる時の侘しさ、どことない切なさ。
生まれてから初めて経験するわけでもないのに、四季の移り変わりに自分の心情や生きざまを乗せてみる。無頓着のわりにセンチメンタル。
夕焼けを見ると、安心する。
よく見てみると、灰色に近い橙色の部分もあれば、限りなく赤色に近い橙色の部分もあったり、自分の知っている色の種類では説明できない色の部分もある。
「橙色」の一言では決して表現できなくて、何層もの重なりからできていて、そのグラデーションが綺麗だ。
様々な生き方がある。
生き方の数だけ悩みや苦しみもある。
そう感じずにはいられない。
作家を気取ったセンチメンタルという名の“こじつけ”に過ぎないのだけど。
「人生に悩んでいる」
と一口に言っても、その悩み方は人それぞれ。
人生、何に重きを置くか・置かないかは人それぞれ。
みんな、その塩梅を必死に探している。微調整を繰り返している。
タイミング、きっかけ、その時の価値観や考え方、様々な要素が絡み合い、時には調和して、時には何かを諦めて、決断をしていく。
「決断」ってよく見たら、「決める」と「断つ」なんだよな。
「何かを決めるってことは、何かを“断つ”ってことなんだよな。」
そういえば、そうだった。
今までも、多くを決めてきたのと同時に、多くを断ってきたはずだ。
中には、気にも留めなかったものもあるだろう。
「こんな人生もあり得たかもしれない。」
そんな可能性を、今までの意思決定の中で断ってきている。
今自分の生きる人生は、これまで断ってきた可能性や選択肢、そんないくつもの屍の上に成り立っている。
だから、断ってきたものよりも、決めてきたものに目を向けていたい、そんな自分でありたい。
「夕焼けを見てセンチメンタルになるなんて、あまりにもダサいし、小っ恥ずかしい。もうそんな年齢じゃないんだけど。」
そう思う頃には、とっくに陽は沈んでいた。
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