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可能性は無限大かもしれないけれど

「可能性は無限だから」という言葉よりも、「限界までやってみよう」という言葉の方が好きだ。

無限にある可能性を信じて、「誰でも何者かになれる」と信じて、手当たり次第何でも挑戦してみたらどうなるのだろうか。

体力も気力も時間も、限りがある。

たとえ可能性は無限大だったとしても、体力も気力も時間も限られているのなら、その“限り”の中でいかに自分の人生を全うするか、真面目に考える必要がある。

限りがあるからこそ、肩の力は抜いていたい。

無理して、背伸びして、そんな自分を我慢してしまうくらいなら、自分が自分らしくいられる場所、等身大の自分でいられる時間を大切にした方が良いのかもしれない。

自分が力を注ぐべきところ、自分が力を注ぎたいと思うところ、そこに最大限の力を注ぐために、余計な力が入らないように、肩の力は抜いておく。

楽をしたいわけでも、さぼりたいわけでもない。

「可能性は無限大」なんて思うと、力んでしまうのだ。

肩の力を抜くことは、自分なりの“真剣さ”だ。


「可能性」も、もしかしたら限界があるのかもしれない。

今はまだ年齢も人生経験も未熟だから、限界があることに気づいていないだけで、実は、そのうち限界が見えるのかもしれない。

限界が見えたとき、自分は何を思うのだろうか。

「自分はここまでしかやれないのか」
「あそこまではやれるのか」

きっと、「限界までやってみよう」と思うはず。

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おがたのよはく
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