自分探しって、結局何を探しているのだろうか
自分探しとは、何を探す行為なんだろうか。
“自分”ならそこにいるはずだけれど、それでも何かを探し続けている。
何が見つかったら、自分探しの旅は終わったと言えるだろうか。
“何を探しているのか”を知るところが、自分探しの始まりだ。
もしかしたら、“何を探しているのか”が分かったら、自分探しの半分くらいは完了しているのかもしれない。
「らしさ」、「生き方」、「やりたいこと」、どれを探すかによって探し方や必要な道具は異なる。
漠然としたモヤモヤに流されて漠然とした自分探しを始めると、きっと漠然した答えが見つかって、より大きくなった漠然としたモヤモヤが残る。
自分探しに限らず、自己分析や自己理解、自分と向き合う行為のほとんどは、“自分の何と向き合いたいか”を考えるところで、大方勝負は決まっているかもしれない。
「らしさ」、「生き方」、「やりたいこと」、自分に足りないピースが一体何なのか、それを知ることもある意味自分探しだ。
ただ、勉強や仕事において“分からないことが何か分からない状態”があるように、自分探しにおいても“何を探しているのかが分からない状態”もある。
それはそれで良い。
何を探しているのかさえ分からない、と分かることもまた大切な体験だから。
探しものが何かを探す旅から始めてみれば良い。
どんな状況でも、自分自身は必ずそこにいる。
自分自身が分からなくなっても、自分の何が分からなくなったのか、どんな探し物をしているのか、一度落ち着いて考えてみたい。
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