他者思いだからこそ、自分勝手に生きることに全振りしてみる
「幸せ」は誰のものなのだろうか。
『他人の幸せが自分の幸せに乗り移ってしまうこと』についても考えております…
(みをほさん)
他人の幸せに喜びを感じられることは、人生を豊かにする一つの要素だと思う。
ただ、他人の幸せでしか自分の幸せを実感できないのは、諸刃の剣のように感じる。
大ざっぱに言ってしまえば、「他人の幸せへの依存」かもしれない。
「他人の期待」をテーマに、以前似たような文章を書いた。
幸せや期待、利他や依存について考えるとき、いつも思うことがある。
「自分のため」に全振りしたって大丈夫っしょ
他者思いの人が、多少自分のために全振りしたって、他者思いな性格が変わるわけではないし、いきなり自分勝手で自己中心的な人間になってしまうわけではない。
ビジネスは苦手だけど人のために尽くせる人が、多少ビジネスに思考を全振りしたところで、これからもきっと人のために尽くせるはずだし、突然金の亡者に変貌するわけではない。
0か100か、そんなにシンプルではないし、思っている以上にバランスは崩れない。
「何かを変えるときは大胆に」という考え方があるけれど、それは「大胆にやらないと変われない」との意味はもちろん、「大胆にやっても”今の自分“という要素は決して失われない」との意味があると思っている。
「自分のために生きること」に後ろめたさを感じる人こそ、思い切って自分のために生きてみるくらいがちょうど良かったりする。
他者の幸せについてあれこれ考えてしまうような人は、きっと「自分のために生きよう」と決意しても、方向性を間違えずにやっていけるはず。
「自分のために生きる」との表現は今はあまり響かないのかもしれないが、要は「自分の機嫌は自分で取る」、「ご自愛」、そういうことの積み重ねだと思う。
面白いのが、そういう積み重ねが結果的に他者の幸せに姿を変えたりするんだよな。
▼今回モヤモヤをくれた人
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