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ギャップに隠れた"自分らしさ"
「どうして、あの時ああしたのだろう」
ふとそう思うことがある。
それは、決して過去に対する後悔ではなく、自分自身の意外性に対しての懐古。
とても同じ自分がしたとは思えない決断をしていたり、臆病な自分からは想像もできないくらい大胆な行動を取っていたり、そんな過去が1つや2つくらいある。
あの時の自分を突き動かしたものは一体何だったのだろう。
今の自分もあの時の自分も同じ「自分」であるはずなのに、当時を振り返ると全く違う存在のように思えてくる。
表の自分を「臆病」とするならば、裏の自分は「大胆」なのだろうか。
人間性とは、そんな単純に表裏の関係で成り立っているのだろうか。
いずれにせよ、裏の自分が表出する引き金となったものが一体何だったのか、僕らはそれについて知る必要があると思う。
来る日も来る日も、自分らしさや自分が何者かということに頭を悩ませ続けている、そんな日々に終止符を打てそうな、大きなヒントが隠れている気がしてならない。
表の自分が「自分らしさ」なのではなく、何かを引き金に露わになる裏の自分が、本当の自分らしさなんだろうか。
表の自分で隠れてしまっているのが裏の自分だから、僕らは「自分らしさ」が分からず迷走してしまう。
「自分」を遠い国へ探しに行っても見つけられないのは、自分らしさはすでに自分の中にあるからだ。
自分の中にあると言っても、どうやら在処は裏側らしい。
だから、そう簡単に見つけることができない。
表裏が逆転する、そんな引き金となる出来事や刺激が必要なのだ。
過去を遡ってみると、それらは見つかるかもしれない。
目立ちたがり屋ではないのに目立つ服を着ていた時期があるとか、レールから外れるのを恐れていたのに学校を退学したとか、逆も然りで。
それらのエピソードの背景にある、自分自身を突き動かした感情や体験が何だったのか、それをどう解釈したのか、それこそが紛れもない「自分らしさ」なのではないだろうか。
自分を表現するのは苦手なはずのに、文章を通じて自分を表現していることにも、きっと「自分らしさ」が隠れているんだろうな。
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