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自分がどうなりたいかなんて、自分にも分からない

人生における選択を迫られた時、漠然と現状にモヤモヤしている時、「結局、自分がどうなりたいか次第だよな」と思うことがある。

「何か新しいチャレンジをしてみたい」

今の仕事を続けながら、新しいことにチャレンジするのか。

思い切って転職や独立をして、真っさらな状態からチャレンジするのか。

いずれも正解にも不正解にもなり得るから、将来的に自分がどんな生き方を望んでいるのか、すなわち「自分がどうなりたいか」で決めるしかない。

と、思っていた。

「自分がどうなりたいか」が迷った時のコンパスになるし、理想や目標から逆算して生きていくのが正解だと思っていた。

理想を描くことなくただ何となく過ごすのは惰性でしかない、と。

けれど、結局「自分がどうなりたいか」なんていまだに分からない。

そりゃ、できることなら“良い感じ”でありたい。それくらいにしか思えないし、最近はそれで良いかなと思っている。

よく「起業したい」と言っているうちは起業しない、本当に起業したいと思っている人はすでに起業している、なんて話を聞くけれど、理想や目標があっても惰性で過ごしている人は少なからずいる。

だから、理想や目標の有無は、日頃の過ごし方にさほど影響を与えないと思っている。

理想や目標があることで有意義に過ごせる人もいれば、目の前のことに集中することで有意義に過ごせる人もいる。

もしかすると、それも「自分がどうありたいか」次第かもしれないけれど、向き不向きや気質によるところが大きい気がする。

なりたい自分になる、というより、常にその時々の自分自身に納得できるような生き方をしたい。

「今の自分も悪くないな」、「色々あったけど今の自分好きだな」と常々思えたら良さそう。


自分の思いや気づきを文章として言語化していると、結局自分は自分自身を肯定したいだけなのかも、と少しネガティブに考えてしまう。

noteはやさしい人が多いから、難癖つけてきたり、否定したり、批判する人があまりいない。

「自己肯定感が高い」だけなのかもしれないけど、自分の思いを自分自身がただ肯定し続けた先に何があるのだろう。



明日書くテーマが決まって一安心。

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おがたのよはく
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