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結局、自分のことを一番よく分かっているのは誰なんだ

過大評価されても何だかモヤモヤするし、かといって、過小評価されてもそれはそれでモヤモヤする。

私のモヤモヤは…
公私ともに、周りからの評価と自分自身での認識の噛み違い
です!よろしくお願いします!

たんせんさん)

「公」の話で言えば、評価者と被評価者の構図が存在する以上、ギャップを埋められるよう努力するしかないと思う。

ギャップを感じるなら、「ギャップを感じていること」を評価者に具体的に伝えて、擦り合わせる必要がある。

評価の仕組みそのものに不満があったり折り合いがつかないなら、納得のいく評価をしてくれる環境を新たに見つけるしかない。

ただ、公私に限らず、評価や期待にずっと振り回され続けるのは大変だ。

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他人の評価は他人の評価でしかなく、「他人の評価 = 真の自分」ではない。

この前提を持っていないと、間違った方向に解釈したり、度が過ぎた解釈をして自分自身を苦しめてしまう。

自分のことは自分が一番分かっている
他人のことは分かるのに、自分のことはさっぱり分からない

いずれも聞いたことがあるし、感じたことがある。

だから、「自分から見た自分」も「他人から見た自分」も真の自分であるのと同時に、真の自分ではない。

「そういう面もあるよね」

ただそれだけのこと。

自分では分からない自分の一面だってあるし、自分しか知らない自分の一面だってある。

「あなたってこうだよね」

と言われる度に「自分」という型を入れ替えていると、「自分」が分からなくなってしまう。ブレてばかりの自分が嫌にもなってくる。

だから、「そうか、私ってこういう一面もあるのか」と、「自分」という型の空いているスペースに置いておくくらいで良い。

そんな一面を持つ自分を許せるならそのままで良いし、「こんな自分嫌だ」と思うなら、改善したり変わろうとすれば良い。

結局、自分の評価も他人の評価もアテにならないのかもしれない。

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資本主義のもとで生きていると、他人の評価や期待を追い続けることが必然的に多くなる。

だからこそ、たまには、自分の期待にも応えたい。そうやってバランスを取っていたい。

改めてそう感じさせられたモヤモヤでした。

▼今回モヤモヤをくれた人


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おがたのよはく
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