定点観測した夏、あの頃、あの選択。
昔は「夏を駆け抜ける」という感覚だったけれど、今は「夏に追い抜かれている」という感覚。
夏と聞くだけで待ち遠しかったし、一分一秒も無駄にしてたまるか、なんて鼻息を荒くしていたけれど、夏が通り過ぎていくのを定点観測しているのも案外悪くない、と思えるくらいには歳を重ねた。
昔深く関わった人、濃く関わった人とは、それが故なのか、再び関わることをどこか後ろめたく思ってしまう。
喧嘩別れをしたわけでも、さよならもなしに別れたわけでもない。後ろめたさがあるのは、自分自身が思い描いていた自分になれていないからだ。
基本的には、思い描いた通りの人生になっていないと言えば全然なっていないし、なっていると言えばなっている。
大人になって、ないものねだりは不毛だと知ったし、かといって、足るを知れるほど僕はまだ大人になり切れていない。「何か足りない」、そんな何かを渇望し、「まぁ、でも十分か」と満足を装ったりもしている。
図らずも、今年に入ってから、昔深く関わっていた人と再会する機会が何度かあり、何の計らいか、その後仕事やプライベートで継続的に関わっている人もいる。
自分にとって、学生生活とは違った“青春”をともに味わった人たちとの再会は、当たり前に嬉しく、何より楽しい。
うまくいかなかったことは数え切れないほどあるし、何かを成し遂げることはできなかったのかもしれない。もっと自分がうまくやれていたら、といまだに思うことさえある。
途中で離れていった仲間もいる。それでも、別な場所で活躍している人もいれば、相変わらずあの人らしく生きている人もいる。残念ながら、今どこで何をしているのか分からない、すっかり疎遠になってしまった人もいる。
後にも先にも経験できないような経験、今はもう湧き上がってこない感情、そんな「酸いも甘いも」という言葉だけでは足りないほどの日々。
自分の人生を振り返ると大なり小なり様々な「選択」があって、そのどれもが「後悔のない決断」だったのは間違いないけれど、あの時、大学を中退して、会社の立ち上げに参画して、そこで素晴らしい人たちと出会えて。あの選択をしたから今の人生がある、と曇りのない言葉でそう言える(正直なところ、そう言えるまで幾年か要した)。
昔は、「あの頃が一番楽しかったよな」とか、「あの頃に戻りたいね」なんて過去を美化したり、過去の話でしかアルコールが進まない飲み会が好きではなかった。
過去を振り返る余裕も、過去を懐かしく、愛おしく思える余裕も当時の自分にはなかった。未来にしか関心がないフリをしていたのだと今なら分かる。
いつか振り返った時に、ゆっくりと輪郭をなぞりたくなるような、そんな過去が自分にも確かにあった。
あの頃に戻りたい、とは決して思わない。今も今で充実している。けれど、あの頃が最も刺激的だった。
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自分のリアルをありのまま書くのは好きではなくて、相変わらず、天邪鬼がかっこいい、みたいなダサい美学があるのだけれど、どうしても書き残しておきたかったので。悪しからず。