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言葉が出てこない、言葉が追いつかない

ただのBGMでしかなかった店内に流れるジャズが、さっきからやけに聴こえてくる。

外が少し暗くなったからだろうか、店内の照明がダウンライトのみに変わったからだろうか、ゆったりとしたトランペットの音が、滑らかに体の中をすり抜けていく。

窓際の席で、何を考えることもなく、かといって何を考えないわけでもなく、ぼんやりと目の前を通る影を眺めている。

音楽や照明にあっさり揺さぶられてしまうほど、思考は上の空で、感情もどこか地に足がついていない。

言葉が出てこない。

最近、定期券を購入して2,3駅分歩く機会がめっきり減ったからだろうか、書くことが嫌になってしまったからだろうか、それとも。

「言葉にできない。それは考えていないのと同じだ」という言葉がけっこう好きで、文字通り僕は最近何も考えられていないし、考えようとさえしていない。

自分は何者なんだ、とか、この先の人生どう生きていこうかな、とか、自分はどうありたいのか、とか。

「そんなことはどうでもいい」と思えてしまうほど、いや、「どうでもいい」とさえ思う暇もないほど、目まぐるしい日々を過ごしている。

だから、言葉が出てこない。

日々自分の頭の中だけで繰り広げられる堂々巡り、誰にもぶつけることのできない感情、まだうまく言葉になり切れていない苦悩や葛藤、それらを言葉にしたくて、その一つひとつの瞬間が自分にとっての“余白”になると思って、文章を書き始めた。

はじめは、毎日文章を書けてしまうほど、時間も体力も、何よりも言葉を持て余していたけれど、次第にそうではなくなってきて、時間も体力もあるけれど言葉の方が追いつかなくなってしまった。

これはつまり、ようやく“今この瞬間に集中して自分の人生を生きられるようになった”ということなのかもしれない。

幸せについて考えてしまうような時ほど幸せじゃないし、自分と向き合いたくなってしまう時ほど矢印が他者や周りに向いていたりする。

常々そう思っているから、自分にとって、何も考えていない時はおそらく良い感じの時なのだ。

もし、また僕が毎日文章を書くようなことがあれば、おそらくその時は良い状態とは言えないような状態なのだろう。

その時はまた書いて、書き続けて、自分の抱える言葉が出てこなくなるくらい書きまくれば良い。

書いて、書かなくなって、また書いて、そうやって整えていくのも決して悪くない。

すっかり日は沈んでいたけれど、店内には相変わらずジャズが流れている。

いつの間にか、僕はギターやパーカッションのリズミカルな音にすっかり心を奪われていた。


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おがたのよはく
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