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#アラサー #20代

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#毎日note

「知り合いがYouTuberなんだよね」なんて言っているうちは

20代前半くらいまでは、活躍している知り合いや我が道を行く同級生を、どこか他人事のように捉えていたけれど(他人なのだから、そりゃそうなのだけど)、段々他人事のようには思えなくなってきたというか、素直に喜べなくなってきた。 昔は、 「知り合いがYouTuberで、チャンネル登録者数十万いるんだよね」 「同級生が起業して、今どこどこに住んでいるんだよね」 「学生時代の友人が、〜〜で全国1位なんだよね」 なんて、どこか誇らしげに言えていたけれど、 「いつまで“言っている側”

「あ、今つまんない人生送ってるな」みたいな感覚

ふと、そういう感覚になる時がある。 何がつまらなくさせているのかはあまり心当たりがないけれど、自分の中の「おもしろい人生」と比較した時に、そう感じるのだと思う。 自分自身の人生の過去・現在との比較ならまだしも、たいていは他人の人生との比較になってしまっている。 他人の人生と言っても、特定の一人というわけではなく、漠然とした「〇〇している/できる人生」といったイメージに過ぎない。 この1年間そう思う機会が、どういうわけか増えた。 周りの環境の変化が大きな要因だろうけど

知り合いと友達の境目、“大人になる”という実感

知り合いと友達の違い、異性の友達と恋人との違い、今まで曖昧で良しとしてきたものをはっきりさせたくなると、「大人になった」と実感する。 「好きって何だろう」、「幸せって何だろう」、直感で解釈してきたものを論理的に考察し始めると、「大人になった」と実感する。 代わりに書いてほしいのは「知り合いと友だちの境目はどこか」です。 当方大学生で、今のところ友だちとは「会おうと言ったら本当に会う人」です。が、今後社会人になるとお互いに会う気はあっても、どうしても時間や場所の都合で会え

金曜日の夜に戻れたら

金曜日の夜のあの無敵感がたまらない。 どれだけアルコールを流し込もうが、遅くまで起きていようが、次の日は本能のままに目を覚ませば良い。何にも縛られることはない。 もし仮に、土曜日を無駄に過ごしてしまったとしても、僕らには「日曜日」がある。 金曜日の夜の時点では残り二機あるから、ほとんどそれは無敵な状態と言える。 しかし、日曜日になると、途端に金曜日の夜が恋しくなる。 金曜日に夜更かしすべきではなかったとか、土曜日にもっと生産的なことをしておくべきだったとか、藁にもす

24歳って、半端だね

いつの間にか、年齢を表記する時は「才」ではなく「歳」を使うような年齢になってしまった。これらの使い分けって、何だったんだろう。 これまで様々な年齢を経験してきたわけだけれど、その年齢ならではの葛藤や悩みがあるような気がする。 例えば、「18歳」なら大学進学や就職、進路に悩む年齢だし、「20歳」も就職活動や始まったばかりの社会人生活のことで悩む年齢だろう。 もちろん一概にそうとは言えないのだけれど、年齢ごとにある程度多くの人が通るであろう悩みや葛藤があるはずだ。 「24