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知り合いと友達の境目、“大人になる”という実感

知り合いと友達の違い、異性の友達と恋人との違い、今まで曖昧で良しとしてきたものをはっきりさせたくなると、「大人になった」と実感する。

「好きって何だろう」、「幸せって何だろう」、直感で解釈してきたものを論理的に考察し始めると、「大人になった」と実感する。

代わりに書いてほしいのは「知り合いと友だちの境目はどこか」です。

当方大学生で、今のところ友だちとは「会おうと言ったら本当に会う人」です。が、今後社会人になるとお互いに会う気はあっても、どうしても時間や場所の都合で会えないときも出てくると思います。

そうしたら単純な知り合いと、友だちの違いは何だろう、とモヤモヤしそうです。主観で構いませんので、文章にしてもらえたら嬉しいです。

なーさん

大人になった今思うのは、自分が友達と認識している人は、おそらくLINEの「友だち」にいるということだ。

「友だち」リストの総数から、仕事や付き合いでやり取りする人・公式アカウントを除いた数が、きっと自分の「友達」の数だと思う。

大人になると、定期的にLINEの友だちリストを断捨離したくなる衝動に駆られる。

連絡先にまでミニマリズムが適用されると、何だか自分が非情に思えて、大人になった実感とともに寂しさを覚える。

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半分冗談で半分本気の導入はさておき、目の前の人に対して「知り合いなのかな?友達なのかな?」なんてふと思ったりしない人が、自分にとっての友達だと思う。

「では、その要因が何なのか」という話が本題だと思うけれど、実は、過去にこんな文章を書いていた。

頻繁に会うから親友、ではなくて、久しぶりに会っても、たとえその期間が数年だったとしても、あの時と同じ空気感で、あの時と同じバカな話で笑い合えて、「また気が向いたら会おうぜ」って別れ際曖昧に約束しても、それが必ず果たされるのが「親友」なのかもしれない。

親友とはいつまで経っても親友なんだよな

冒頭でなーさんが言う通り、「会おうと言ったら本当に会う人」が分かりやすい友達の定義ではないか、と僕も思う。

友達にお世辞で「また会おう」なんて言う必要ないし、そもそもお世辞を言う気にもならない。

会っていない、やり取りしていない期間の長さに関係なく「会おうと言ったら本当に会う」のは、やはり“友達”しかいない。


書いているうちに、今度は「友達と親友の違いって何だろう」と思ったりして、つくづく大人になってしまったことを実感する。

世の中も少し落ち着いたし、

「俺たち、大人になっちゃったよな」

と、友達とお互いの顔を見てまた笑い合いたくなった。


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