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#人生観

流れに身を任せて、人生を漂う

僕らは人間だから「何も感じない」なんてことはないのだけれど、自分の感情や感覚を一々記憶してはいられない。 だから、こうして文章を書いて、嫌でも自分が「日々何を感じて生きているか」を思い起こす機会を作っているのかもしれない。 言葉が全く出てこなくて「どうして書き始めちゃったんだろう」と後悔することも少なくないし、感覚をうまく言葉にできなくて都合の良い言葉に逃げてしまうことだってある。 そんな苦悩を経てまでして書くことが果たして本当に楽しいと言えるのか、いまだに疑問は消えな

誰だって、カッコつけたい時もある

「だめだ、やっぱりカッコつけちゃってる」と冷静になった夜もあれば、「結局、カッコつけてるだけじゃん」と怒りを感じた夜もあった。 「カッコつけすぎかな」と曖昧にした文章もあれば、「カッコつけすぎて中身が薄いな」と書き直した文章もあった。 誰だって、カッコつけたい時はある。 勝手に全員巻き込んでしまったけれど、少なくとも、僕はそう思っている。 目立ちたがりの男子のような“男の性”というやつではなく、“人の性”というやつだ。 数多の紆余曲折を乗り越え、酸いも甘いも噛み分け

誕生日だから、人生の成功について考えた

以前行ったモヤモヤ企画に、久しぶりにモヤモヤが。 人生の成功・・・。 人生の成功者とは言えない僕が「成功」について書くのはおこがましい気がするけれど、成功者ではない僕がイメージする「成功」の景色や全体像を考えてみたい。 「人生の成功」について考える時、こんな言葉を思い出す。 人生の成功について語られた本や名言、これらのほとんどは“成功者によって語られていること”を念頭に置かなければならない。 例えば、いわゆるお金持ちの人が言う「お金が全てではない」という発言は、確か

25歳、息するように感じる不安と焦り

20歳を超えてから、希望や期待よりも、不安や焦りの占める割合が年々高くなってきている感覚がある。 何もしない時間を過ごせば焦燥感に駆られ、だらだら眺める画面の先の他人の人生に「自分はどうなんだ」と不安を感じる。 昔は、何も考えずただただ直感で生きていた。 もちろん、当時は当時の自分なりに考えてはいた。 けれど、年齢を重ねるにつれ、築き上げてきたものや得たものも、少しずつではあるがそれなりに増えてきて、徐々に“手放す”ハードルが上がってきている。 「やっちゃいますか!

「知り合いがYouTuberなんだよね」なんて言っているうちは

20代前半くらいまでは、活躍している知り合いや我が道を行く同級生を、どこか他人事のように捉えていたけれど(他人なのだから、そりゃそうなのだけど)、段々他人事のようには思えなくなってきたというか、素直に喜べなくなってきた。 昔は、 「知り合いがYouTuberで、チャンネル登録者数十万いるんだよね」 「同級生が起業して、今どこどこに住んでいるんだよね」 「学生時代の友人が、〜〜で全国1位なんだよね」 なんて、どこか誇らしげに言えていたけれど、 「いつまで“言っている側”

「あ、今つまんない人生送ってるな」みたいな感覚

ふと、そういう感覚になる時がある。 何がつまらなくさせているのかはあまり心当たりがないけれど、自分の中の「おもしろい人生」と比較した時に、そう感じるのだと思う。 自分自身の人生の過去・現在との比較ならまだしも、たいていは他人の人生との比較になってしまっている。 他人の人生と言っても、特定の一人というわけではなく、漠然とした「〇〇している/できる人生」といったイメージに過ぎない。 この1年間そう思う機会が、どういうわけか増えた。 周りの環境の変化が大きな要因だろうけど