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#生き方

いつか止む雨なら、傘ではなく雨宿りを

季節の変わり目に誘われるように毎度文章を書いていたつもりだったけれど、今年の梅雨には不意打ちを喰らってしまった。すっかり油断していた。 じめっとした日々に塗り重ねられる名前のつけ難い感情を、言葉にして、誰にも配慮せず好き勝手に表現して、ネットの海に放り投げてやろうと思っていたのに、いつの間にか夏。 少しでも梅雨の時期を前向きに過ごそうと、奮発して雨用のレザーブーツを新調してみたりしたけれど、晴れの日に試し履きしたっきり出番はなかった。 そういえば去年も、少しでも雨の日を

流れに身を任せて、人生を漂う

僕らは人間だから「何も感じない」なんてことはないのだけれど、自分の感情や感覚を一々記憶してはいられない。 だから、こうして文章を書いて、嫌でも自分が「日々何を感じて生きているか」を思い起こす機会を作っているのかもしれない。 言葉が全く出てこなくて「どうして書き始めちゃったんだろう」と後悔することも少なくないし、感覚をうまく言葉にできなくて都合の良い言葉に逃げてしまうことだってある。 そんな苦悩を経てまでして書くことが果たして本当に楽しいと言えるのか、いまだに疑問は消えな

"何者かになりたい"という暇人の欲求

何となくモヤモヤして、何となく自分と向き合っているうちに、都合よく連休は終わってくれる。 そしたら、またいつもの日々が始まって、目の前にある仕事をこなしていればそれで良い、そんなどこか物足りないようで実は満ち足りた日常が戻ってくる。 飲み屋で愚痴をこぼす人も、朝の電車でSNSに憂さ晴らしをする人もみんな、嫌だ嫌だと言いながらもちゃんと仕事をする。連休で時間ができて、このままで良いのかな?なんて考えてみるけれど、結局何も変わることはなく、日々を過ごしていく。 人生とはきっ

悩む自分のことが好きなだけ。気配のない眠気を待ち続ける夜

「眠れない」 ディズニーランドへ行く前夜とか好きな人に会える前夜とか、「明日が楽しみ過ぎてこのまま眠れなかったらどうしよう、何ならもう今日じゃん」なんて考えた、忘れられない夜が確かにあった。 「眠れない」 年齢を重ねたから、いや、年齢だけを重ねてしまったからなのか、“それっぽいこと”が書かれた本ばかり読むようになってしまったからなのか、小難しく考えるのがカッコいいと思ってしまう年頃だからなのか、夜、頭の中が活発に思考する。 「自分のやりたいことってなんだろう」 「自分

25歳、息するように感じる不安と焦り

20歳を超えてから、希望や期待よりも、不安や焦りの占める割合が年々高くなってきている感覚がある。 何もしない時間を過ごせば焦燥感に駆られ、だらだら眺める画面の先の他人の人生に「自分はどうなんだ」と不安を感じる。 昔は、何も考えずただただ直感で生きていた。 もちろん、当時は当時の自分なりに考えてはいた。 けれど、年齢を重ねるにつれ、築き上げてきたものや得たものも、少しずつではあるがそれなりに増えてきて、徐々に“手放す”ハードルが上がってきている。 「やっちゃいますか!

「あ、今つまんない人生送ってるな」みたいな感覚

ふと、そういう感覚になる時がある。 何がつまらなくさせているのかはあまり心当たりがないけれど、自分の中の「おもしろい人生」と比較した時に、そう感じるのだと思う。 自分自身の人生の過去・現在との比較ならまだしも、たいていは他人の人生との比較になってしまっている。 他人の人生と言っても、特定の一人というわけではなく、漠然とした「〇〇している/できる人生」といったイメージに過ぎない。 この1年間そう思う機会が、どういうわけか増えた。 周りの環境の変化が大きな要因だろうけど