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1週間咳を続ける。情熱について考える。
「咳喘息か百日咳ですね」
なんだかよくわからない病名を言い渡される。
咳喘息?百日咳?
なんだそりゃ。まあまあ聞いたことはあるけれど、自分がなるなんて聞いてない。
あと「か」ってなんだ。
どちらかはっきりしてくれ。
原因がわからないまま宙ぶらりんなのが1番嫌なんだけど...
とにかく、今私の長く咳は普通の風邪とは違うと言うことだけわかった。いろんな薬をもらって帰ってくる。もう、家は薬の宝石箱や。
身体は、クタクタである。
咳で身体は力を入れっぱなしである。おまけに夜は寝れない。意識は朦朧としており、帰って来たらすぐに横になるしかなかった。
肺結核だった正岡子規はこんな気持ちで日々過ごしいたのだろうか。朦朧とした意識の中でそう思う。結核と言えば咳、咳と言えば正岡子規。
正岡子規と言えば、『病牀六尺』と言うの随筆集があって、病床で自身の病状や時勢、心境などを書き綴った作品だ。
病気であれど、子規は筆をとり続けたのです。
今の私には、到底出来るようなことじゃない。
小さな病床の中に見える世界を、死と向き合いながら書き続けたというのが、素晴らしいと言うかすごいと言うか。そんなふうなことを、病気になった今やれる自信がない。
病気になっても、何かをやりたいと思える情熱。
その情熱は一体どこからやってくるのだろう。
k1で活躍した空手家、フランシスコ・フィリオは40度の熱があっても稽古を休まなかったと聞いたことがある。
プロ戦績50戦50勝を成し遂げたプロボクサー フロイド・メイウェザーの名言に「私は相手が寝ている時も練習してる」と口にして、信じられない量の練習をこなしたと言う。
人は、どうしてそんなに情熱的に物事を成し遂げられるのか、頑張ってこれるのだろうか。
私は知りたい。
みんなが頑張れる原動力を。
そして、それを学び、私も努力する力を養いたい。今以上の存在になるためには、努力はやっぱり必要である。
今はまず咳喘息?百日咳?とやらん直してから...と言いたいところだが、やっている奴は病気だろうがなんだろうが努力している。
どうか教えていただきたい。
自分が変わるための努力を惜しまず頑張れる力を。ガムシャラに努力する力を。
咳にやられて、読書すらできない自分を、ただ呆れるばかりである。
とりあえず、子規の書いた『病牀六尺』をスマホで読みながら眠くなるまで横になっていよう。
同じく病気で苦しんでいる人の気持ちに触れながら、今夜はゆっくりと過ごしたい。