1988年はアニメ界にとって地殻変動の年「AKIRA」
1988年、昭和63年。
この翌年が平成元年になるので、1988年は実質最後の昭和ってことね。
この年って、実はアニメにとってめちゃくちゃ重要な年なのよ。
というのも、極めて重要な作品がこの1988年に集中して生まれてるから。
それは、以下の通り↓↓
宮崎駿「となりのトトロ」
高畑勲「火垂るの墓」
富野由悠季「逆襲のシャア」
大友克洋「AKIRA」
庵野秀明「トップをねらえ」(監督デビュー作、OVA)
押井守「機動警察パトレイバー」(OVA)
・・おいおい、とツッコみたくなるよね。
いくら何でもラインナップが豪華すぎやろ、と。
まぁ、確かに。
じゃ、この年には凄いアニメブームが巻き起こったんでしょうね、と皆さん考えるだろうが、そのへんをこの年の映画興行収入で見てみよう。
<1988年の映画興行収入TOP10>
【1位】
敦煌(45億)
【2位】
ラストエンペラー(24.5億)
【3位】
ランボー3(24億)
【4位】
優駿(18億)
【5位】
危険な情事(17億)
【6位】
いこかもどろか(16億)
【7位】
ウィロー(15億)
【8位】
あぶない刑事/七福星(15億)
【9位】
ドラえもん のび太のパラレル西遊記(13億)
【10位】
ビーバップハイスクール/はいからさんが通る(12億)
はい、見ての通り、「敦煌」ぶっちぎりでしたわ。
「ラストエンペラー」「ランボー」「危険な情事」を抑えての1位か・・。
なお、アニメ映画については
「となりのトトロ」「火垂るの墓」⇒11.7億
「逆襲のシャア」⇒11.3億
「AKIRA」⇒11~12億(推定)
といった感じで、ぶっちゃけ、大してヒットしてません。
これらが束になっても「敦煌」には勝てない・・。
しかし、そこから三十数年を経た令和の今、「トトロ」や「火垂るの墓」や「逆襲のシャア」や「AKIRA」を熱く語る人たちはたくさんいるだろうが、「敦煌」を熱く語ってる人たちの存在なんて私は見たことないよ。
隠れ「敦煌」ファンの諸君、恥ずかしがってないで出てこいよ。
さぁ皆で名作「敦煌」の素晴らしさについて、ひと晩中でも熱く語り明かそうじゃないか。
「敦煌」、私は一度も見たことないけど・・。
さて、冒頭に挙げた6作品のうち、最も重要と思えるのをひとつだけ挙げろと言われたら、私の場合は、やはり「AKIRA」を選ぶと思うんですよね。
ちょっとこれだけは、影響力という意味においての別格だから。
その影響力の基準を「敦煌」という単位で表すなら、「AKIRA」はおそらく1000敦煌ぐらいである。
<「AKIRA」はここがスゴイ!>
①総作画枚数は15万枚、全体2コマ打ち(1秒12フレーム)、一部1コマ打ち(1秒24フレーム)にて制作
②収録はアフレコ方式でなく、プレスコ方式
③作画監督/なかむらたかし、作監補/森本晃司、原画/井上俊之、沖浦啓之、大平晋也、北久保弘之、梅津泰臣、金田伊功、橋本晋治、高坂希太郎etc
④部分的に、当時まだ多く普及してなかったCGを使用
監督は、本職が漫画家の大友克洋。
初の長編アニメ制作を手掛けることになる彼(当時、まだ33歳の若僧)が、上の①~④というのをいきなりやったのって、よく考えたら凄くない?
だって、大友先生がいかに天才といえど、アニメ制作に関してはシロウトに毛が生えた程度だよ?
よくもまぁ、スポンサーも10億ものおカネを出してくれたもんだわ。
こういう漫画家がアニメの監督をやっちゃう例って、古くは手塚治虫先生、あと松本零士先生の例もあるんだけど、大体はクロウトが傍らについて補佐しなくちゃならん系である。
だって、漫画とアニメじゃ何から何まで全然違うんだから。
割と「お飾り」っぽいニュアンスはあるんだよね。
・・ところが、この大友先生の例だけはちょっと違ったらしいのよ。
彼はいきなり、「バリバリ即戦力の監督」だったらしい。
彼の仕事は仕切りや絵コンテだけにおさまらず、レイアウト、そして原画に至るまで全部自分でやっていたらしい。
しかもその作画やレイアウトの巧さたるや、上記一流のアニメーターたちが皆揃って唖然としたという。
彼は、漫画のみならず、実はアニメーターとしても「天才」だった、ということ。
で、本職が漫画家である監督自らにそんなことをされちゃ、現場の原画マンたちも手を抜いてられないよね。
皆、必死で描いたという。
で、問題はその作画枚数さ。
同88年制作の映画と比較してみよう。
「AKIRA」⇒15万枚(124分)
「となりのトトロ」⇒4万8000枚(86分)
「火垂るの墓」⇒5万4000枚(88分)
「逆襲のシャア」⇒10万枚(120分)
うむ、作画枚数が多けりゃいいってもんでもないが、正直、ジブリはこの数を深刻に受け止めたと思う。
事実、この年以降、90年代のジブリの作画枚数は急速に右肩上がりで伸びていくんだから。
ぶっちゃけ「AKIRA」の2コマ打ちを見て、「うわっ、やられた~」と思ったはずである。
しかし宮崎駿はともかく、SFに興味なさそうな仙人・高畑勲は「AKIRA」なんて見とらんやろ?と皆さんは思うだろうけど、いやね、私は高畑さん、これ見てたと思うのよ。
だってさ、彼は「火垂るの墓」の3年後に「おもひでぽろぽろ」を作るわけだが、そこで彼が挑戦したのは
今井美樹/柳葉敏郎の顔の造作まで投影したリアル作画だから
こういう顔のシワまで表現しちゃうあたり、実は思いっきり大友克洋流なんだよね。
「AKIRA」流といっていい。
もともと、高畑さんはリアル志向の人である。
だからこそ収録もアフレコでなくプレスコ方式を採ってるわけで、根っこで大友先生と高畑さんは似てるんだと思う。
そして上の③を見てお分かりの通り、「AKIRA」はリアル系アニメーターの大集会みたいな感じになっている。
・・ただ、③の顔ぶれの中で「ん?」という人物が、1名入ってるでしょ?
そう、金田伊功さんがいるんだよ。
金田さんは、いわゆる「リアル系」アニメーターではない。
むしろ、その逆のデフォルメ系の人である。
普通、爆発はこういう妙な曲線を描いたりしませんから・・。
だから、金田さんは結構長いことジブリにいたものの、担当は主に宮崎作品ばかりで、高畑作品は全く描かせてもらえなかったと思う(金田さんは高畑さんのファンゆえジブリに来たらしいんだが)。
まぁ、高畑さんのは純度の高いリアル系だからなぁ・・。
敢えてレイアウトの均衡を崩す金田さんみたいなのは、ちょっと扱いづらいかも。
わざと遠近法(パース)狂わすし。
だけど、一方の大友さんは金田さんを敢えて使った。
じゃ、一体どういうところで使ったのか?
それは、こういう感じのところですよ↓↓
私、今でもこのシーン見ながら、魚肉ソーセージ食べたりするの好き。
そう、「AKIRA」はリアル系作画のアニメと解釈されてると思うけど、実は結構デフォルメは多めなんだよね。
というより、「AKIRA」というアニメの真の価値は
リアルとデフォルメの黄金比の確立だと思う
そういう意味じゃ、大友先生のコンセプトは高畑さんとは少し違うのよ。
じゃ、もうひとり、リアル系の大物、押井守監督は「AKIRA」をどのように見てたのか?
「2年近く踏ん張って確かに緻密で良くやっているが、何度も見たい感じの映画じゃない」
「目新しさが何処にも無く、作品として未完成さがあまりにも貧弱である」
・・めっちゃ辛辣。
何がそんなに気に入らなかったというんだろう。
というか、私はこれを<同族嫌悪>と解釈するけど・・。
ぶっちゃけ、大友監督と押井監督はほぼ同類だと思うのね。
どっちも映画マニアで(どっちのレベルが上かは知らんが)自身が実写映画を撮る人だし、ともにレイアウトにはこだわるタイプ(ともに使用レンズを想定したパースをとる)。
ただ押井さんとしては、渾身の劇場版「パトレイバー」公開が89年に控えてる中、画的には自分がやってたのと同じ系統のやつを、よりにもよって前年88年というタイミングで公開されちゃったわけさ。
ましてや、これが長編初監督という、自分よりも3歳年下の奴に。
そりゃ、イラッとしたかもしれん。
これは想像だが、押井さんが90年代「攻殻」にいったのは、やっぱり「AKIRA」意識してこそなんじゃないの?
まぁ、押井さんはそんなことない、と言うだろうけどさ。
で、押井さんは90年代、大きく「リアル系」の方へと舵を切っていくことになる。
レイアウトは、よりパースの正確さにこだわるようになっていく。
つまり、金田伊功系の排除だね。
俺はそっち系は使わん、と。
いや、少なくとも少し前の押井さんは、そういう人じゃなかったのよ。
その証拠に、彼が85年に作る予定だった幻の「ルパン三世」(結局、企画はご破算となった)にて、レイアウト(画面構成)を任せる予定だったのは、他でもなく金田伊功なんだわ↓↓
当時、押井さんが集めた「最強チーム」メンバーの中にはこうして金田さんがしっかり入ってたというのに、なぜだかこの2人、その後はすっかり縁が切れてしまうんだ。
<金田パース>
多分、こういうデフォルメ、ケレン味と押井さんが訣別したキッカケって、結局は「AKIRA」が出てきたことだったんじゃないかな、と私は解釈してるのね。
あれとの差別化との意味でも、敢えて自分はリアル系極振りでいく、と。
金田伊功、好きだったけどサヨナラ・・。
とにかく、こうして押井守、ジブリといったところに対して、「AKIRA」が少なからず影響を与えたのは間違いないと思う。
その影響力のデカさは、表現として
1000敦煌
というのも、あながち大袈裟じゃないんだ。