オッサンが「すみっコぐらし」を見てるのは恥だろうか?
今回は、映画「すみっコぐらし」について書いてみたいと思う。
見たことない人でも、きっと名前ぐらいは聞いたことあるだろう。
もともとは、「サンエックス」という会社が作ったファンシーキャラクターだね。
この会社は、他にも「リラックマ」や「たれぱんだ」なども出してる。
で、「すみっコぐらし」はアニメ化されて、その劇場版の第1弾が「泣ける映画」として話題になり、なんと日本映画批評家大賞アニメ作品賞を受賞。
それが、これね↓↓
「すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」(2019年)
これは、興行収入的にも14.5億のスマッシュヒットだった。
「どうせ、小っちゃい子が見るやつだろ?」と馬鹿にするなかれ。
こういう親子同伴が前提の映画こそ、「いかにして同伴の親を楽しませるか」に注力してるものなんだよ。
「ドラえもん」だって「クレヨンしんちゃん」だって、皆最初はそこからのスタートだったんだから・・。
じゃ、まずは「すみっコぐらし」をよく知らん人の為に、主要キャラの設定を見てもらおう。
もっと他にもたくさんキャラはいるんだが、上記5名が中心といったところかな。
みんな、小さくて丸っこくて手足短くて、とてもかわいい。
そもそも、こういう小さくて丸っこいもの見て「かわいい」と湧き出る感情は、人間にとって、いや、哺乳類全般にとっての本能みたいなものなのさ。
だって哺乳類は、爬虫類や魚類や昆虫等と違って、まだ独力で生きられない赤ちゃんを庇護しなきゃならん生物でしょ。
だから我々には、本能レベルで<赤ちゃん=小さくて丸っこいもの>を庇護したくなるようなプログラムが刷り込まれてるのよ。
いわゆる、母性ってやつ?
多分、オトコよりオンナノコの方がそれは強いんだろうけど。
だからこそ、「アンパンマン」にせよ「サンリオ」のキャラクターにせよ、大体そういうのは鋭角のないデザインで統一されてるものなんだよね。
あと、こういうキャラは流暢に喋ってはならない。
実際、小さい子というのは、うまく喋れない頃までがかわいさにピークで、一旦流暢に喋れるようになってしまえば、そこからはもうブッ殺したくなるほど生意気になってきやがる・・(笑)。
でね、この「すみっコぐらし」のうまいところは、キャラにはcvがついてないんですよ。
ナレーションに井ノ原快彦と本上まなみがいるだけで、他に声優なんて誰もいない。
つまり井ノ原さんと本上さんが、今〇〇がこういうことを言っているという説明をする感じになってて、基本的にキャラ自身は一切声を出さないんだわ。
このキャラのおとなしさが、また一層かわいさを引き立ててると思う。
あとね、子供目線はともかく、オトナ目線でこれを見ると、キャラの設定が実に秀逸なんだ。
まず、タイトルにもなってる「すみっコ」というのは、ここに出てるキャラの全員が「すみっコ」にいることを好むタイプ、つまりセンターには出たくない性格の奴らばかりなのさ。
俗にいう、陰キャだね。
学校の教室でも隅の方にいる、目立たない系のグループといったところだろう。
このてのタイプって、実社会においては蔑まれ、搾取されてしまうのが常である。
ところがこの「すみっコぐらし」は、そういう蔑む奴、搾取する奴、つまり悪役キャラが1人も出てこないんだよ。
出てくるのは、みんな優しい奴ら、おとなしい奴らばかり。
いうなれば、<弱者の理想郷>といったところか?
・・ヌ、ヌルい(笑)
いや、このヌルさが、慣れてくるとだんだんクセになってくるんだよねぇ。
基本、これのユーザーの多くは子供だと思うが、これを見て育った子なんて一切毒のない子になるんじゃないか、と。
露骨に性善説を刷り込まれ、将来は無類のお人よしになってしまうかもしれない。
悪いふうに捉えると、易々と騙されるタイプになっちゃいそう・・。
こういうの、できることならば<双子実験>をしてみたいものである。
仮に今、私の目の前に現在5歳ぐらいの双子の女児がいたとしよう。
たとえば、それをレム/ラムとする。
レムに対して、私は毎日次のアニメをひたすら見続けさせる。
<レムに見せるアニメ>
「すみっコぐらし」
「ARIA」シリーズ
「のんのんびより」
そしてラムに対して私は、毎日次のアニメをひたすら見続けさせる。
<ラムに見せるアニメ>
「地獄少女」
「ひぐらしのなく頃に」
「コープスパーティー」
この実験を1年も継続すれば、おそらくレムとラムの性格に大きなギャップが生じることになると思う。
まぁ個人的には、できれば子供にはレムのパターン、つまり「すみっコ」軸で育てるべきだと思うけど。
ラムの方のパターンは、そうね、うまく転べば危機意識の強い子、しっかりした子に育つ可能性もなくはないかも・・?
ちょっと脱線しすぎたかな。
じゃ、話を戻そう。
2作目「すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」(2021年)
3作目「すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ」(2023年)
で、1作目のヒット、および高評価を受けて、それからの展開のことね。
「すみっコ」はその後2作目を発表し、これがまた実にクオリティ高いものに仕上がっていたわけよ。
興行成績は11.6億。
・・ただ、ここにきて「さすがに、ちょっとヌルすぎるかな?」と制作側も考え始めたのか、昨年公開の3作目では遂に攻めてきたなぁ~。
本来、「すみっコ」は弱者の理想郷という世界観がベースで、それこそ現実世界の辛さや苦しさなど、観客に一切忘れさせることがひとつのコンセプトだったと思う。
ところが、この3作目で「すみっコ」メンバーがいきなり工場で働き始めるという展開になるんだわ。
今までの彼らはニートっぽく生活してきた(でも、おカネには困らない)という世界観だったのに、ここにきて、いきなりのマトモな労働・・。
しかも、ここで彼らはきついノルマに追われるようになって、だんだんその工場がブラック企業であることが露呈していく、という展開なのさ。
「あぁ~、遂にそっちへ舵を切ったか・・」と思ったね。
・・いや、映画としてはとても面白かったのは間違いない。
でも、これが難しいところである。
確かに、映画をエンタメとして面白くする為には、ある程度登場人物たちに<負荷>を与えなければならない。
彼らがずっと<負荷>に耐え、それをヤマ場で跳ね返す流れこそがエンタメ映画の基本線だからね。
しかし「すみっコ」ファンって、正直いうと<負荷>を見たくないわけよ。
その世界観には、ひたすら<ノンストレス>を求めてたと思う。
これは現実じゃなくてアニメなんだし、別にノンストレスでもいいじゃん、ヌルま湯でもいいじゃん、と。
そうね、「すみっコぐらし」って、<頑張ってストーリーを盛り上げなきゃいけない映画>より、<頑張らなくていいTVアニメ>の方がメディアとして適してるかもしれない。
・・いや、こういうのは子供に見せるべきものなんだし、そこに<頑張り>や<成長>を描くべき?
どうだろうなぁ。
そういうアニメは世に腐るほどあるわけだから、私としてはむしろこの作品には逆張りをしてほしいんだけど?
むしろ、ずっと成長しない彼らの姿を見ることで癒されたいんだ。
組織論<2:6:2の法則>
じゃ、ここでちょっと視点を変えてみよう。
上の画の<2:6:2の法則>というやつ、おそらく皆さんも今まで学校や職場でこれを何度となく聞かされてきたと思う。
ちなみに、この<2:6:2>は蟻や蜂など虫にも同じ法則があるわけで、じゃ、蟻や蜂の群れから「ダメな20%」を切り捨てたら、その後群れは一体どうなるのか?
・・うん、その場合、なぜか今まで「普通」だった集団から急に働きが悪くなる奴らが出てきて、結局、新「ダメな20%」という集団が形成されるのだという。
ならばと「普通」も排除し、「優秀な20%」だけで組織を作ったらどうなるのか?
その場合でも、結局最後は新「ダメな20%」ができてしまうものらしい。
嘘かホントか、知らんけどね・・。
じゃ「ダメな20%」って、ホントは組織の全体の健全さにとって必要とされてる、<体脂肪的な何か>なんじゃないの?
そもそも体脂肪率ってさ、どこか「低ければ低いほどいい」みたいな印象もあるけど、ホントは20%前後あることの方が健康体らしいよ?
多分「すみっコ」って、そういう位置付けの人材なんだと思う。
すみっコ=体脂肪
必要でなさそうで意外と必要というか、でも多すぎると困っちゃうタイプ。
不健康体になっちゃうから。
でもさ、逆に「すみっコ」をゼロ化しちゃう組織というのも、それはそれでもっと不健康なんですよ。
もちろん私は、「すみっコ」支持派である。
こういうアニメが出てきたことを、ホント嬉しく思う。
ただしこういうアニメって、そんなにたくさんは要らないんですよ。
いくら「すみっコ」が成功したからって、他社が2匹目3匹目のドジョウを狙うのは勘弁してほしい。
あくまで、これは<体脂肪>という位置付けだからね。
肉体そのものの中軸となる、肉や骨ではないんだよ。