「CLANNAD」は、世界遺産指定されるべきアニメかもね
今回は、天才・麻枝准について書きたいと思う。
ゲーム好きの多くは、麻枝さんのことをよ~く知ってると思う。
なんせ、あのKeyを設立した人だから。
Keyというのはゲーム会社「ビジュアルアーツ」の中にある美少女ゲームの有名ブランドで、ざっと代表作を挙げるなら
・CLANNAD
・Air
・Kanon
・リトルバスターズ
といったところだろうか。
私自身は美少女ゲームをやらない人だが、それでもこれらをよく知ってるのは、全てがアニメ化されてるからである。
特に「Air」と「CLANNAD」は、それまで知る人ぞ知る存在だった京アニの名を一気に全国区に広めたんだよね。
「CLANNAD」など、いまだ歴代アニメオールタイムベストみたいな企画をやれば、必ず上位に食い込む。
確かに、不朽の名作だ。
私だってオールタイムベストなら、間違いなく上位に入れるさ。
といいつつ、私はKey作品がやや苦手である。
その一番の理由は、樋上いたるが描くキャラの画だね。
これは私個人の嗜好に過ぎないにせよ、こういう萌え造形にあざとさみたいなニュアンスを感じてしまって、なぜか昔から好きになれないのよ。
あと、設定が妙に古臭くないか?
たとえば「CLANNAD」とか、主人公が盗んだバイクで走り出す系キャラの不良という設定なんだが、こういうのを00年代のアニメでやられると「?」となってしまう。
もろ80年代じゃん?
あと、世間がワールドカップやら何やらでサッカー人気で沸いてる時期に、敢えて「みんなで野球やろうぜ!」みたいな物語を作っちゃうセンス(「CLANNAD」や「リトルバスターズ」)。
やることなすこと全てが確信犯的とも思えるノスタルジー系であり、きっとこの人の作家性の核になってるものって、「過去の自分自身」なんだろう。
こういうビジュアルからして、これは想像だが、この人は絶対尾崎豊の洗礼受けてると思う。
そもそも麻枝准(まえだじゅん)という名前自体、彼の本名は前田純なわけで、そういう漢字を変換しちゃうセンスもアレだよね・・。
ちなみに、彼の職種は
・ゲームシナリオライター
・脚本家
・小説家
・作詞家
・作曲家
・音楽プロデューサー
と多岐に渡っているんだが、どれが本職?といわれてもよく分からない。
ただ、作曲家としての才能があることは間違いないと思う。
彼の作る曲って、その旋律を聴いただけで「あ、これ麻枝さんの曲だ!」と瞬時に分かる。
あの旋律の特徴を私はうまく言語化できないけど、あの独特のエモさ、私は好きなのよ。
もうね、↑↑のを見てるだけで涙出てきたわ・・。
というか、この動画を見て泣かない人なんて存在するんだろうか?
以前、何かのドキュメンタリーで麻枝さんの密着みたいなのを見たんだけど、そこで彼のカリスマ性を強く感じたのはレコーディング現場だった。
めっちゃスタジオがピリピリした空気で、みんな麻枝さんの一挙手一投足にビビってる感じ。
彼自身は寡黙な人で怒鳴ったりはしないんだけど、あまり笑顔とか見せない人で、おまけにめっちゃ録り直しを要求してくる人で、やっぱりそのへんはカリスマだね。
後々に聞けば鬱病を患ってたりもしたらしく、あ~、何か分かるわ~、と思ったよ。
この人の本質って、かなり純度の高い芸術家である。
これ、有名な「CLANNAD」1期のオープニング映像。
ひとりの少女が、花のたくさん咲いた草原を疾走していくシーンで始まる。
だけどこの少女、作中に出てこないんだよね。
前述の通り、私はゲームをやらない人なので「CLANNAD」の予備知識などゼロだったし、あるいはゲームやってる人ならこのOPの意味を理解してたのかもしれないけど、Key童貞の私にしてみれば「?」という感じだったのよ。
いや、でも逆にKey童貞で良かったわ。
童貞だったからこそ、2期のクライマックスでは、もう異様なほどの鳥肌が立ったからね!
でもさ、よく考えたら、これって凄くない?
先のことなんて何も分からないこのご時世、2期のクライマックスの伏線を1期のOPに仕込むなんて、2期制作なんざ最初から確定してるものではないだろうに・・。
いやホント、ちゃんと2期が制作されて良かった。
万が一制作されなければ、1期OP映像はずっと謎のまま私の中で残り続けただろうし、そのままいけば私は年老いて病院のベッドで臨終を迎える際に、最後に言い残す言葉は
「・・くっ」
「えっ?何?しっかりして!お爺ちゃん何?何を言い残したいの!」
「・・くっ、くら、くらな、CLANNADのオープニング・・」
「はい?」
「し、しょ、少女・・」
「うん」
「・・あ、あれ誰じゃ?」
「知らん」
「・・(ガクッ)」
という無念な最期を遂げていただろう。
そうならなかったのは京アニさんのお陰であり、心から感謝している。
近年の麻枝さんは美少女ゲームを離れて、↑↑のようなアニメオリジナル作品をいくつか手掛けている。
特に「エンジェルビーツ」は名作とされてるよね。
う~ん、どうだろうなぁ。
こういう言い方をすると少しアレかもしれんが、私の個人的な印象として、麻枝さんの作家性はほとんどKeyの「リトルバスターズ」までの作品で出し尽くしたんじゃないか、と思ってるのね。
「エンジェルビーツ」以降の作品は、既存作品とは意味合いが少し変わってきてると思う。
いわば、セカンドラインさ。
セカンドラインというのは、たとえばドルチェ&ガッバーナにおけるD&Gみたいなやつのことね。
正規のコレクションラインを、一般大衆にも受け入れられやすくなるようにアレンジした企画。
まず、「エンジェルビーツ」以降は樋上いたるのデザインからP.A.WORKSのイマ風のものに変えてるし、話数も12話程度のコンパクトなものにしている。
早い話が、このアニメオリジナルって麻枝さんが「アニメファンに寄せた」企画なのよ。
だから、Keyのコアなファンほどこれらに物足りなさを感じてると思うが、私はこういうのもありだと思うけどね。
だって、「CLANNAD」は全44話、番外編4話、「リトルバスターズ」は全39話、番外編8話、どう考えてもいまどき重すぎるでしょ。
今はライトな時代ゆえ、既存の泣きのエッセンスを最低限押さえておけば、あとは何とかなるものである。
実際、私自身「CLANNAD」や「リトルバスターズ」はそう何度もリピート視聴することはないが(リピートするには、それなりの覚悟が必要だし)、意外と「エンジェルビーツ」あたりは何回もリピートできてるのよ。
さくっと見れるから。
あと、あまり世間一般の評判はよくなかったみたいだけど、「神様になった日」、これは麻枝さんの新境地という気がする。
というのも、麻枝さんって2016年に自分が拡張型心筋症を患ってることを公表しており、どうしても心臓移植が必要なんだとか(第一種身体障害者扱いになっているらしい)。
つまり、彼は日常から死を意識してる状況にあり、それを踏まえて「神様になった日」を改めて見ると、なんか物語の見え方が一変するんだよね・・。
思えば、麻枝作品は必ずといっていいほど「死」が描かれる。
麻枝さんを見てると、何となく詩人中原中也のことをイメージしちゃうのは私だけ?
中也が早逝した文学者だというのは少し気になるところだが、麻枝さんにはそうなってもらいたくないよね・・。
彼には、今後もまだまだ作品を作っていってもらいたいものである。
ただ、最近になって彼がリリースした新作ゲームはポストアポカリプス系のアドベンチャーゲームだったとやら?
今後は、そっち系に行くのか?
でも多分、そういうやつでも例のアレ↓↓は出てくるんだろうね・・。
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