「ダンダダン」の映像表現の本質を知っておこう!
皆さんは、「世界4大アニメーションフェスティバル」って知ってる?
こんなの、知らん人の方が多いと思う。
おそらく、世界3大映画祭(カンヌ、ベルリン、ベネツィア)のアニメ版といったところだろう。
具体的にいうと、
・アヌシー国際アニメーション映画祭(フランス)
・オタワ国際アニメーションフェスティバル(カナダ)
・ザグレブ国際アニメーション映画祭(クロアチア)
・広島国際アニメーションフェスティバル(日本)⇒これは、2020年をもって終了
ということらしい。
広島、終わってしまったんかよ・・。
確かに、誰も注目してなかったもんね。
よって、今は実質「3大アニメーションフェスティバル」になってるんだけど、実は「東京アニメアワード」にも「コンペ部門」があるわけで、これが実質的な代替という捉え方でも別にいいんじゃないだろうか?
じゃ、広島国際が2020年をもって終了したことを踏まえて、2020年以降の「東京アニメアワード」コンペの最優秀作品(長編部門)がどんなものか、ざっと見てみよう。
<東京アニメアワード コンペ最優秀作品>
【2020年】
「マロナの幻想的な物語」
【2021年】
「ジュゼップー戦場の画家-」
【2022年】
「マード 私の太陽」
【2023年】
「犬とイタリア人お断り」
【2024年】
「ニコラはチキンがたべたい!」
日本の作品がひとつも入っとらんやないか!とツッコみたい人もいるだろうが、まぁぶっちゃけると、こういうコンペで日本アニメはとりたてて強くもありません。
事実、上記「4大フェスティバル」のグランプリ実績を見ても、
【アヌシー国際】
1993年(宮崎駿)、1994年(高畑勲)、2017年(湯浅政明)の3回
【オタワ国際】
2017年(湯浅政明)、2019年(岩井澤健治)、2022年(山村浩二)の3回
【ザグレブ国際】
2017年(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット)の1回
【広島国際】
1985年(手塚治虫)、2004年(山村浩二)、2008年(山村浩二)の3回
といった感じ。
多くの場合は欧州勢に競り負けている。
近年のコンペで欧州とまともに戦えてる日本人は、湯浅政明、山村浩二、
この2人だけじゃないかな?
・・あ、山村さんを知らんという人は、こちらをどうぞ↓↓
やっぱね、こういう感じ↑↑じゃないと、世界とは互角に戦えないのよ。
いわゆる<アート>系ってやつ?
だけど日本アニメというのは一種の<ガラパゴス>系であって、その多くはこんな感じ↓↓でしょ?
・・いや、コンペじゃ「私たちの喧嘩」とかは無効なんだ。
基本、欧州はアニメを<アート>と解釈している。
・・あ、言っとくけどアメリカは違うからね?
あそこはディズニーから発祥だし、アニメを<エンターテイメント>産業の一環として捉えている。
つまり、世界のアニメは大きく分けて3つの潮流があると解釈してください。
【欧州(中心地フランス)】
アニメとは、アートだ!
【アメリカ】
いや、アニメとはエンターテイメントだ!
【日本】
いいえ先輩、私たちの喧嘩です!
・・そう、日本アニメというのはふたりの「先輩」がいるんだ、と解釈した方がいい。
ひとつは<アニメーションの祖>ともいわれる、アメリカのディズニー。
これに憧れ、エンターテイメント路線を目指そうとしたのが
手塚治虫を軸とした旧虫プロ勢力
案外、最大手だった東映アニメーションもまたそれに追随している。
ただ、そういう大きな流れに抵抗したというわけじゃないにせよ、東映から敢えて離脱し、逆にフランス<バンドデシネ>の方を理想と定義したのが
高畑勲を軸にしたジブリ勢力
だと、解釈できる。
高畑さんというのは割とベクトルがハッキリした人であり、彼が生涯かけて目指し続けたのは、明確にフレデリック・バックだったんです。
フレデリック・バックはフランス生まれ、後にカナダを拠点として活躍したアニメ作家で、生涯2度のオスカーを獲っている。
じゃ、バック氏のオスカー受賞作品をよく知らない人の為に、本編を貼っておきます。
オスカー受賞作「クラック!」(1981年)
オスカー受賞作「木を植えた男」(1987年)
これら作品を見てると、なぜ高畑さんが「となりの山田くん」「かぐや姫」で淡色の画作り(←これ、めっちゃコストかかるのに)にこだわったのか、その意味を理解できると思う。
ようは、バック氏の画を目指したんだよ。
じゃ、ジブリの盟友・宮崎駿もまた高畑さんに同調したのか?
・・いや、そうじゃない。
宮崎さんもバンドデシネに憧れつつ、でも一方で彼はピクサー等にも理解を示すタイプだったから。
ある意味、彼はバランスが良かった。
だから宮崎作品は、高畑作品より売れたんだけど。
やがてジブリそのものもディズニーと提携する流れになり、もうこの時点で高畑さんのイズムは<傍流>だっただろうね。
・・ただ、それを受け継ぐ者もまたジブリ内にいたわけで、それが宮崎駿と袂を分かち、後にジブリから独立したこの人である↓↓
STUDIO4℃田中栄子社長
STUDIO4℃は、めっちゃ明確に<バンドデシネ>系だよね。
また田中さんは、次のふたりの日本人演出家をSTUDIO4℃から長編デビューさせている。
片渕須直
湯浅政明
このふたりもまた、<バンドデシネ>系と解釈していいだろう。
ゆえにおふたりとも、興行成績云々はともかく、国際映画祭では無類の強さを見せてるでしょ?
特に湯浅さんの方は後にサイエンスSARUを立ち上げたわけで、この文脈でいくとSARUもまた<バンドデシネ>の系譜にあるという解釈で構わないと思う。
言っとくけど、これらは業界内じゃまだまだ<傍流>だよ?
だけどね、私が最近久々にめっちゃ面白いと思ったのが、サイエンスSARUがTVアニメ「ダンダダン」を手掛けたことなんだ。
あの作品のこと、皆さんは「いつもの集英社系アニメ化作品」だとでも解釈してる?
いやいや、それトンデモない誤解だよ。
はっきりいうけどね、
「ダンダダン」は、完全に<バンドデシネ>系ですから!
私はこの作品を<2024年最も画期的だったTVアニメ>だと思ってて、その価値は、TVアニメにこういうレアな概念を持ち込んだことにこそあるんですよ。
思えば、フレデリック・バック⇒高畑勲⇒田中栄子⇒湯浅政明という流れで、これまで脈々と受け継がれた<バンドデシネ>。
でも、皆さんはこう思うでしょ?
「フレデリック・バックと『ダンダダン』は全然似とらんやないかい!」って。
うん、バック氏のアニメはあくまで教科書/古典であって、<バンドデシネ>もそこから進化してるのさ。
そういうアニメの流れを理解する意味でも、やっぱ国際映画祭コンペ作品を見とくことはマジ重要なんだけど。
で、ここから冒頭の話に戻るんだが、私が紹介した「東京アニメアワード」コンペ5作品のうち、皆さんに最も見てもらいたいのはそのうちのふたつ、「マロナの幻想的な物語」と「リンダはチキンがたべたい!」なのね。
両方とも結構サブスクで配信されてると思うので、ぜひ見てもらいたい。
特に「リンダ」の方は、めっちゃエンタメ作品なんですよ!
フレデリック・バック見て、<バンドデシネ>を「暗い」「難解」と捉えた人もいるだろうが、もう時代はそこから数十年を経てるわけで、いつまでもそういうものというわけでもないさ。
・・で、「リンダ」あたりを<バンドデシネの今>と解釈するなら、そこに見えるテーマは「色」なんです。
お分かりになるだろうか?
作中、この監督さんは「色」に「意味」を持たせて映像表現をしている。
そして奇しくも、それと全く同じことをやってたのが「ダンダダン」の山代風我監督だったんです。
「ダンダダン」の画の色に全て「意味」があったことは、皆さんもおそらく既に気付いてたでしょ?
この山代さんというのはどうも湯浅政明直系のお弟子さんらしく、つまりは<バンドデシネ>の正統継承者である。
まぁ、彼のお師匠さんは、こんな感じですからね↓↓
いよいよキタね!
日本にも<バンドデシネ>の時代が!
思えば、もともと美大出身で、アート志向の素養があった山田尚子が京アニからサイエンスSARUに移籍してきたわけだしなぁ・・。
その山田さんの最新作が「きみの色」であり、色テーマなんだよね。
このへん、非常に分かりやすいPVがあるので、ちょっと見てほしい↓↓
・・どう?
やり方が山代監督の方法論と全く同じでしょ?
山田尚子も、画の「色」に「意味」を持たせているから
うむ、彼女もまた<バンドデシネ>の系譜に乗った、と解釈すべきなんだろう。
彼女の加入により、ひょっとしたらこの流れは単なる<傍流>で終わらないかもしれない・・。
つまり、ここまでの話を分かりやすくまとめると、
「ここから先は、俺の喧嘩だ!」
「いいえ先輩、私たちの喧嘩です!」
ということになるよね。
で、こういう映像表現がとても新しいものに思えて、実はその本質を掘ると数十年前のフレデリック・バックに到達しちゃうというのがアニメの奥深いところなんです。