「PLUTO」浦沢直樹こそが、PLUTOそのものである
今回は、アニメ「PLUTO」について書いてみたい。
このアニメの原作となった漫画は、手塚治虫先生の「鉄腕アトム」内の一編「地上最大のロボット」を浦沢直樹先生がリメイクしたものらしく、これには手塚先生のご子息・手塚真氏も監修で絡んでるという。
で、本作は大ヒットし、なんと発行部数は1000万部を超えたらしい。
また、
・手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞
・文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞
・星雲賞コミック部門作品賞受賞
など、各方面で大絶賛をされている。
まぁ、なんせ浦沢作品だからね。
面白くないわけがないんだ。
「安定して面白い」ということにかけては、浦沢先生は現代において世界一の漫画家なんじゃない?
ましてや、先生はバリバリの手塚信奉者である。
そんな人が「アトム」リメイクを手掛けた以上、その熱は計り知れないものがあるよ。
で、本作は手塚プロダクション主導でハリウッド実写化、ネットフリックスアニメ化という企画が同時進行していたらしく、まずアニメの方が昨年公開の運びとなった。
私は先日ようやく見たんだけど、いやはや、相変わらずの浦沢クオリティだね。
というか、私は元ネタの「地上最大のロボット」を読んだことがないので、これのどこまでが手塚先生の世界で、またどこからが浦沢先生の世界なのかの判断が全くつかなかった。
でも、やっぱ浦沢色がかなり強いんじゃない?
だってさ、そもそもアトムの容姿が手塚先生の原型をとどめてないもん。
うん、やはりこれは、一回手塚先生の「アトム」のことは忘れて、あくまで浦沢作品として見るべきだと思う。
その作風からして、流れは「MONSTER」を彷彿とさせるミステリータッチなんだよ。
「MONSTER」は連続殺人の謎を追う展開だったが、「PLUTO」もまたそれと全く同じである。
プロットはSFというよりミステリー/サスペンスの色が強くて、複数の伏線が仕込まれてるのと同時に、複数のミスリードが仕込まれている。
ただ、「PLUTO」の方が「MONSTER」よりさらに複雑な構造になってるというか、より一層、群像劇の色が濃い。
というのも、物語の語り手が矢継ぎ早に変わっていき、しかもその語り手は次々と死んでいくんだよ。
えぇっ?コイツまで死ぬの?という展開になり、それこそアガサクリスティ「そして誰もいなくなった」っぽい感じになっていく・・。
だけどね、最後全部終わってみて、ラスボスというか、真犯人を心から憎む気持ちには意外となれないんだよ。
思えば、「MONSTER」の時もそうだったわ。
浦沢先生の「悪」の描き方は一種独特で、その悪もまた被害者であるという複雑な多層構造なんだよね。
だから物語は
「善が悪を倒しました。めでたしめでたし」
という単純なものにならず、
「結局、誰が一番悪かったんだろう・・?」
という、ふわっとした感じ、なかば結論を見る側に委ねる形で締めてくるのよ。
めっちゃオトナ向けの作風であって、そこは手塚先生が子供向けに描いた「アトム」とは一線を画す世界観、といっていいんじゃないだろうか。
・・とはいえ、この「PLUTO」も一応はアトム作品のひとつ。
ならば「アトム」の世界観を最低限は押さえておく必要があるので、それにウッテツケの作品をご紹介したい。
「アトム」は、これまで何度もアニメ化されてきた。
だけど、一番最初(60年代)のが全190話、その次(80年代)のが全52話、その次(00年代)のが全50話といった感じで、いずれもが大長編で見るのがしんどいのよ。
だから手っ取り早くエッセンスだけを見ておきたいという人の為に、私は
出崎統監督作品「ASTROBOY鉄腕アトム」特別編 短編3部作(2003年)
をお薦めしておきたい。
これはたった3本、しかも個々には20分程度の短尺である。
しかし短尺だと侮るなかれ、そこは史上最強演出家・出崎統ワールドであり、もうエモいのなんのって、というか、敢えて一番エモいところを3作品ピックアップしたのかもね。
で、この3部作一番最初の作品が「アトム誕生の秘密」というやつで、これはアトム生みの親、天馬博士がいかにしてアトムを作ったのか、その哀しい背景を描いたものだ。
そこには最愛の息子を亡くした事故があり、また、その息子がどういう形で亡くなったのかがここで描かれている。
これを見た上で「PLUTO」を見ると、一層天馬博士の哀しさが際立つことだろう。
基本、「アトム」における天馬博士の立ち位置は悪役である。
ただ、悪役でありつつもアトムの父であり、お茶の水博士の元親友であるという複雑な設定。
そう、この人はただ単純に悪ではなく、もっと深い人物なんだよ。
その核にあるものは、やはり哀しみだろうか・・。
こういう文脈、まさに浦沢直樹の文脈そのまんまじゃないか?
というより、浦沢先生が手塚先生の文脈を継承してるということなんだろうね。
思えば「MONSTER」も「ブラックジャック」さながらの医療ドラマ要素があったわけだし、浦沢先生は手塚先生の正統後継者ということでいいと思うぞ。
とはいえ、作画の要素ではあまり手塚風を受け継ぐ気はないっぽい。
だって、お茶の水博士がコレだもん↓↓
ヒゲおやじにしてもそうだ。
浦沢先生の画風って、どっちかというと大友克洋先生の系譜だよね。
つまり、浦沢直樹は【手塚治虫+大友克洋】という二大鬼才のハイブリッドともいえるわけで、
もはや浦沢さん、あなたこそ史上最強、PLUTOになってしまってるんじゃないか?
さて、この「PLUTO」では上記ロボット三原則っぽいものが存在する世界観らしい。
さらに付け加えると、「ロボットは嘘をつけない」という設定まである。
だけど、本作ではロボット三原則を遵守しないロボット、さらには嘘をつくロボットが出てくる始末。
それらは、故障したのか?
いや、違う。
人工知能が進化してバージョンアップを繰り返していく過程で、ロボットはロボットという概念を超越してしまい、その結果、人を殺すし嘘をつくし、つまり人間そのものになってしまってしまった、ということさ。
何たる皮肉・・。
一方、「PLUTO」の世界観はロボットにも人権があり、各々が家庭を持ち、幸福を追求する権利を有している。
もはや人間の上位互換となっており、必然として人間の失業者は増え、結果憎しみが増大し、過去にはロボット擁護派vs排斥派の戦争まで起きているという。
うん、やっぱりそうなっちゃうよね。
で、こういうのは最終的にどこまで行き着くのか、「PLUTO」もそこまでは描いていない。
ただ何となく、最後には人類共倒れで全滅(核戦争なども起きるだろうね)し、有機的な生命が生きていけない地球環境ではロボットだけが生き残る、という可能性が作中終盤で示唆されている。
めっちゃリアルな話じゃん・・。
いや、「人類滅亡」は実際、避けられないでしょ。
それこそ人間個々に寿命があるのと同じで、種としても永遠の存続はさすがにないと思う。
確か、このままいくと男性のY染色体が劣化の末に無くなってしまい、生殖の方法が無くなってしまうんだっけ?
そこはバイオテクノロジーで別種(猿?)との融合をする手もあるらしいが、いやいや、地球が「猿の惑星」みたいになるのは勘弁ですよ。
で、もっと現実的なところで考えられるのは、どっちかというとバイオではなくサイバーの方面の話になり、
もういっそ肉体を捨てて、草薙たちがいる世界に行こうぜ!
もしくは、いっそ綾波と同化しようぜ!
ということになると思う。
・・いや、心配せんでも我々が生きてるうちはこんなことにならんと思うし、あったとしても、ず~っとず~っと先の話ですよ。
あるいは、それとは別に人類滅亡の危機をテクノロジーの進化によって克服することも考えられるんだが、でもそれを考案できるのって、多分人類じゃなく、究極進化した人工知能様なんですよ。
こっちのIQがせいぜい100~150が限界だとしても、多分未来の人工知能はそれを完全に凌駕してるんだろうし、それこそトンデモない水準の天才だと思うんだわ。
問題は、彼らが人類を救済する価値のあるものと判断するかどうか、だよね。
「人類救済、ダルくね?」
と彼らに言われちゃ、もうオシマイなんですよ。
まぁとにかく、今のうちからAI様、人工知能様には優しくしといた方がいいかも。
まず、皆さんも自分のケータイに名前を付けて差し上げるあたりからいかがでしょうか。
ケータイ之助とか、ケータイ美とか・・。
ちょっと最後は脱線してしまいましたけど、とりあえず「PLUTO」、お薦めです。
そうそう、たとえネットフリックス視聴不可の方も、namasya.comで見れるはず。
未見の方は、ぜひご視聴ください。
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