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「この世界の片隅に」は、「はだしのゲン」と併せて見ると完璧

基本的に、私は映画のディレクターズカット版というのを、あまり信用してない。
大体のパターン、それを見たところで、オリジナル版を見た時のインパクトを上回ることは、まずないから。
そう思ってたので、実は「この世界の片隅に」の長尺版となる「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は、ずっと最近まで無視してたのよ。
・・いや、申し訳ない。
今頃になってこれを見て、自分の浅はかさを反省したわ。
この長尺版は、ぶっちゃけ最初のやつを見た時の感銘をさらに上回ってくるじゃん?

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019年)

この映画、トータル160分ほどの長さがある。
アニメ映画としては、めちゃくちゃ長い方だろう。
確か、「映画大好きポンポさん」の中でヒロインは、

「2時間以上の集中を観客に求めるのは、現代の娯楽として優しくないわ」


と語っていた。

私はその主張には基本的に賛成であり、さすがに160分というのはいまどき常識外だと思う。
ましてや、「戦争映画」だぞ?
だけど実際、この長尺版は大好評だという。
そうなんだ。
おそらく、この長尺版が「この世界の片隅に」の視聴初見だという人は皆無なんだよね。
これに挑む人は皆、120分バージョンの方を視聴済みだということ。
つまり、みんなが作品の内容をほとんど把握済みで、いうなれば「ファン」といえる人たちばかりがこれに臨んでるのよ。
そういう特殊な前提ゆえ、この160分という長さも、ここではほぼ問題とはならなかったということだろう。
まず普及版を120分バージョンで出し、その上で「本命」の160分バージョンを後で出した。
ようは、全てMAPPAの狙い通りなんでしょ?

丸山正雄プロデューサー(MAPPA会長、元マッドハウス社長)

本作は片渕須直監督の作品であると同時に、私は丸山正雄プロデューサーの作品であったともいえると思う。
なぜって、このMAPPAという会社自体、丸山さんが「この世界の片隅に」を作る為に立ち上げたものなんだから。
それほど彼は、この企画に惚れ込んでいたんだろう。
多分だが、丸山さん的には過去に自身が手掛けた作品、「はだしのゲン」のことが常に頭にあったんじゃないの?
彼がマッドハウスの社長に就任したのが1980年。
そして、そのマッドハウスが「はだしのゲン」を制作したのが1983年。
つまり、「はだしのゲン」は会社創成期の記念碑的作品であり、丸山さん的にも極めて思い入れの強い作品のひとつだと思う。

「はだしのゲン」⇔「この世界の片隅に」


丸山さんが、このふたつを同じコインの裏表と捉えていたことは想像に難くない。
実際、私も「この世界の片隅に」を初めて見た時、真っ先に浮かんだのは「はだしのゲン」だったからね。
同じ年の夏の同じ出来事を、ひとつは広島に在住の少年の目を通して描き、もうひとつは呉に在住の若妻の目を通して描く。
どちらも漫画原作であり、極論すれば、このふたつは2部作といってもいいのかも。

劇場版「はだしのゲン」(1983年)

「はだしのゲン」の原作は、今でも推薦図書として学校の図書室に置かれてるのかな?
そして映画の方も、なかば教育の一環として無理やり見せられた、という人も結構いるだろう。
そして、そういう人の多くは、この映画がトラウマになってるはず。
というのも、とにかく描写が残酷なのよ。
その一例が、この画である↓↓

言っとくけど、これはホラー映画じゃなくて、 オトナたちが子供に「見なさい」と強く薦めた「はだしのゲン」だからね?


こんなの見せられて、トラウマになるのも当然である。
というか、むしろ当時のオトナ的には、子供にトラウマ植え付けることこそが目的だったと思う
それにより、戦争に対する拒否反応を本能レベルで子供たちに刷り込む。
俗にいう、「反戦教育」というやつさ。

・・う~む、こういうのって、どうなんだろう。
上の画のような惨状も、あながち嘘や誇張じゃないんだよね。
実際、当時の広島でこういう地獄絵図はあったんだろう。
でもさ、こういうのをド~ンと見せられてトラウマ植え付けられると、もう戦時中の日本を一元的な価値観でしか捉えられらなくなるでしょ?

昭和初期=暗黒時代、地獄のような日々


多くの人が、今なお、そういうふうにしか考えられないんじゃない?
結局、戦後の徹底した「反戦教育」ってやつが、日本人の歴史認識をイビツにしてしまってる気がするんだよなぁ・・。
実際は、たとえドン底MAXの昭和20年であっても日常はそこにあったわけで、ちゃんと生活の中で笑うことはあったはずだし、皆が泣きながら暮らしてたというばかりでもないと思うのよ。
逆に、そこをちゃんと描いてくれたのが、今回の「この世界の片隅に」だろう。
ヒロイン・すずは、あの戦時下の中でも、ちゃんとほのぼのとして暮らしている。
ああやって戦時下に笑顔で生きてることって、不謹慎かい?
やっぱり、みんな悲壮な顔をしてないとダメなのかい?

いや、「はだしのゲン」は真実だけど、あれが全てではないし、そして「この世界の片隅に」も真実だけど、これだけが全てというわけでもない。


そうね、このふたつを足したぐらいが、ちょうどいいバランスなんじゃないだろうか?

ひとつ不謹慎な話をすると、私が知ってる戦前生まれのお年寄りなどは、空襲の時、ぶっちゃけワクワクした気持ちになった、というのよ(当時はまだ幼かったらしい)。

こういうのは、あまり口にしてはならないことを本人も分かってたらしいんだが・・。
このへんの感覚は、それを体験したことのない我々にはよく分からん世界だが、しいていうなら、大きな台風が来た時、あるいは大きな地震が来た時の感覚に近いんだろうか?

今の時代、たまにネット上で

「戦争が起こればいい、世界なんて崩壊すればいい」

という書き込みを見かけるようになった。
これが大多数の意見ということもないんだろうけど、そう考えてる人も一定数はいるんだと思う。
戦争をしたいのは戦争を商売にしてる人ばかりでなく、いまや一般市民からもそういう声が出てるわけよ。
もし戦争が起きて全てが焦土になれば、困るのは「失う財産をたくさん持つ人たち」である。
逆に「財産を持たない人たち」は、たとえ戦争が起きても失うものはさほど多くない。
そう考えると、いまや<戦争=害>と考えない人たちは結構いるのかもしれないね。

で、そういうこと考える人って、大体決まって「女」じゃなく、「男」なんだわ。

さて、「この世界の片隅に」を作った片渕監督としては、この作品を「反戦映画」と意識してたんだろうか?
ぶっちゃけ、これは強いイデオロギーを感じない作品である。
おそらく、もともと片渕さんの主眼はそこになかったんじゃないかな?
描きたかったのは「反戦」ではなく、あくまでも「すずという女性」。
この人って、常に女性をテーマにして作品を作ってきた人なんだ。

     アリーテ姫(2000年)

    BLACK LAGOON(2006年)

  マイマイ新子と千年の魔法(2009年)

「BLACK LAGOON」だけ浮き方がスゲーな!と思うかもしれんが、いや、「BLACK LAGOON」と「この世界の片隅に」は根っこがよく似てるんだよ。前者のヒロイン・レヴィと後者のヒロイン・すずは、意外かもしれないけど根っこはほぼ同類である。
ともに運命に身を委ね、ただ流されて今のここにいます、というタイプ。
そして両者とも、その運命の翻弄により決して恵まれた境遇にないものの、「それでも生きていく」という、実は逞しいタイプ。
片渕監督って、あるいはこういう女性像を描くのが好きなのかもしれない。

そして、「はだしのゲン」。
今になってこれを見直してみると、この物語の真の主人公はゲンじゃなく、実はゲンの母親だという作品の構造に皆さんもきっと気付くはずだよ。
作中、ゲンの母の境遇は、とにかく悲惨すぎる。

①空襲に遭い、夫と長女、次男が建物の下敷きとなり、助けようとするも火がそこに燃え移って、夫たち3人は彼女の目の前で焼死してしまう。

②妊娠中だった彼女は焦土の中で自力で出産するも、食べ物がなく、やがて生まれた赤ん坊は栄養失調で死亡・・。

作中、母はあまりの悲しみに押し潰され、思わず精神崩壊に至っている。
あぁ、このまま彼女は廃人化するのかな・・と思わせといて、実はこの母、しばらくするとちゃんと復活するのよ。

うっわ~、「女」は意外とメンタル強いわ~!

この構図は、「この世界の片隅に」とめっちゃ似てるよね。

「この世界の片隅に」エンドロール。ここで私は涙してしまった・・

結局、すずさんみたいな人、あるいはゲンの母みたいな人がいなかったら、日本なんて国はとっくの昔に滅んでたのかもしれないのよ。

「男」が国を破壊して、「女」がそれの復興を支える。


それこそが、歴史の真理というものかもしれんなぁ。


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