押井守ファンは、「うる星やつら」旧作第78話を見るべし!
2022年から今年にかけて、80年代の名作アニメ「うる星やつら」がリメイクされていたことは皆さんもよくご存じだろう。
もちろん、私も見てたよ。
で、このリメイク版は実質「傑作選」のような趣向になっていて、80年代版が全195話なのに対し、今回のは全46話で完結。
つまり全体のうち、約4分の3がカットされたということになる。
多分だけど、リメイク版は原作者・高橋留美子先生の意向に沿ったチョイスだったんじゃないかな?
皆がスマホを持ってるなど現代風のアレンジはあれど、割と原作の雰囲気に忠実な形のリメイクだったし。
つまり、早い話が
80年代の押井守色を極力排除した形のリメイクだった。
高橋先生が映画「ビューティフルドリーマー」に激怒した話は結構有名だが、むしろそれは最終的な段階のことであり、先生はTVアニメの時点でもうハッキリと押井さんの演出に不快感をもってたのよ。
というか、この高橋vs押井抗争、どっちに非があるかって、
そりゃもう、押井守の方が100%悪いっす(笑)
押井さん、明らかに原作無視して好き勝手なアレンジを加えてたからね。
その最も分かりやすい例が、押井版の主要キャラ「メガネ」である。
原作ではただのモブの1人に過ぎなかったこの男、なぜか押井さんイチオシで準主役にまで昇格。
さらに「アドリブの鬼才」千葉繁の怪演も相まって、いつしかメガネは作中屈指の人気キャラになっていった。
皆さんもお分かりの通り、メガネって「全共闘世代」のパロディなんだよね。
言っちゃ悪いが、80年代にあんな高校生は存在してません。
押井さん自身は全共闘運動に参加しなかった(家の都合で許されなかった)らしいんだけど、ああいう運動家に対する憧憬は人一倍強かったらしい。
ただ単純に、そういうオトコノコとしての趣味嗜好。
でも高橋先生は押井さんより少し世代が下だし、オンナノコだし、押井さんのセンスが全く意味不明だったと思う。
で、令和リメイク版ではメガネが「サトシ」と改名され、割とモブっぽい形に降格させられてたね(笑)。
・・うむ、るーみっく仕様である。
80年代と違って「コンプライアンス遵守」が優先される令和においては、「著作者人格権」「同一性保持権」(←先日、「推しの子」で知りました)への配慮こそが必須だったんだろう。
でもね、私は80年代の押井さんのことも少し擁護してあげたいんです。
なんかさ、まるで若い頃の押井さんがアウトローみたいな誤解をされてると思うが、これはひとつだけ言っときたい。
80年代って時代そのものが、どっちかというとコンプライアンスとかクソ食らえ!だったんだから。
私、80年代って「とんねるず」が出てきたイメージが強烈にあるのよ。
とんねるずは80年代「漫才ブーム」にはちょっと遅れた世代で、上の世代にはビートたけしとか明石家さんまとか島田紳助がいたわけよね。
彼らは「ひょうきん族」でがっつり人気を獲得済みで、その牙城に下の世代が対抗していくには「ひたすら攻める」しかなかったと思う。
で、その空気感を如実に表したのが、この動画ね↓↓
いや、80年代のテレビってさ、マジでこんな感じだったのよ・・。
令和なら確実に「放送事故」扱いのものが、なぜかこの時代は見過ごされている。
むしろコンプライス破壊こそが、一種のトレンドだったのかもしれん。
で、テレビ全体がこんな空気感ゆえ、当然アニメ制作の現場にも少なからず影響は出てくるかと。
おそらく押井さんは、当時とんねるず的立ち位置だったと思うのよ。
とんねるずの上の世代にビートたけしや明石家さんまや島田紳助がいたのと意味を同じくして、押井さんの上の世代にも宮崎駿や出崎統や富野由悠季といった偉大な先輩方がいたわけだし・・。
となると、彼もまたアプローチとしては「ひたすら攻める」しかなかったと思う。
で実際、彼は「うる星やつら」を攻めた。
第78話「みじめ!愛とさすらいの母⁉」
おそらくテレビ版「うる星やつら」において、最も押井守らしさが出てるのが、この第78話 「みじめ!愛とさすらいの母⁉」である。
当然、いうまでもなく、令和リメイク版にこの回はチョイスされていない。
それどころか、80年代の当時ですらフジテレビはこれの放送に許可を出さなかったらしい。
・・えっ?
放送されてるじゃん!
そうなんだ。
そこが不可解なんだが、結局フジテレビはNGにした本作をそのまま放送している。
理由は、「代替で放送するものがなかったから」。
フジテレビ、超だっせぇ~(笑)。
しかし個人的には、私はこれを屈指の神回だと認識している。
なんせ、後の
「ビューティフルドリーマー」の原型
とされてる回だからね。
で、この回の主人公は諸星でもラムちゃんでもなく、諸星の母である。
終始、この母のモノローグで物語は進行していくわけで、じゃ、あらすじを軽く説明していきましょう。
バーゲンセールで格闘する母
格闘の末にバーゲン会場で失神したらしく、病室で目覚める
帰宅すると「お祖母ちゃんが帰ってきた」とリアクションされる
鏡を見ると、自分は老婆だった
それは夢だった。病室でまた目覚める
帰宅したら、家にはもうひとり自分がいた
それは夢だった。病室でまた目覚める
が、母は「これもまた夢だ」で気付いた
で、「夢なら何でもできるはず」と、遂にエスパーとして覚醒
そうこうしてるうち、なぜか友引町に戦争が勃発
闘う母
ラストは、「かごめかごめ」で締めくくられる
なんか、ちょいちょい出てくる「謎の少女」がめっちゃ恐い・・
母の顔も怖い・・
・・はい、意味不明なストーリーですよね(笑)。
この不可解さは「天使のたまご」に匹敵するといっていい。
ただ、映画に詳しい人ならオチでお気付きと思うが、これはフェリーニの「8 1/2」をモチーフにしてるんじゃないか、と。
「ここは現実?それとも夢?」系のプロットで、目覚めても目覚めても夢の中という展開は、間違いなく「ビューティフルドリーマー」の原型といっていいだろう。
また、「ここは仮想現実だ」と悟ってから超能力を発動できちゃうノリは「マトリックス」の原型といってもいいのかと。
しかし、83年でこれをやってるのは逆にスゲーよなぁ・・。
私の個人的解釈として、この回は一種のメタフィクションで、ちょいちょい出てくる「謎の少女」は
高橋留美子先生のメタファーでは?
と捉えている。
この連鎖する夢の世界のカギを握ってるっぽい少女だし、「ビューティフルドリーマー」でいえば、この子の役割だね↓↓
この子の正体って、確か「夢の主」ラムちゃんだったでしょ。
ならば、この第78話というメタフィクションで「夢の主」といえば、原作者高橋先生と解釈するのが妥当なわけで、ラスト、母(これは押井さん自身のメタファー)と少女(高橋先生)がニッコリ笑顔を交わして締めくくられたオチを見る限り、これって押井さんから高橋先生へ向けた私信ともいえる話だったんじゃないかなぁ、と。
いやいや、こんなのをフジテレビが理解できるはずないじゃん(笑)。
めっちゃ攻めた内容なんだけど、これは残念なことに当時のファンからも「??」とされた回なんだよね。
う~ん、もっと再評価されるべき回だと思ってるのは私だけ?
思えば、この当時の押井さんが尊敬してた宮崎駿、出崎統といった先輩方は、その両者とも「アニメ化の際には、めっちゃ原作をイジる人」だったのよ。
だから押井さん自身、「原作はイジってナンボ」「独自性を出してナンボ」という信念で動いてたと思う。
決して、ふざけてやってたわけじゃないと思うんだ。
そこは、高橋先生も一応分かってくれてたと思うけど。
皆さんも、機会があれば是非この第78話を一度ご覧下さい。
マニアックなことをいわせてもらえば、構図のとり方とか超絶凄い回です。
押井成分100%だぞ。