ここにきて「ワンピース」がさらなる進化を遂げている
最近、「ワンピース」の「エッグヘッド編」が一旦中断されて、代わりに「魚人島編」再放送をやってるんだよね。
それも単なる再放送じゃなく「SPECIAL EDITED VERSION」、若干作画の新規追加ありの新編集パターンのようだ。
そして、オープニングも新規となったけど、これがなかなかファン泣かせの「ウィゴー!」新バージョンである。
なんせ、歌唱が「麦わらの一味」だから。
ちょっと聴いていただこうか。
これ、すごくイイと思うわ。
みんな、うまく唄うことよりも、自分の役柄の声をキープする方を優先して唄ってるのが非常によく分かる。
これぞ「キャラソン」のお手本、というべき仕上がりだね。
ちゃんと自分の地声を使えばもっとうまく唄えるだろうに、敢えてそうしてないところがいい。
最近、田中真弓さんが他作品「ターボババア」のイメージが強烈だったので少し心配してたが、どうやらルフィも大丈夫そうだ。
しかし、原作消化の都合で「エッグヘッド編」を中断するところまでは理解するが、なぜ敢えて今、「魚人島編」をチョイスしたのかが気になるところである。
言っちゃ悪いが、「魚人島編」は「ワンピース」でも屈指の不人気だった章でしょ(ひょっとしたら不人気ランキング1位かも?)。
どう考えてもこれ、フジテレビ側の意向の逆だよね。
・・となると、やはりこれは尾田栄一郎先生の意向だろうか?
「今、このタイミングでこそ、『魚人島編』を復習して下さい」と。
私は原作読んでないので今後の展開を全く知らんけど、きっと「魚人島編」で未回収だった伏線が今後回収されるという意味だろう。
確かにこの章、面白くはなかったけど、これが物語の中枢に絡む超大事な章だったことは何となくだが理解している。
たとえば「方舟ノア」とか、あと「ポセイドン」しらほしとか、どう考えても大事。
ただ、「ワンピース」のしんどいところは、伏線提示⇒回収というタームがあまりにも長すぎるので、ファンの記憶がやや曖昧になっちゃうんだよね。
だから尾田先生として一番怖いのは、
尾田「伏線回収したで!どや!」
ファン「え~と、これって何でしたっけ?」
というパターンである。
・・いや、ファンも馬鹿じゃないですからね、伏線の数が10個程度なら記憶もできますけど、「ワンピース」の伏線の数はそんなもんじゃないでしょ。
みんな、だいぶ記憶薄れてますって。
そして、これまで我々は、「回収しないまま完結した」という作品をいくつも見てきたわけで・・。
でもまぁ、ここで敢えて「魚人島編」やるということは、ある意味尾田先生の「ちゃんと全部回収しますから!」という宣言のようにも解釈できるか。
で、この「魚人島編」放送直前、「ワンピース放送25周年企画」として「ONE OIECE FAN LETTER」というスピンオフ編が放送されたよね。
皆さんは、見た?
見てないなら絶対損ですから、是非見て下さい。
本編に劣らぬ、実に素晴らしい出来だったわ。
で、この作品、主人公がルフィじゃなくモブの少女なんだ。
モブゆえ名前すら分からず、クレジットには「少女」とだけ記されている。
この少女について分かってるのはシャボンディ在住ってことと、15歳ということと、「2年前」以来、ナミの大ファンである、ということぐらい。
といっても、今までナミに会ったことがあるどころか、ナマの姿を目撃したことすらないみたいなんだけど・・。
で、この物語は「魚人島編」の前日譚的スピンオフで、麦わらの一味再集結直前、集合の現地シャボンディはどういう騒ぎになってたのか、それをモブ視点の群像劇という形で描いたものである。
よって、本作には麦わらの一味はほとんど出てこない。
いや、厳密にいうと少し出てるんだが、ほぼ本筋には絡まない感じ。
で、この作品のなかなかニクい演出は、今回最大のキーパーソンであるナミを敢えてほとんど出さなかったことだね。
そう、今回のナミは「偶像」なんだよ。
だから敢えて、ここで「ホンモノのナミ」を露出させないでいるわけさ。
実にうまい演出だと思う。
「ゴドーを待ちながら」のゴドーしかり、「桐島部活やめるってよ」の桐島しかり。
敢えて「偶像」を露出させない、という作劇の古典的テクニックである。
で、その「偶像」のナミについてなんだけど、実は最後の最後で一瞬だけ、その姿をほんの少しだけ確認できるのよ。
それが、このシーン↓↓
マジで、最大のキーパーソンだったはずのナミの出演シーンは、たったこれだけ(笑)。
時間にして、2~3秒ぐらいだろうか?
この物語のキモは、「ヒロインの少女がナミにファンレターを渡せるか否か」だったというのに、ネタバレすると、結局のところ手紙は渡せなかったわけで・・。
ただし、ひとつだけ少女には収穫があり、それは上の画の一瞬をナマで目撃できたことなんだ。
この画は、生涯、彼女の心の拠り所になるんだろう。
で、画をよ~く見てほしい。
ナミが、右手を高く上空に掲げているという構図。
なんか、意味深だよね?
そう、これはメタファーである。
<自由の女神>
この「ONE OIECE FAN LETTER」、最大のテーマは「自由」。
ヒロインの少女は常日頃、どこか「不自由」を感じて生きていたようだ。
この世の中に対し、鬱屈した不満を抱いてたわけね。
「能力者」たちがチカラにモノをいわせて我が物顔で生きている世界、でも自分と同じ「非能力者」のナミが、オンナノコのナミが、そいつらと互角に渡り合ってるのを知り、おそらくそれまでヒロインの心の中で燻っていた「不自由」が払拭された思いだったのかと。
あと、髪の色が同じというのにもシンパシー感じてたかもね。
で、そんな少女が一瞬垣間見たナミの姿が「右手を天空に掲げたポーズ」。
これは、彼女の心の中でナミが女神になったことを示している。
・・いや、もちろん我々は、ナミが女神に程遠い人物だということを知っているさ(笑)。
もともとは窃盗を生業にしてた手癖の悪い子だったし、悪女とまでは言わんが、「小悪魔」に近い狡猾さもあり、物欲など俗っぽいところは一味の中でも群を抜いた人物である。
ようするに、「見た目はイイけどタチの悪いオンナ」だね(笑)。
でも、少女はそんなこと知らないからなぁ・・。
しかし、今後少女はナミを「女神」として語り継いでいくことだろう。
そして、こういう少女が、あるいは少年が、世界中にはたくさんいることを示唆するのが本作の狙いだったと思う。
ここで準主役だった「海兵の兄弟の兄貴の方」は、「2年前」頂上戦争にてルフィをナマで目撃し、何らかの感銘を受けてるみたいだし。
海軍のそこそこ偉い人でも、実はチョッパーのファンだったし(笑)
つまり、この「ONE PIECE FAN LETTER」そのものが示唆してるのは
最終章、最後の最後はモブが「麦わらの一味」の応援に回る(海兵も含む)、という伏線なのでは?
本作の原案は、大崎知仁さんの「ワンピース」ノベライズ作品らしい。
この人、普段は吉本新喜劇の演出をしてる劇作家なんだって。
だからだろうが、ちょっと新喜劇テイストがある、コンパクトで小気味いい人情劇に仕上がっている。
そして、何よりよかったのは作画。
本編の作画とは少しテイストが違う独特のユルさで、なんか凄くよかったわ。
石谷恵さんという人が監督をやったみたい。
「ワノ国編」から入ってきた新鋭っぽいね。
最近の「ワンピース」オープニング、作ってるのが石谷さんらしい。
石谷さんが手掛けるようになって以来、「ワンピース」のOP、異様にセンスよくなったんだよね。
今までのとは全然違うし。
線のテイストといい、色のテイストといい、超イケてると思うわ~。
なんか最近、東映アニメーションが劇的に進化してきてると思うし、きっと新旧交代がうまいこといってるんだと思う。
1122話の作画とか、あまりにも神懸ってて鳥肌立ったほどだ。
だから、以前「面白くない」とされた「魚人島編」ですら、あるいは今度の新編集版で「面白い!」に転換する可能性もゼロじゃないってことね。
意外と、目を離せないかも・・。