かつて異能力者だった日本の貴族
我々は子供の頃から日本史に慣れ親しんでいるので、将軍と天皇、ならびに幕府と朝廷というものを誰でもイメージをそれなりに掴めてると思う。
ところが、外国人だとそうはいかないらしいんだ。
事実、幕府と朝廷を英訳すると
幕府=Shogunate
朝廷=Imperial Court
となる。
Imperial Courtは宮廷という意味だからまだ分かるとして、Shogunateの方は意味が分からないよね。
完全にShogunから派生した造語だと思う。
そう、本来なら将軍を英訳すればGeneralなんだが、日本の徳川のような将軍はShogunと表記しないとニュアンスが異なってきてしまう。
というのも、Generalは将軍といっても軍のリーダーに過ぎず、少なくともEmperor(天皇)を凌駕する権力など持たないんだから。
そういう意味では、日本の将軍や幕府は欧米人にとって理解不能のシステムだったんだろうね。
欧州での権力機構は旧体制なら王朝と決まっていて、革命でそれを倒すことによって現代にある形を手に入れたんだ。
日本でも明治維新という革命は確かに起きたんだけど、この維新ってやつは革命とは少しニュアンスが異なる。
このへんも、欧米人には理解不能の領域だろう。
欧米人A「おい、日本で革命が起きたらしいぞ」
欧米人B「そうか、日本も遂に近代化か。つまり日本のEmperorが倒されたということだな?」
欧米人A「いや、違うんだ。革命が起きて、次代の新しいリーダーがEmperorということになるらしい」
欧米人B「はあ?それって革命どころか、逆に王政復古の時代退行じゃん」
欧米人A「そうなんだよなぁ。俺も意味が分からなくて・・」
欧米人B「てか、革命が起きたってことは旧体制を倒したんだろ?」
欧米人A「ああ、Shogunを倒したらしい」
欧米人B「Shogun?何それ?」
欧米人A「なんかよく分からんけど、Emperorとは別の権力らしい」
欧米人B「別の権力ってことは、Prime Ministerか?」
欧米人A「まあ、そうなんだろうな」
欧米人B「じゃあれか、日本はEmperorによる革命でPrime Ministerを倒したとでもいうのか?」
欧米人A「う~ん、そんな革命、常識的に絶対あり得ないと思うけど・・」
欧米人B「あるわけねーよ。何が悲しくて革命で時代を中世に巻き戻さなきゃなんねーのよ。お前、ガセ情報つかまされたんじゃねーの?」
という会話が欧米では必ずあったと思う。
多分、欧米人に日本の権力二重構造の本質は理解できまい。
思えば日本で最初に起きた革命は大化の改新であり、これも明治維新と構造が酷似してるんだよね。
だって、蘇我氏というPrime Ministerを倒してEmperor天皇の中央集権体制を作ったんだから。
どこか日本人の感覚として、中央集権というのはEmperorにしか許されない聖域というニュアンスがあるのよ。
よって、Shogunは源氏だろうと足利だろうと徳川だろうと、決して中央集権に踏み込まなかった。
強大な権力を握ったかに見える徳川体制にしても、その本質は各大名の領地自治権を認めた地方分権であり、徳川自体も実は大名のひとつに過ぎない。
「聖俗」という言葉があるが、「聖」がEmperorの領域、「俗」がShogunの領域。
それは現代でも何も変わっておらず、内閣総理大臣なんてのは「俗」の存在に過ぎないんだよ。
もともとShogunの発祥は源氏であって、その源氏は清和天皇をルーツとするという意味でEmperorの傍流である。
そして足利も徳川も源氏の血族であると名乗っており、彼らもまたEmperorの傍流である。
もちろん公家もEmperorの血統と絡んでおり、そう考えると天皇っていかに高貴な血脈とされてるかが分かるでしょ。
この高貴なる血脈にある者しか公式の支配者層に立てない、とするのが昔の日本の基本コンセプト。
天皇=聖10:俗0
公家=聖7:俗3
将軍=聖3:俗7
その他大名=聖0:俗10
というイメージかな?
現代では、こういうバリバリの血統至上主義を多くの人が軽蔑してると思うけど。
さて、ここでひとつのアニメを紹介したい。
「わたしの幸せな結婚」というやつで、国内よりむしろ海外でヒットしてるという話を聞き、どんなものかと予備知識ゼロで見てみたんだ。
舞台は明治か大正か分からんが戦前の日本、ヒロインが家に言われるがまま婚約するところから物語が始まる。
このヒロインってのが自己主張ゼロの陰気なキャラで、ひたすらイジメられてきた不幸な設定である。
その彼女が婚約者との出会いを機に不幸を脱していくストーリーなんだが、驚いたことに、いきなり異能力バトルが始まるんだよ。
ビックリしたね。
「わたしの幸せな結婚」なんてユルいタイトルで、一体誰が異能力バトルを想定するだろうか。
どうやら、そういう世界観の物語らしい。
そもそもヒロインが「伝説の血族」の末裔らしくて、あんなにイジメられてたのに実はサラブレッドだったことが発覚。
それにしても、ヒロインを徹底的にイジメ抜く妹役の佐倉綾音が良かったなぁ。
性格悪い女をやらせたら、いまや佐倉さんが一番キテるかも。
総じて作画と音楽が素晴らしく、最終回で急に話を綺麗にまとめたのは少しマイナスポイントだけど、二期の制作が決まったらしいのでこれは楽しみにしています。
さて、この物語の設定なんだが、ここでは徹底した血統至上主義が前提になっている。
どこも「〇〇家」という血統を守ることを何より優先していて、その為なら犯罪行為に走ることすら厭わない。
どうやら一般人と貴族を分けるのはこの血統ということらしく、高貴な血統がある者だけに異能力が備わるみたいなんだ。
こういう設定、ファンタジー物には多いよね。
魔法は学習の努力ではなく、血統にこそ備わる、と。
よって「わたしの幸せな結婚」では、最も実力ある異能力者はミカドの一族という設定になっている。
このミカドもまた、我が血統かわいさに陰謀をめぐらす悪役なんだけどね。
・・いや、これはこれで、非常に分かりやすい世界観だと思う。
むしろ我々に分かりづらいのは、同じ人間でありながら貴族と一般人に差があるとしてきた現実世界の方なんだ。
こうやって異能力を使える使えないという形で、はっきり目に見えるものがあれば誰も文句を言わんよ。
ああ、血統って大事だね、と皆が納得すると思う。
さて、今度は現実世界の話。
果たしてファンタジー物のアニメのように、貴族と一般人の間に能力の差はあったのか?
私は、あったと思う。
もちろん、それは異能力のようなオカルトではなく、もっと現実的な教養力だよ。
特に、「文字」だね。
少なくとも中世あたりまで、読み書きは貴族皇族の独占所有ともいえる能力だったと思う。
彼らはカナ文字を発案し、和歌を詠んだり、あるいは「源氏物語」のような小説を書いたり、そうやって文字を駆使するという一種の異能力を持ってたんだ。
その点においては、一般人との間に決して越えられない壁が確かにあったんだよ。
ところが近世あたりから、どんどん文字が一般人に浸透するようになっていった。
江戸時代後期には、日本は世界屈指の識字率を誇る国になってたという。
もうここまでくると、貴族は異能力者でも何でもなくなってしまうよね。
「平民に文字を教えた覚えはないでおじゃる~」と貴族は怒っただろうが、おそらく文字が流出したのは朝廷側からでなく幕府側からだろう。
なんせ、幕府は「俗」だからな。
たとえば、徳川家康などはめっちゃ本を読んでたらしいし、手紙もめっちゃ書いてたらしい。
この人はインテリというか、文字が好きだったんだろう。
しかし彼より生まれの悪い豊臣秀吉は、文字が好きじゃなかったみたいだね。
頭のいい人だから読み書きできなかったわけでもないだろうが、どっちかというと彼は喋る方が好きだったらしい。
人たらしの秀吉らしい話だ。
彼は本を読む代わりに、「御伽衆」というトークの専門家を大量に呼んで話を聴いてたらしい。
御伽衆も専門家だけあって面白おかしくトークして秀吉を喜ばせたんだろうし、これが後の「上方落語」のルーツになってるとのこと。
この上方落語が江戸に渡って江戸落語になったんだが、あくまでもルーツは上方である。
ある意味、トークは関西人が備えた異能力なんだよ。
その証拠に、面白い芸人さんは大体が関西じゃないか。
この関西人が備えた異能力は、豊臣秀吉に端を発することを理解しておいてほしい。
多分だけど、武将とトークするなら秀吉がオススメだよ。
めっちゃ面白いと思う。
対して家康なんて、本ばっか読んでる奴で絶対つまんないから。
じゃ信長はというと、失礼があったら確実に殺されるので、あまりオススメしない・・。