富野由悠季は「SDガンダム」をどう見ていたんだろうか?
皆さんは、「ガシャポン」をご存じだろうか?
こういうやつのことですね↓↓
私が子供の頃には「ガシャポン」という呼称は全く浸透してなかったので、常に「ガチャガチャ」と呼んでいた。
当時人気があったのは「キン肉マン消しゴム」、俗称「キン消し」である。
私も、これには手を出してたクチだ。
ただ、ガチャガチャにはひとつ大きな難点があり、それは本当に欲しい物がなかなか手に入らないことである。
こういうのは安価だから誰しも気軽に手を出してしまうもんだが、ただ一度沼にハマると際限なく投資することになってしまい、実はコスパが悪い投資だと気付いた時には、もう遅いんだよね・・。
ある意味、これは私たちに「この世の不条理」を人生で初めて教えてくれたいわば人生の師みたいなものだった、と今では思う。
それでも、リスクを張ってガチャガチャをずっとやめない猛者が結構いたのも事実。
なぜ、彼らはやめなかったのか?
それは、キン消しが学校に持ち込める数少ない玩具だったからだよ。
基本、小学校というのは玩具持ち込み禁止である。
ただ、キン消しは玩具ではなく消しゴム、つまり、文房具という扱いだったんだ。
じゃ、キン消しで本当に鉛筆で書いた字を消せるのかというと、うむ、実は黒くなるだけでほとんど消えないんだが、その事実を我々生徒は学校サイドに秘匿するのに必死だったなぁ・・。
で、これがキン消しのガンダムバージョン、「ガン消し」である。
本物のガンダムに比べると、やたら等身が低い。
これはスーパー(S)デフォルメ(D)ガンダムというやつで、SDガンダムと呼ばれることになった。
やがて、「SDガンダム」はアニメシリーズ化までされる始末。
私は、これをほぼ見ていない。
だって、これ完全にパロディだから。
パロディだから本編で死んだ人も生きてるし、ただカミーユがちょっとだけデリケートな扱いだったと思う。
彼は本編で最後があんな感じだったので、実は「SDガンダム」の中でも少しあれなんですよ・・(笑)。
あの鬱エンドをこうやってお笑いに転化されちゃ、もう何も言えないよね。
富野由悠季先生は、これをどういう気持ちで見ていたんだろうか?
・・いや、正直見てる余裕はなかったと思う。
というのも、このアニメ「SDガンダム」のデビューは映画「逆襲のシャア」の同時上映作品という形だったらしいから。
つまり、彼が「逆襲のシャア」を作ってる間に、並行して「SDガンダム」が作られてたということ。
当時、渾身の大作で頭いっぱいになってた富野さんとして、いちいち「SD」にまで目を配る余裕なんてなかったと思うのよ。
お陰で、「SD」は好き放題できたんだと思うけどね。
やがて高松信司さんという人が、この「SD」シリーズの中で頭角を現すことになるんだけど、彼の初監督作品は諸般の事情により、現在ではお蔵入りになってるという(笑)。
この高松さんという人、後に、あの「銀魂」を監督することになる。
あの「銀魂」で見せた過激なパロディ精神、楽屋オチの精神は「SD」由来ということね。
しかし、この「SD」、実はスポンサー・バンダイにガシャポンで莫大な利益をもたらしたらしいんだ。
正直いうと富野さん的には、このへんから怪しい雲行きになってくる・・。
この当時のサンライズが置かれていた状況として、
①功労者・富野さんの顔を立てるか
②たとえ富野さんの顔を潰しても、バンダイに食らいついていくか
という、ふたつの道が見えてきたわけよ。
実をいえば、バンダイは「富野由悠季的ガンダム」ってものに懐疑的だったらしいのね。
だって、「ガンダム」本体より「SD」の方がバンダイの利益になってるんだし、「もっとコドモ向けのガンダムを!」と再三サンライズに圧力かけてたらしい。
で、サンライズとして①⇔②の明確なチョイスはしなかったものの、明らかに80年代終盤から「脱・富野」路線を模索し始めていくこととなる。
その如実な例が、コレだろう↓↓
サンライズは89年、富野さんを関わらせない形で、「ガンダム」OVAを作るというチャレンジに踏み切ったんだ。
厳密には、この「0080」に終わらず、91年には「0083」、続けて脱富野系ガンダムOVAを出していくことになる。
でもさぁ、この「OVA」ってあたりが、サンライズとしての葛藤が見えるんだよなぁ。
TVシリーズでド~ン!とやってしまえば、それは「富野さん、お疲れ様」ということになってしまうし・・。
いや、サンライズとして、そこまで富野さんと訣別したいわけじゃないのよ。
できれば、
<富野さんの作家性⇔バンダイの商業性>
に折り合いがつくことの方をむしろ願っている。
だって、考えてもみてくれ。
サンライズにとっての富野由悠季は、ジブリにとっての宮崎駿みたいなもんだよ?
ただ、ジブリでは宮崎駿の抑止弁として高畑勲という仙人が機能してたんだが、ただ困ったことに、当時のサンライズにそんな仙人はいなかった。
だから、91年に富野さんはこういう新作↓↓を作っちゃったわけだね。
サンライズ「あかん、富野さんが明らかに変な方向に行き始めてる・・」
富野さん的には、この「F91」は壮大なサーガ構想の序章だったらしいんだが、サンライズはそのサーガ構想にイヤ~な匂いを嗅ぎとったんだろう。
で、急遽サンライズは「F91」シリーズ続行にSTOPをかけた。
サンライズ「・・富野さん、次こそ頼みます。
次こそ、『コドモが楽しめるガンダム』を・・」
富野「え、コドモ?
・・OK!
実はいいアイデアがあるのよ。
タイトルはヴィクトリーガンダムっていうんだけどね」
サンライズ「ヴィクトリー?
うわっ、なんかコドモが喜びそうなタイトルの響き!」
富野「でしょ?」
サンライズ「じゃ早速、それの絵コンテに入ってください!」
富野「(二ヤリ)」
・・で、その顛末として、
ギロチンを猛プッシュの「Vガンダム」
主人公の母の首が吹っ飛んだ「Vガンダム」
ビームサーベルで人間が・・「Vガンダム」
もう、富野さんのブッ壊れた狂気が神懸かってて怖いよ~!
こんなの、明らかにコドモを喜ばす気ゼロじゃん?
というか、もしもガシャポンで主人公・ウッソの母親の首とか出てきたら、コドモは一生消えないトラウマを抱えて生きていくことになるよ・・。
ぶっちゃけ、これは富野さんとして意図的な「訣別」だったと思うなぁ。
つまり、これは視聴者に向けた作品ではなく、サンライズおよびバンダイに向けたメッセージとでもいうべき作品だった、ということ。
その論拠として、富野さんは後日、「Vガンダム」のDVD-BOX発売にあたり
「このDVDは、買ってはいけません」
とまで言ってるんだわ。
この言葉の意味、私なりの解釈としては
「自分は、これを視聴者に向けて発信したのではない。
だから本作は、自分⇔サンライズ⇔バンダイの中だけでとどめておきたい」
という意味だったと思う。
あのね、富野さんは決して頭の悪い人じゃないのよ。
だから当然、80年代後半からのサンライズ社内の微妙な空気を嗅ぎとってたと思う。
「ああ、自分の作風がバンダイとの間で軋轢生んでるな」と、そこはさすがに分かってたと思うんだ。
だからこそ、やがて鬱病を発症したりもしたんでしょ?
で、彼なりに悩んだ末の結論が、あの「Vガンダム」というメッセージじゃないか、と。
あれがあったことで、それまで葛藤してたサンライズが明確に「非・富野」への舵を切る決断をできたわけよね?
それが「平成ガンダム」を生み出すことになり、やがては「SEED」シリーズというドル箱を生むことに繋がったわけさ。
聞けば、劇場版「SEED FREEDOM」は興行収入48億を突破し、これは歴代「ガンダム」映画でダントツの1位らしいじゃん。
これで遂に、<富野さんの作家性⇔バンダイの商業性>の折り合いがついたといえるわけで、これが実現できたのは、皮肉な話だがサンライズがあの時「非・富野」に舵を切ったからこそ、といえる。
そして、それをお膳立てしてくれたのは他でもなく、
実は富野さん自身だったのでは?
と私は解釈してます。
あの人はああ見えて、実は根っこが優しい人なんじゃないか、と。
そうね、最も分かりやすく彼のキャラを説明するなら、
富野由悠季=デギン・ザビ、ということね。
富野さんという人は、皆さんご存じの通り、「全共闘」の元闘士である。
ゆえに、資本家たる存在が大っ嫌いなわけです。
つまり、表立って言わないけど、バンダイのことが大っ嫌いだったと思うのよ。
しかし仲間(アニメーターたち)を守る為には、そんな甘いことを言ってはいられない。
だけど「SD」なんかを見てて、その内心、葛藤はあったはず。
で、最後の最後になって、富野さんはデギン・ザビになったのよ。
連邦に反旗を翻し、コロニー自治独立を唱え、いわば「Vガンダム」という一年戦争を吹っ掛けたということ。
その結果は、まぁ「ガンダム」本編と同じですわ。
やがてサンライズはバンダイナムコグループの傘下になり、今じゃ社名が「バンダイナムコフィルムワークス」だっけ?
・・ええ、ジオンはきっちり負けましたとも。
富野さんは、おそらく自分が負けることを分かっていた。
でも、その負けた後の未来に救いとなる「何か」を期待してたんだと思う。
このへんの闘う富野さんの姿勢は、実にカッコいい。
ちなみに今回私が書いたのは、「ガンダム」ファンの多くが既に周知の文脈である。
そして皆がその文脈を知ってるからこそ、「ガンダム」シリーズの中でも「宇宙世紀」(富野さんが作ったやつ)を特別視するのよ。