なぜ劇場版「パトレイバー」が名作なのかを紐解く
今回は、劇場版「パトレイバー」について書いてみたいと思う。
最初にまず、「パトレイバー」シリーズ全体を整理しておこう。
<「機動警察パトレイバー」シリーズ>
①【1988年】OVA「機動警察パトレイバー アーリーデイズ」
②【1989年】劇場版「機動警察パトレイバー THE MOVIE」
③【1989年】TV版「機動警察パトレイバー ON TELEVISION」
④【1991年】OVA「機動警察パトレイバーNEW OVA」
⑤【1993年】劇場版「機動警察パトレイバー THE MOVIE2」
⑥【2001年】劇場版「WXⅢ機動警察パトレイバー」
⑦【2014年】実写版「THE NEXT GENERATIONパトレイバー」
⑧【2015年】実写版「THE NEXT GENERATIONパトレイバー首都決戦」
この①~⑧の中で、本当の意味で重要といえるのは②と⑤のみで、それ以外は「好きなら見て」といったところ。
とにかく②と⑤だけは、好き嫌いに関わらず必見だと思う。
これがなぜ重要かというと、押井守監督がこの2作品において「レイアウトシステム」を確立した、といわれてるのね。
このレイアウトシステムってやつ、古くは高畑勲の監督作「アルプスの少女ハイジ」で確立したものともいわれてるんだが、ただし、それはごく一部のローカルな影響にとどまった話で、アニメ業界全体にこれを広く波及させたのは、むしろ押井守、そして「パトレイバー」だといわれてるんだ。
<METHODS/押井守「パトレイバー2演出ノート」>
レイアウトとは何か?
これの業界における教本となったのが上記「METHODS」とされてて、また押井守に「レイアウト」を叩き込んだのが小林七郎、そう、ジブリ作品でもよく名前を見かける美術監督の大御所だね。
彼は武蔵野美術大学の卒業で、前職は「美術の先生」だったというんだからその道のエキスパートさ。
押井守がなぜ業界で大物扱いされてるのか、それは監督作「GHOST IN THE SHELL」以上に、「METHODS」の著者であることが大きい、ともいわれている。
それは同時に、劇場版「パトレイバー」という2作品を作ったことの意義ともいえて、皆さんも是非、今度は「レイアウト」を意識してこの2作を見てほしい。
やっぱ「教材」になってるだけのことはあり、めっちゃ完璧なんですよ。
高畑勲と押井守
奇しくも「画を描けないアニメ作家」のふたりが、とことん「レイアウト」を追求したというのが妙に面白くないか?
そう、このふたりは画が描けないからこそ、自身の「レイアウト」ビジョンを理解できるアニメーターが必要だったんだよ。
高畑さんの場合は近藤喜文、そして押井さんの場合は黄瀬和哉、沖浦啓之、西尾鉄也、つまり、後には「Production I.G三大神」と呼ばれることになる3人の天才アニメーターたちとの出会いが大きかったともいわれている。
Production I.G三大神
西尾鉄也
沖浦啓之
黄瀬和哉
この3名が3名とも、属性は「リアル系アニメーター」とされてるのね。
マンガ的なデフォルメのデザインより、リアル寄りに描く傾向のある人たちだな。
一番それが分かりやすいのは、この3人の中では沖浦啓之が監督もやる人なので、彼の監督作「人狼」「ももへの手紙」などを見てもらえば話が早いと思う。
まるで「ロトスコープで作ったかのような画」なんだ。
かなり実写映画ベースに近い。
こうして押井さんがリアル系アニメーターばかりを寵愛するのは、きっと彼が「実写映画」寄りの人だからだと思う。
事実、彼は作ったアニメ映画の数より、実写映画の方が数で微妙に上回ってたりするんだよね。
冒頭に書いた①~⑧でも、最後の⑦と⑧は実写である。
これらはどっちかっつーと駄作の部類に入ると思うから特にお薦めはしないけど、でも⑧は見た方がいいかもしれない。
なぜなら、⑧は⑤をそのまま実写化したといっていい作品なんだから。
⑧で最大の見所は、上の金網の向こう側にいる女性、これが南雲隊長なんだが、アニメ版の主要キャストの中では彼女とシゲさん(これは千葉繁本人がなぜか役者として出演)だけ、「当人」として出演してるのよ(あとは全員が「3代目」の新メンバー)。
あと、⑤のラスボス・柘植も刑務所にいる「当人」として出てくるが、南雲さんにせよ柘植にせよ、なぜか顔を映さないんだよね。
でも南雲さんの場合、声だけはホンモノ・榊原良子だったりするのよ(笑)。
ちなみに、肝心の後藤隊長は「消息不明」という扱いになってて、でもその存在感はむしろこの作品の軸にもなっており、「いつ後藤隊長が登場するのか?」でさんざん引っ張った挙句、結局は最後まで出てきませんでした。
・・で、我々もようやく気付くんだよ。
あ、これ結局来ないオチの「ゴドーを待ちながら」⇒「後藤を待ちながら」的ダジャレだったか、と(笑)。
まぁ、そういうパロディとしては確かに面白いんだが、でも作品として見ると、⑧は⑤のクオリティに遥か及んでいない。
これ、ちょっと不思議に思わない?
だってさ、「レイアウト」というのは実写だろうとアニメだろうと同じことなんだよ。
アニメは「レイアウト」がうまくいくのに、実写ではそれがうまくいかないなんてことは理屈としておかしい。
いや、実は実写版でも「レイアウト」そのものは悪くないのさ。
問題は<役者>である。
役者がヘタクソ?
いや、そういうことじゃない。
たとえば主演の筧利夫さんとか、どっちかというと演技のうまい部類の人だよ。
でも、なんかダメなんだ。
逆に、押井さんの実写映画はなぜか外国人が主演になると超いい感じになるという不思議。
外国人の方が、日本人より演技がうまい?
・・いや、違うんだってば。
ようは、顔が発する<情報量>の差なんだよ。
どうしても我々日本人は、視聴の対象が同胞である日本人である場合、過剰に顔の<情報>を汲み取れてしまうのよ。
同じ民族ゆえの以心伝心ってやつかな。
だけど対象が外国人の場合、この以心伝心が機能せず、結果<情報>の多くを我々日本人は汲み取ることができないわけね。
・・いや、これが押井作品の場合には、逆にいい結果を生む。
【押井作品における顔の<情報>量】
で、お分かりいただけるだろうか?
アニメだと<情報>が<虚>なんだ。
押井さんは、絶対にこういう表現はしない↓↓
草薙が頭から湯気出てるところ見たことないもんね。
逆に、煙なら出てるかもしれんが。
というか、基本的に「リアル系アニメーター」はこういう画を描かないのよ。
ちなみに、「パトレイバー」「GHOST IN THE SHELL」で作画監督を務めたのは黄瀬和哉で、「イノセンス」「スカイクロラ」からは黄瀬/沖浦/西尾の<三大神>体制をとるようになっている。
実写映画ではビジュアルの<情報>をコントロールするのは役者の仕事だが、アニメの場合のそれはアニメーターの仕事だろう。
【実写】
顔の演技⇒役者
声の演技⇒役者
【アニメ】
顔の演技⇒アニメーター
声の演技⇒声優
少なくとも黄瀬/沖浦/西尾といったところは、<虚>の演技ができる人たちなのさ。
日本人の生身の役者さんでこういうのを実現できる人って、しいていうなら「不器用」な高倉健さんとか、松田優作さんあたりになるんだろうか?
とりあえず、このての役者に恵まれない以上、やっぱ押井さんはアニメ一本でいった方がいいと思うけど・・。
なお、押井さんは
「『ビューティフルドリーマー』で小林七郎と出会い、『天使のたまご』でそのメソッドを叩き込まれ、『パトレイバー』でそれを自ら実践した」
といわれている。
ある意味、「パトレイバー」こそが本当の原点なのかもしれないよね。
あと、もうひとつ本作において特に見逃してはならないのは、泉野明というヒロインの存在である。
私は、
泉野明=草薙素子の原型
という解釈をしていて、「えっ、そんなわけねーだろ」と思うかもしれんが、それというのも、ひとつは野明のアルフォンス(彼女が搭乗する機体)に対するスタンスのことなんだよ。
彼女はアルフォンスがまるで意思のある生き物のようにして接してて、それは<アニメ的な表現>として見過ごされがちではあるものの、よく考えると結構キモチ悪い子なんだよね。
ず~っと、「ただの機械」であるアルフォンスに話しかけてるんだし。
じゃ、彼女がなぜアルフォンスに話しかけるのかというと、それって彼女にとってはただの機械じゃない、これにはちゃんと<ゴースト>が宿ってる、みたいな思考だということ。
よく考えれば、「攻殻」の草薙もまた全身義体、脳の一部が生身だとはいうが、でもその脳も電脳化されていて、作中でその「生身」は一度も描かれることはないんだよね。
というか、「生身」があるということ自体が幻想である可能性も高い。
つまり彼女って実はアンドロイドである可能性もあるんだが(少なくとも、黄瀬さんは「人間」としては描いていないと思う)、でも彼女自身は自分にゴーストがある、ゴーストが囁く、と繰り返し言うわけさ。
・・そう、本質的に草薙の思考は野明と全く同じだということ。
黄瀬さんは全部そういうのを踏まえて、ちゃんと<演技>してるのよ。
皆さんには、アニメーター=演技の担い手だという現実を踏まえ、ちゃんとその名演技を味わってもらいたいと思う。
演技といえば、いまや声優ばかりが持てはやされる傾向にあるけど、決してアニメはそんなものじゃないんだから。