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なぜ、日本にだけ巨大ロボット文化が誕生したのか?

今回は、「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」について。
これは2022年、安彦良和が監督した劇場公開作品である。
ベースになる話は、「ファーストガンダム」の第15話「ククルス・ドアンの島」という既存のエピソードで、今回の作品はそれに少し肉付けした内容である。
実質、第15話のリメイク版といっていいだろう。

「ファーストガンダム」第15話

しかし、安彦さんはまた何でこの第15話をチョイスしたんだろう?
言っちゃ悪いが、このエピソードは本編においてあまり重要でなく、敢えてチョイスするほどの必然性は感じない。
何より人気キャラのシャア・アズナブルが出てこないので、興行収入のことを考えてもやや弱いよね。
まあ、結果的には興収10億超えしたらしいので良かったけどさ。

安彦良和監督

で、気なって安彦監督のインタビューをチェックしてみたら、彼はこういう発言をしていた。

「テレビアニメのあれは『捨て回』だったんです」

「タイトなTVアニメの制作スケジュールの中で、どれだけ手を抜くかというのは、あの当時の業界のお約束だったわけです」

「PCで“作画崩壊”と検索すると、この回が出てくるぐらいの代名詞になっていますよね」

なるほど。
安彦さんとして第15話は悔いの残る恥ずべき回であり、その「やり直し」をしたかったということか。
まあ確かに、ストーリーそのものは決して悪くないんだよね。
元ジオン軍の兵士が軍を離れ、戦災孤児をまとめて引き取って彼らとともに孤島に隠れ住んでる、という話。
TVアニメ版は尺の都合で「なぜ彼はそうしたのか?」というところまで踏み込んでないけど、映画の方はきっちりとそのへんを描いている。
あ、もちろん作画の方も、ばっちり改善されてるよ。

ここ40年のアニメーション技術の進歩を痛切に感じるよね

ここまで改善された例を見てしまうと、安彦監督に「ファーストを全部やり直して!」とお願いしたくなってしまう。
でも彼も70代のお爺ちゃんだし、さすがにそこまでのエネルギーはないだろう・・。
安彦さんって、確かバリバリの全共闘の人だったよね?
その時代には逮捕歴もあるという。
かなり政治思想の強い人なんだよ。
漫画家としては「虹色のトロツキー」「王道の狗」「天の血脈」という近代史3部作、あるいは「ナムジ」「神武」「蚤の王」「ヤマトタケル」という古代史シリーズなど、かなり政治に踏み込んだ作品を数多く描いている。
歴史が好きな人は、ぜひ上記作品を読んでみて。
「ガンダム」に政治の匂いが常につきまとうのも、なんか納得できるから。

安彦良和「ヤマトタケル」より

安彦さんぐらいの世代ともなると、やはり何らかの歴史観をもっているものである。
もちろん、富野由悠季や宮崎駿もそうだね。
このへんのお爺ちゃんたちがいまどきのアニメーターと決定的に違う点は、絶対ブレない歴史観があることだよ。
いまどきのアニメーターがアニメのことばかり考えてる一方で、お爺ちゃんたちにとってのアニメは「己の歴史観を表現する一手段」なんじゃないかとさえ感じてしまうんだ。
手塚治虫だってそうだろ?
彼のライフワークの「火の鳥」とか、まさにそれじゃん。

「火の鳥」ヤマト編より

あと、私は横山光輝って手塚先生に匹敵するほど偉大な漫画家だと思ってるんだわ。
特に、彼が日本サブカル界に与えた影響は計り知れないよ。
あらゆるジャンルで、横山先生はそのパイオニアになってるんだから。

<巨大ロボットというジャンル>

そのパイオニアは、横山先生の描いた「鉄人28号」である。

<魔法少女というジャンル>

そのパイオニアは、横山先生の描いた「魔法使いサリー」である。

<厨二というジャンル>

そのパイオニアは、横山先生の描いた「バビル二世」である。

<忍者というジャンル>

そのパイオニアは、横山先生の描いた「仮面の忍者赤影」である。

<戦記というジャンル>

そのパイオニアは、横山先生の描いた「三国志」である。

ね?
こうして改めて見ると、横山先生の偉大さが分かるでしょ?
今の我々が享受してるサブカルのほとんどが、横山先生によって基礎を作られたものなんだ。
だから先生はもっと高く評価されていいはずなのに、手塚先生というあまりにも偉大な存在の陰に隠れてる印象もある。
特に私が評価したいのは、「鉄人28号」や「ジャイアントロボ」といった作品で「戦闘ロボットは大きい」というカルチャーを作ったことだよ。
手塚先生ですら、ロボットは人間並みのサイズのアトムだったわけでしょ。
海外だって、アメコミヒーローのほとんは人間サイズである。
日本ぐらいだよね。
ヒーローといえばウルトラマンのような巨大設定だったりするんだが、そのウルトラマンより10年も早く登場した巨大ヒーローが「鉄人28号」である。

うん、ぶっちゃけるとデザインセンスはちょっとあれだわ。
お世辞にも「カッコイイ」とはいえん。
デザイン面では後の永井豪の「マジンガーZ」の方が洗練されてるし、その「マジンガー」ですら「ガンダム」が出てくるとダサく感じたものである。
一周回って、むしろ「鉄人28号」は「カワイイ」と感じるようになったかな?
シンプルでレトロなところとか、逆にちょっとオシャレかも。
横山先生いわく、「鉄人」のデザインモデルはフランケンシュタインと「B-29」だという。
B-29?
えらく物騒なものをモデルにしたもんだな。

B-29
全長30m×全幅43mで、日本の戦闘機の倍近いデカさだったらしい

そう、実は「鉄人」って恐さをイメージしたデザインなんだよ。
デカさ=恐さ、である。
それは決して、正義のヒーローをイメージしたものではない。
思えば、幕末の日本人は「黒船来襲」がトラウマになり、そこからデカさの恐怖に取り憑かれ、昭和には大和という世界最大の戦艦まで造っちゃうわけよ。
「鉄人」の誕生もまた、それと似たニュアンスがあったかもしれん。
安彦さん自身は1947年生まれだからB-29の空襲は経験してないんだが、親の世代からその恐さを繰り返し聞かされただろうね。
そこから、強いもの=デカいもの、という思考になったのかも。
それでも「鉄人」が恐いものじゃなくてヒーローたり得たのは、機体を操縦する金田正太郎がヒーローの心をもってたからである。
・・ということを踏まえた上で、話を「ククルス・ドアンの島」に戻そう。

これ、ククルス・ドアンの乗っているザクである。
めっちゃ威圧感があって恐い。
だけどこのザク、島にいる子供たちにとっては正義のヒーローなのさ。
自分たちを守ってくれるから。
ようは、ザク自体に良いも悪いもなく、全てはその乗り手次第ってことだね。
ククルス・ドアンは、めっちゃ良い人だった。
でもその「良い人」が、かつての戦友(ジオン軍兵士)を次々と殺していくという哀しい展開に・・。
安彦監督はこれをやりたくて、このエピソードをチョイスしたんだろう。
多分だけど、安彦さんは全共闘時代にこういう現場を数多く見てきたんじゃないかな?

ククルス・ドアンと、彼を慕う子供たち

小さな作品ながらも、この映画はよくまとまっていて、なかなか良かったよね。
同じ「ガンダム」シリーズの中では「ポケットの中の戦争」を彷彿とさせる感じ。
ホント、「ガンダム」は戦争というものを学ぶには格好のテキストであり、学校教育に取り入れてもいいんじゃないかとさえ思う。
特に宇宙世紀シリーズは、プロットがよくできている。
というわけで「ククルス・ドアンの島」、是非一度見てみて下さい。


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