新「らんま1/2」を見て、声優のことを考えさせられた
リメイク版「らんま1/2」を見た。
なかなか悪くない。
というか、もともと「らんま1/2」は「うる星やつら」ほどのクセがなくて非常に見やすい作品である。
いうなれば、「うる星やつら」は高橋留美子先生がとにかく渾身で描いてた感じの作品だが、この「らんま」ぐらいになると先生もドタバタ感を微妙にチューニングしてくるんだよね。
・うる星やつら
・めぞん一刻
・らんま1/2
・境界のRINNE
上記4つのコメディ作品、いずれもが変人ばかり出てくる日常ホームドラマではあるものの、実は各々、そのテンションには異なった調律が施されてるわけです。
とにかくハイテンションを貫いた「うる星やつら」、LOVE路線に調律した「めぞん一刻」、最もユルい感じにギャグを調合した「境界のRINNE」。
そういった座標がある中で、私は「らんま」こそ一番「真ん中」に位置するものじゃないかと感じるわけで。
ハイテンションであり、それでいてLOVEもあり、熱血展開もあり、まったり感もあり、といった感じで、実は最もハイブリッドな作風。
これぞ、るーみっくの円熟期やなぁ、と感じるよ。
そのバランス感覚が絶妙。
私として印象深いのが、意外と実写版ドラマなんですよ。
もう、あれから13年も経つのか・・。
このドラマ版は乱馬(らんま)よりヒロイン・あかねがメインで、あかね役を演じた新垣結衣がこのドラマの為にバッサリと長い髪を切ったことで当時話題になったものである。
その新垣さんのドラマに懸ける意気込みは並々ならないものがあり、どうも彼女、子供の頃から「らんま」の熱烈ファンだったらしい。
そうか、どうしても個人的に、あかね役をやりたかったのね・・。
これはあくまで想像だが、事務所側はこれに反対したんじゃないか?
だって当時、新垣さんの人気は絶頂だったし、そして彼女のトレードマークといえば、綺麗なロングヘアーだったんだよ。
それをバッサリやっちゃうのはそれなりのリスクがあり、CM契約にも抵触するかもしれん(これのせいで仲間由紀恵は髪型を変えられなかった)。
「役作りの為」というのは聞こえはいいものの、言っちゃ悪いけど、たかが「らんま」、それも映画じゃなく日テレの2時間ドラマ枠(結局、視聴率は7.9%という微妙な結果)なんですよ。
どう考えても、タレント生命の懸けどころを間違ってるよな・・(笑)。
で、これは令和版の「らんま1/2」。
平成実写版の売りが新垣結衣だったように、この令和版も同じくして売りはキャストだった。
そう、32年前のキャストを、まるごと再現したわけさ。
32年という歳月は、その間に声優が引退したり、あるいは亡くなったりするのに十分な期間である。
ところがこの「らんま」に限って、ほぼ皆さん現役で健在だったんだよね。
唯一、キャスト交渉でゴネたのは林原めぐみさんだったらしい。
勝平がやらないなら私やらないよ、と。
もうね、林原さんは印税収入だけで十分食っていける人だし、無理して仕事をする必要はない人なのよ。
だけど何のかんの言いつつ、この人はやってくれるんだよね。
基本、めっちゃイイ人である。
私にはひとつ持論があり、それは「トップ声優には意外とイイ人が多い」ということなんだ。
これ、「女優」になると話が少し変わってくるでしょ?
トップ女優と呼ばれる人で、それこそ女帝のようなキャラの人はいくらでもいるわけで・・。
今でこそ、そういうのもだいぶ減っただろうが、昭和なんて酷いものだったと思うよ。
そもそも、声優と俳優の違いは一体何なのか?
これはその両方を掛け持ちしてる人たちが誰しも共通して言うことだが、「そのふたつは全く似て非なるものだ」と。
よく聞く話は、声優が「声優としての技術」を求められるのに対し、俳優というのは、そのての技術論以前に、役作りにどこまで自分を懸けられるかの勝負だという。
たとえば、役作りの為に30㎏減量/増量した役者の話とかも聞くよね。
役の為に、髪の毛を抜いた役者、歯を全部抜いた役者もいた。
ホームレスを演じる為、ずっとホームレス生活をしてた、みたいな人の話も聞く。
あとよく聞く話としては、役の中で敵対する関係の役者同士は、撮影期間中ずっと口をきかない、挨拶もしないというのもいまだあるみたいだね。
・・じゃ、声優の世界にもそういうのはあるのか?
多分ですけど、ないでしょう。
「今度はエルフの役をやるんで、しばらく森に籠ります」とか、本来声優もやりたいだろうが、そんなことはできない。
なぜ?
それはぶっちゃけ言うと、声優はギャラの単価が安く、ひとつの役の為だけに、そこまで入れ込めない構造なんだ。
単価の安い声優業は、数をこなしてこそナンボである
うん、だからだろうね。
声優って、たとえレジェンド級の大御所であっても、全然偉そうな感じの人がいないのよ。
たとえば、「ドラゴンボール」の野沢雅子さん、「ワンピース」の田中真弓さんあたり大御所中の大御所だろうに、めっちゃ気さくでイイ人じゃん?
特に田中真弓さんとか、結構メディア露出する機会があるんだが、どの機会でも必ず笑いをとろうとするサービス精神に溢れていて、吉本新喜劇の芸人みたいなスタンスなんだよね。
そして、常に周りのキャストさんたちを盛り上げようとしてる。
私、つくづく思ったわ。
「あぁ、これって座長のスタンスだ」
と。
多分、トップ声優さんに求められてるのって、こういうものなんだよ。
だから、「役作りの為、スタッフにも挨拶しない」とかも論外である。
ベテランによる新人イビリも論外である。
で、こういう<座長>感みたいなもの、私は「らんま」の林原さんにも全く同様のものを感じたわけです。
林原さんは、とにかくパワフルな人である。
その演じる役柄以前に、<林原>がそこにいるだけでキャスト陣がひとつにまとまる感がある。
多分、彼女がいまだNO.1声優に君臨してる意味って、そのへんにあるんだよな。
ぶっちゃけ、技術的に彼女よりうまい声優は今の中堅どころに出てきてると思うが、それでもNO.1は、やはり林原さんである(年収がそれを証明)。
さて、今度は「NO.1になれなかったレジェンド」神谷明氏について。
神谷明さんといえば、ケンシロウ、冴羽獠、キン肉マン、面堂終太郎、毛利小五郎など、様々に有名な役をこなしてきた超一線級の大御所である。
本来、トップオブトップに君臨してもいいはずの人。
ところが、そうはならなかった・・。
なぜならこの人、業界からホサれちゃったんだよね。
常に引っ張りダコだった80年代とは打って変わり、90年代からホサれ始め、残る生命線だった毛利小五郎役も2009年には降板させられてしまった。
それは、なぜか?
神谷さんについて常に出てくる話題が、おカネの話である。
おカネに執着する系?
そう解釈する人も多いみたい。
ただ、当人は「これからの若い声優さんたちの為」とも語っており、つまりその内実は労組的「賃金交渉」だったっぽいね。
80年代、名実ともトップ声優だった神谷さんの収入はせいぜいサラリーマンの課長クラスだったらしく、つまり、彼以外の声優はもっと低かったということさ。
で、神谷さん的に「上限である俺がこの程度ではマズイ」ってことで、徹底的な賃金交渉をしたらしいんだわ。
その結果、マジの交渉をしちゃう労組委員長が左遷されるのと意味を同じくして、神谷さんもまたホサれちゃったみたいなんだよね。
この人、1940年代生まれの全共闘世代ゆえ、ちょっと本気になっちゃったんだろう。
なお、毛利小五郎役の降板の件については、その詳細は明らかにされていない。
しかし、神谷さんが個人的におカネに執着とか、そういうショボいレベルの話ではないみたいだよ。
基本、90年代の時のホサれた時と意味としては同じなんじゃないだろうか?
彼のライフワーク?
・・う~ん、難しいところだよなぁ。
神谷さんの主張も、一応ゴモットモなのよ。
声優という職業で、年収1億以上が誰もいないというのは確かにおかしい。
いまや若い子たちにとって、めちゃくちゃ憧れの職業なのに・・。
ちなみに今の年収トップは、この人である↓↓
【1位】林原めぐみ 推定年収7000万
【2位】野沢雅子 推定年収4000万
林原さんと野沢さんの差は、おそらく印税収入の差だろう。
ぶっちゃけ、声優本業より、歌手やってる方が収入の効率いいのよ。
その新しいビジネスモデルを構築したのが、林原さんということだね。
そこが、あくまで旧ビジネスモデルの中で収入向上を模索した神谷さんとの決定的な差である。
それでも、まだ1億には届いていない。
これじゃ、俳優さんみたく「ひとつの役の為に1年間かけて役作りをする」とかは無理だ。
きっと、神谷さんは舞台役者出身の人だから、もっと本格的に「役作り」をしたかったんだろう。
たとえば、こんな感じで↓↓
・ケンシロウ役の為に、1年間中国で拳法の修行積みたかった
・キン肉マン役の為に、1年間新日本プロレスで修行積みたかった
・面堂終太郎役の為に、1年間暗くて狭くて怖い所に籠りたかった
・冴羽獠役の為に、1年間モッコリしていたかった
・毛利小五郎役の為に、1年間首に麻酔注射をうち続けたかった
そのいずれも、神谷さんは実現できなかったに違いない。
結局、今なお声優は「数をこなしてナンボ」の世界であり、どんなに大物になろうとも、スタッフ受けがよく、共演者とも良好な関係を保ち(共演NGなどナシで)、営業にも快く応じるスタンスでなくてはならない。
よく考えたら、辛いよね・・。
まぁ、声優としては「役作りは出来る限りでやってみる」というぐらいしかないと思う。