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新房昭之の作家性原点、「絶望先生」と「コゼットの肖像」

今回は、日本アニメ界でも屈指の天才肌として名高い、新房昭之監督を取り上げてみたいと思う。
この人ほど、「天才」という称号が似合う人もなかなかいないよね。
センスが卓越している。
系統として最も近いのは、やはり幾原邦彦氏(「少女革命ウテナ」や「輪るピングドラム」等の監督)だろうよ。
確か新房さん自身、幾原さんの影響を公言してたと記憶するし。

<新房昭之アニメ人気ランキングTOP5>

【1位】魔法少女まどか☆マギカ(2011年)制作/シャフト

【2位】化物語(2009年)制作/シャフト

【3位】それでも町は廻っている(2010年)制作/シャフト

【4位】ひだまりスケッチ(2007年)制作」/シャフト

【5位】3月のライオン(2016年)制作/シャフト

(某サイト人気投票集計結果)

上記のランキングを見ての通り、新房さんといえばまず「まどマギ」、その次が「化物語」である。
この2TOPは不動だろう。
ジュビロ中山雅史&高原直泰の2TOPぐらいに不動である。

やはり、明確なブレイクとしては2010年前後なんだよね。
とはいえ、その前の00年代から「面白い演出をする人」という認識は確かにあったわけで、それがたとえば「月詠-MOON PHASE-」(2004年)とか、「ぱにぽにだっしゅ!」(2005年)とかだったわけさ。
でも、それら「萌え」が新房さんの作家性と相性よかったかというと、正直そうでもなかったと私は思う。
むしろ、彼の作家性を素直な形で出せたのは、「THE SOUL TAKER-魂狩-」(2001年)の方だ。
この「THE SOUL TAKER」はマイナー作品で見たことない人も多いと思うので、そのサワリの部分を少しだけ見てもらおうか↓↓

・・なんつーか、色使いとかサイケすぎて正直見ててしんどいし、これじゃ一般的な層相手にはブレイクしにくいかと。
私は嫌いじゃないけど。

ようするに新房さんって、めっちゃ芸術家肌なのさ。
ただし、その作家性と商業性の黄金比を見つけるまでには試行錯誤があったみたいで、「おっ、ようやくハマった!」と確実に言えたのは、やはりこの作品からでしょ↓↓

「さよなら絶望先生」(2007年)

これ、結構ヒットしたよね。
監督:新房昭之+主演:神谷浩史>というのは「月詠」の時が初だったと思うんだが、この「絶望先生」は声優オーディションではなく、新房さんによる「神谷指名」だったらしい。
で、その神谷さんが見事なぐらいにハマった。
彼自身、「自分の声優キャリアにおけるターニングポイント」として、よくこの「絶望先生」のタイトルを挙げてるよ。

神谷さんの「絶望した!」は素晴らしかった!

ではなぜ、この「絶望先生」が新房さんの作家性にうまくフィットしたのかといえば、この原作のテイストが大正浪漫っぽいものであったのが大きい。
私は、新房さんのことを「アニメ界の椎名林檎」だと思ってるからね。
やはり文学的なものをモチーフにされると、ピタッとハマるのよ。

で、この作品で新房さんが見事だったのは、何より主題歌が大槻ケンヂってところよね(笑)。
なぜ今さら大槻ケンヂ?って誰しも思っただろうが、これが意外なほどに「絶望先生」の世界観に合っていたわけで。

じゃ、そのOP曲を聴いていただきましょう。

新房さんは1961年生まれで、学年としては庵野秀明のひとつ下なんだけど、じゃ世代として両者が同じ文化圏なのかというと、それは少し違うと思うのよ(ただし、市川崑崇拝とかは一応カブってるけど)。
仮に庵野さんが「絶望先生」の監督をしたとして、おそらく彼は大槻ケンヂというチョイスをしないだろう。

思えば、庵野さんの作家性が実相寺昭雄等70年代カルチャーをベースにしているのに対し、明らかに新房さんは80年代カルチャーの方をベースにしている。
厳密には、80年代後半から90年代初頭(ようするにバブル崩壊前)の文化というべきかな。
それこそ筋肉少女帯(大槻ケンヂ)が「高木ブー伝説」とか唄ってた頃で、「月刊宝島」がサブカルのオピニオンリーダーになってた時代さ。
そう、戸川純とかが一種のカリスマだった時代である。

80年代「月刊宝島」

この時代の「サブカル」は、アニメよりむしろ音楽の方が中心だったのよ。


で、こういうカルチャーからインディーズブームが発祥し、やがて「バンドブーム」へと繋がっていく。

こういうカルチャーって、80年代のトレンドだったんだ

おそらく、こういうものの延長線上で後の時代に椎名林檎とかも出てくるんだが、新房さんもまた、こういう「宝島」的な文化の影響下にある人なんだと思う。
それでも町は廻っている」におけるパール兄弟の楽曲、および山下達郎のカバー、「まりあほりっく」ではYMOのカバーなど、そういったものは全て「宝島」的なカルチャーである。
このへんは「何を言っとるのか意味分からん」と思うかもしれんが、80年代を知ってる人たちほど、新房作品を見て思わずニヤリとしてるものなんですよ。

で、あとは新房さん自身が語っている「まどマギ」の原点として、この作品だけは皆さんにも押さえておいていただきたい↓↓

OVA「コゼットの肖像」(2004年)

これはさほどメジャーではないが、個人的には

新房さんの最高傑作のひとつ


だと認識している。
未見という方は、ネットで「le portrait de petit cossette」と入れて無料動画を検索してみて下さい。
おそらくだが、この作品をもって新房さんのダークファンタジーの作家性が完成した感じだね。
その完成度たるや、ほぼ完璧といっていい。

そして何より、この作品でハマったのは劇伴の梶浦由記さんである。
そう、ダークファンタジーといえば梶浦由記。
これはジブリといえば久石譲というのと同様、不可分のものだね。
この新房さんとのコンビは後に「まどマギ」で大ブレイクを果たすが、それの前段階の「コゼット」で、もう完璧にフィットしているわけです。

梶浦由記

しかし、梶浦さんというのも不思議なアーティストだよね。
これまで様々なアニメ作品の音楽を手掛けてきたが、どれも耽美的なダークファンタジー系ばかり。
例外は99年の短編「スライム冒険記 海だ、イエ~」ぐらいだが、これはこれで湯浅政明監督の傑作コメディである。
梶浦さんが音楽手掛けたアニメにハズレなし」はアニメ界の定説になっており、おそらく事前に作品内容のチェック等をかなり綿密にやってるということでしょ?
梶浦さん(もしくはそのスタッフ)は、かなりの慧眼だと思う。

じゃ、その「コゼットの肖像」の予告編を少し見てもらおうか。

「空の境界」かよ!

とツッコみたくなるような世界観だよね。
お見事である。

なんていうかさ、これは私なりの解釈にすぎないから少し間違ってるのかもしれないけど、新房さんや庵野さんといった60年代生まれサブカル組って、主に次の2つのカテゴリーがあると思うんだわ。

アニメ/特撮大好き、メカ/変身/爆発大好き、SFオタク系クリエイター

庵野秀明(1960年生まれ)

河森正治(1960年生まれ)

音楽大好き、文学大好き、「宝島」系大好き、前衛ファンタジー系クリエイター

新房昭之(1961年生まれ)

幾原邦彦(1964年生まれ)

私は、どっちのカテゴリーも好きなんだよね。
実写畑でいうと岩井俊二監督(1963年生まれ)も新房さんのカテゴリーの方に入ると思うし、彼もまた、市川崑崇拝がめちゃくちゃ強い人だったかと。

あと付け加えると、梶浦由記さん(1965年生まれ)も同カテゴリーなんじゃないかと私は思うなぁ・・。

で、両カテゴリーはアプローチこそ違えど、描いたのはともに鬱屈した精神世界であり、ともに明るく健全でポジティブなものとは程遠い、というのが興味深いわ。
なぜ、そうなっちゃうのか?
多分だけどさ、この世代の人たちって、ちょうど多感な思春期の頃、

「1999年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」

・・というのをモロに刷り込まれた世代だと思うのよ(笑)。
だからと言っちゃなんだけど、切り口が全く違っても、やってることは結構みんな似てるんだよね。
こういう世代論って、意外と馬鹿にできないもんさ。

でもって、「ノストラダムス」が何なのかを全く知らない世代(00年以降に生まれた人たち)に対してでも、彼らが作った作品がちゃんと刺さっているというのは、なかなか面白い現象だと思う。


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