ニンジャvsサムライ、どっちが強いんだろうね?
今季放送中のアニメで「NINJA KAMUI」というの、皆さんは知ってる?
「呪術廻戦」の監督やってた朴性厚さんの最新作なんだが、これは「現代に今なお生きる忍者」を取り扱ったアクション作品なんだよね。
最近でいうと「アンダーニンジャ」に近いものがある。
我々日本人は、こういう系統の作品をちゃんと「寓話」として捉えることができるけど、問題は外国人さ。
ひとつ、こちらの資料をご覧いただきたい↓↓
上のグラフは、韓国人、シンガポール人、ベトナム人、イタリア人に各々「忍者は現在も存在してると思いますか?」と質問したアンケートに対する回答を集計したもので、見ての通り、
全体のうち61.5%の人が「忍者は現在も存在している」と信じている。
・・お前ら、馬鹿なの?
遠い欧州のイタリアならまだしも、めっちゃご近所の韓国ともあろうものが43%も忍者が今もいると信じてるのは正直ショックだぞ。
でもさ、こういうのって絶対アニメの影響だよね?
「NARUTO」とか「アンダーニンジャ」とかは時代劇じゃなく、現代の日本を舞台にした忍者アニメだし、ああいうのを見て誤解をする外国人もいるということよ。
じゃ、もうひとつ追加。
同じ要領で「サムライは現在も存在してると思いますか?」という質問への回答を集計したところ、見ての通り
全体のうち66.2%が「サムライは現在も存在している」と信じてる。
・・数値が忍者の時より増えとるやないか!
特にベトナム人は91.7%って、お前ら信じすぎ!
多分、ベトナム人は日本人がみんな卍解できると思ってるよね・・。
・・えっ?卍解できないの、私だけなの?
この感じでいくと、呪術高専も実在すると思われてそうだね。
まぁとにかく、いまやニンジャとサムライは海外で大人気なんだそうだ。
そういうこともあって、「NINJA KAMUI」のような忍者アニメが作られたりもするんだろう。
ちなみに、これはE&H productionというあまり聞いたことのない制作会社が作ってるんだが、このE&Hは今クール「ラーメン赤猫」というコメディも作っていて、興味深いのは「KAMUI」と「赤猫」、この両作品ともが主演は津田健次郎なんだよね。
ただでさえ津田さんが主演というのは珍しいのに、それがよりによって忍者と猫って・・。
E&Hって、どんだけ津田さんのこと好きなのよ?
だけど私が一番驚いたのは、
復讐鬼の忍者と猫のラーメン屋。 この振れ幅ある役柄において、津田さんが一切声色を使い分けてないことなんだ(笑)。
さすが津田健次郎、おそるべし・・。
さて、今回はニンジャとサムライ、このふたつの人種について考えていこうと思う。
日本人ならば、このふたつの違いについて何となくにせよイメージは掴めてるでしょ?
【サムライ】
・刀を2本(長いのと短いの)持ってる
・戦闘は剣技に特化している
・「武士道」を重んじ、高潔な精神性、誇りにこだわるタイプ
・つまり、基本的に卑劣なことを恥じるタイプ
【ニンジャ】
・黒い装束を着てて、武器は装束の中にたくさん隠し持ってそうな感じ
・戦闘は刀が基本だろうが手裏剣や吹き矢や毒も使うし、よく分からん
・正面突破せず、死角から襲うなどスタンスはどっちかというと卑怯・・
・つまり基本的にアンチ「武士道」、高潔な精神などはそこに全く求められていない
うん、実は両者って、全く対照的な存在だということ。
だから基本、両者は全く相いれず、お互い手を組むことができないんだよね。
そこを「敢えてニンジャ+サムライで組ませてみよう!」というアイデアをもってヒットしたのが、「地獄楽」である。
これは罪人+死刑執行人がコンビを組み、謎の島で不老不死の秘薬を探すという物語。
で、罪人=ニンジャ、死刑執行人=サムライという組み合わせが幾つか成立してるわけよ。
ヒロイン・佐切は死刑執行人の家系、山田家の剣士、つまりサムライだが、彼女と比較対象しやすいのがくノ一の杠だろう。
高潔でストイックな佐切に対し、杠は超現実主義者で享楽的なエゴイストというキャラ設定になっている。
個人的に大ファンの高橋李依さんが珍しくエロい感じの役柄で非常に嬉しいんだが、このふたり、どっちもかなり腕が立つのよ。
ただ、何が出てくるか分からない謎の島におけるサバイバルという環境下においては、どっちかというと優位に立ててるのは杠の方である。
そう、サムライとは基本的にルールありきの官僚であり、ぶっちゃけ融通のきかない人種。
それに対しニンジャは単独での潜伏が多く、そこじゃルールとか度外視で、ただ任務を遂行することのみに専念する人種である。
当然潜伏は不測の事態に瀕する機会も多く、そこでのキモはいかに臨機応変に対応できるか、だろう。
サムライとニンジャにはこういう違いがあることを踏まえて、じゃ、謎の島でのサバイバルでどっちが有利かといえば、そんなこと考えるまでもないよね。
ああ、そういや、もうひとつサムライ/ニンジャの比較で面白い作品があったわ。
「ジョーカーゲーム」、これは実写化されたこともあるし、多くの人が見てると思う。
これは昭和初期の日本陸軍諜報機関・D機関の諜報員の活躍を描いたスパイ物で、これの第1話~第2話が表題の「ジョーカーゲーム」編である。
主人公はD機関を密偵する軍人・佐久間中尉なんだが、彼は模範的な軍人であり、いうなればサムライなんですよ。
対して、D機関のメンバーたちは各々にニンジャ。
諜報・工作のプロフェッショナルである彼らをサムライの佐久間が密偵すること自体がもともと無理な話だし、案の定、佐久間はいいように翻弄されてしまう。
このD機関⇔佐久間のやり取りは、まさにニンジャ⇔サムライをうまいこと体現してるわけで、非常に興味深い。
作中、D機関のトップ・結城中佐と佐久間の間でこういう会話があった。
結城「スパイが敵を殺し、あるいは自決するなどは無意味で、馬鹿げた行為でしかあるまい」
佐久間「それは死を怖れる、卑怯な考えです。
自分にはやはり、スパイは卑怯な存在だとしか思えません」
結城「それなら聞くが、貴様は自決して、それでどうなる?」
佐久間「死ねば、向こうで胸を張って同期に会えます」
結城「ほぉ、すると貴様は、同期に会って自慢する為に死ぬわけか・・。
だが、もし会えなかったらどうする?」
佐久間「会えないはずがありません!」
この会話を傍らで聞いていたD機関メンバーは、佐久間を評して
「よく仕込んだものですが、新興宗教と同じですよ。
閉鎖集団を離れては、とても長くもてない観念ですね」
という。
うん、確かにサムライってのは、サムライ社会という閉鎖環境においてのみ活きる存在だろう。
サムライ=軍人であり、昭和初期に至っても「武士道とは死ぬことと見つけたり」の精神を引きずってきた、一種の宗教だったのかもしれない。
佐久間中尉にせよ、D機関諜報員にせよ、共に陸軍所属の軍人だが、両者をサムライ/ニンジャとして隔てるものは「信念に殉じるか、現実を見るか」、そういう境界線である。
基本、サムライは余計なことを自発的に考えちゃいけないんですよ。
思考停止し、ただ主君の命令に粛々と従っていればいい。
ただの「パーツ」なんだから、群れの中の虫のようなものをイメージすればいいだろう。
群れてナンボである。
一方、ニンジャは単独潜伏任務が多く、基本、支援がない。
よって、独りで思考して臨機応変に対処するより他はなく、その意味じゃ「パーツ」ではなく、「個人」なんだよね。
ニンジャとは、そういう存在である。
ニンジャとは、そういう存在である。
ニンジャとは、そういう存在である。
うん、前言撤回するけど、ニンジャって現代日本に結構存在するような気がしてきたわ・・。
ただ一方、会社勤めをしてる人ならお分かりいただけると思うけど、
組織というものは今なお、ニンジャであることよりも、サムライであることを求めてたりするものなのよ。
俗にいう、「社畜」ってやつだね。
そういう意味でいっちゃうと、冒頭のアンケート、「サムライは現在も存在してると思いますか?」ってやつ、「いる」と答えた91.7%のベトナム人、お前ら慧眼かも。
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