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巨神兵⇒エヴァンゲリオン⇒進撃の巨人、という系譜

今回は、「シンエヴァンゲリオン劇場版」について書きたい。
もともと「エヴァ」は社会現象にもなった名作中の名作であり、その影響力たるや戦後最大規模のものだったといっていいだろう。
とはいえ、あれは90年代という時代の中でこそ神アニメとなり得た作品。
90年代以降、我々は「エヴァ」の影響を受けたアニメをさんざん見てきたよね。
つまり、このての作品を見る我々の目は90年代と比べものにならんほどに肥えてしまったわけよ。
そういう意味じゃ、「エヴァ」劇場版は最初からリスキーというべきか、せっかくここまで神格化された「エヴァ」を貶めてしまう危険性があったともいえるんだ。
そんな重圧の中、さすがは庵野秀明、最後までやり通して完結させた手腕はお見事である。
とはいえ、さすがに90年代当時のインパクトを上回れなかったことは事実なんだけど・・。

「シンエヴァンゲリオン」ではロングヘアーの綾波レイが登場

いや、そうはいっても作品の完成度で見ると、やはり今回の劇場版シリーズの方がテレビシリーズよりクオリティ高いのよ。
テレビシリーズが敢えて誤魔化してた部分もちゃんと表現してるし、そこはファンとして非常にありがたかった。
ただ、ちゃんと表現した分、碇ゲンドウが最後には陳腐なキャラに堕ちた感がある。
あの人は、何も語らないからこそ「沈黙は金」としてのカリスマ性があったのに、「シンエヴァ」ではめっちゃ喋るもんでメッキがどんどん剥げちゃって(笑)。
ゲンドウ役の声優は立木文彦さん。
立木さんは「銀魂」のマダオこと長谷川泰三としても知られており、メッキが剥げたゲンドウはぶっちゃけマダオになってたのよ・・。

碇ゲンドウ
マダオこと長谷川泰三

さて、皆さんは「エヴァ」ってロボットアニメだと思う?
物語の全容が見えない序盤はそう思えるが、話が進むにつれ、これは一種のミスリードだったんだ、我々は庵野さんに騙されてたんだ、と気付くことになる。
この機体、そもそもロボットじゃないじゃん。
手足がモゲると血みたいのが噴き出すし、明らかに無機物でなく有機物である。
つまり、鉄人28号⇒マジンガーZ⇒ガンダムという系譜上にあるものではない。
どちらかというと、ゴジラ⇒デビルマン⇒巨神兵⇒エヴァンゲリオン。
付け加えると、エヴァ⇒進撃の巨人という形で、今なお系譜は続いてるんだけど。
で、問題は系譜の最新に位置する「進撃の巨人」である。
正直、「進撃」レベルのものまで見てしまった我々からすれば、その後に「シンエヴァ」を見ても「ああ、なるほど、こんな感じなのね・・」と少し冷めたリアクションをせざるを得ないんだから。
そう、今となっては「エヴァ」はあくまで古典で、もはやMAX値ではないんだよね。

「エヴァ」⇒「進撃」の系譜のあとを継ぐコンテンツはいまだ不明

一方、有機でなく無機のロボット路線も、これはこれでいまだ健在である。
なんせ、子供はロボのオモチャとか大好きだから。
さすがに「始祖の巨人」のオモチャとか、子供には不向きだし。
そんなわけで、ガンプラの火は決して消えることはないんだわ。
ましてや「サンライズ」が「バンダイナムコピクチャーズ」と名前を変えたことだし、今後もしっかりオモチャ販促としてのロボットアニメを制作していくはずだ。
とはいえ、最新の「水星の魔女」を見る限りでは、「ガンダム」もいわゆるリアルロボット路線(SF)からは外れてきてる気がするね。
どちらかというと、スーパーロボット路線(ファンタジー)に寄せてきてる気が・・。
そう、時代の空気は確実にSFよりファンタジーに移行してるんだよ。
それはいまどきのアニメが異世界系、および厨二系に偏ってるのがいい証拠だし、そこに火を付けたのが他でもない、90年代の「エヴァ」なのさ。
「エヴァ」は外面がSFに見えて、実はその中身は終末論をモチーフにした、いかにも厨二が好きそうなダークファンタジーである。
延々と繰り返された敵との死闘も、結局あれは究極魔法行使の為の「儀式」だったんでしょ?
そう、ほとんど「Fate」の聖杯戦争と意味は変わらんのよ。
ただ「エヴァ」の功績は、このての厨二なダークファンタジーを陽の当たる場所に引きずり出して、市民権を与えたところにある。

多くの人が、「エヴァ」をキッカケにキリスト教に興味をもったのでは?

「エヴァ」のプロットは旧約聖書の創世記がベースだが、ただそれをSF的に咀嚼したことが過剰に難解になった原因だと思う。
もし最初からダークファンタジーとして作れば、割とシンプルな話だったと思うよ。
人類補完計画=全生命体が融合してみんなでひとつの生命体になる、なんて「Fate/Apocrypha」と全く同じコンセプトじゃん?
こういうのを、人類の次なる進化形態だと解釈をする作家は割と多いみたいだね。
まぁ、その思考は分からんでもないけど。
思えば、地球上の原始生命体は微小な単細胞生物だったんだろうし、それがいまや人類のような知的生命体にまで進化できたのはなぜかというと、その単細胞同士が繋がって多細胞生物になったからでしょ?
今の我々の肉体を構成する細胞は、いわば個々が単細胞生物。
要は一個一個が微小で無力でも、繋がってひとつになれば上のステージへと上がるということさ。
虫や獣が群れを作るのはそういう意味だし、人間だって国とか会社を作って繋がろうとするよね。
そこまでの話なら別にいいんだけど、極端にコミュ障の碇ゲンドウは自らがマトモに繋がることができないタイプで、そのせいか「人類全員でひとつの生命体になる融合」と極端なベクトルに走っちゃったんだな・・。
そう、この作品のテーマは終始一貫して、「繋がること」である。
ぶっちゃけ、このテーマの前にはリリス云々とかの厨二的ディテールなんて正直どうでもいいんだよ。

上の絵は、「シンエヴァンゲリオン」のラストシーン。
あのイライラさせるほどのコミュ障だった碇シンジが大人になり、ちゃんとパートナーと手を繋いで階段を駆け上がっていくシーンで締めくくられた。
え?綾波は?とか、アスカは?とか野暮なことは言わんで下さい。
別にこれでもいいじゃないか。
林原めぐみor宮村優子or坂本真綾という三択なら、坂本真綾を選択する男子は結構多いと思うぞ?

林原めぐみ
宮村優子
坂本真綾

うん、私でも坂本さんをチョイスするわ。

ある意味、平凡そうな大人に成長してしまったシンジを見て残念に思ったかい?
いや、むしろ私は逆だね。
「シンエヴァ」で私が最も好きなのは、シンジの元クラスメイトのトウジやケンスケたちが成長した姿で登場したシーンである。
彼らは、ちゃんとマトモな大人になっていた。
こういうのを地に足のついた生き方というのかな、凄く地味ではあるんだけど、いつもセカイ系の中で生きてるシンジや綾波やアスカよりむしろ全然カッコいいんだよ。
彼らはあちこちから来た避難民たちを取りまとめ、ひとつのコミュニティを作っていた。
そう、ここで「普通の繋がり」の理想形を庵野さんは見せてくれたんだ。
当然これはシンジの「繋がることの拒絶」と真逆であると同時に、ゲンドウが目指す「融合」の真逆でもある。
この村のシーンがあったからこそ、最後にシンジが書き換えた新しい世界が地に足のついたマトモなものであることの信憑性が出るんだよ。
ああ、ようやくシンジもセカイから卒業したんだな、と今度こそ信じることができる。

綾波が村で田植えをするシーン、めっちゃ良かった

確か、「エヴァ」は何度もループしてて色々なパラレルワールドが存在してるんだよね?
そのへんは「エウレカセブン」あたりと同じ構造かと。
ただし「シンエヴァ」でエヴァのない世界に書き換えたんだし、一応これで終わりってことでOK?
いやいや、商業的においしいコンテンツゆえ、またきっとあるんだろう。
こういう業界はね、基本的に終わる終わる詐偽なんですよ。
何度もループするんですよ。
先輩の「ガンダム」はアムロやシャアが死んだ後もずっと続いたわけだし、それも「宇宙世紀」だけでなく、「アナザーガンダム」という別世界線まで作られたわけでしょ。
そもそも「神はいる」という設定にしちゃった以上、ただ世界を書き換えたぐらいのことじゃ終わらないって。
まぁ、それならそれで、逆に楽しみなんだけどね。


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